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鏡餅を包丁で切るのはNG!?意外と知られていない正月行事の由来

2020年01月02日 06時00分更新

文● 飯倉晴武(ダイヤモンド・オンライン

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初詣
写真はイメージです Photo:PIXTA

普段は伝統とは無縁でいても、正月になれば初詣に行き、鏡餅を飾るなど、古来からの伝統行事を大切にしている日本人。あらゆる便利なモノを生み出し、生活の快適性を求めている現代においても、いまだに私たちの生活に息づいている伝統行事は少なくありません。そこで今回は、100万部超えのベストセラー飯倉晴武奥羽大学文学部教授の『日本人のしきたり』(青春出版社)から、世代を超えて今なお行われている正月行事の由来について紹介します。

初詣は本来、氏神様にお参りするものだった!

 年の初めにお参りすると「めでたさ」が倍加するということで、新年を迎えると各地の神社・仏閣は、初詣をする人で大賑わいとなります。大晦日の除夜の鐘を聞きながら家を出て、元旦にお参りをすませて帰るのを「二年参り」といっていました。

 ちなみに、昔は一年のケジメとして、一家の家長は、大晦日の夜から神社に出かけて、寝ないで新年を迎えるのが習わしでした。そのころ、家族は主として自分たちが住んでいる地域の氏神を祀っている神社にお参りしていました。

 やがて、伊勢神宮や出雲大社など有名な神社に出かけたり、その年の干支によって年神様のいる方角、つまり恵方が縁起いいということで、恵方に当たる社寺に出かけて初詣をするようになりました。これを恵方参りといいます。

 現在では、この恵方参りの習慣はなくなり、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師、住吉大社など、各地の有名社寺に出かけてお参りすることが多くなっています。

かつて「年男」は正月行事のすべてを取り仕切っていた

 現在、正月を中心とした行事の主役を務める「年男」のような存在は見当たりませんが、かつては正月に限って、一家の行事すべてを年男が取り仕切りました。

 年男は、室町幕府や江戸幕府では、古い儀礼に通じた人が任じられましたが、一般の家では、主として家長がその任に当たり、しだいに長男や奉公人、若い男性が当たるようになっていきました。

 年男は正月が近づいた暮れの大掃除をはじめ、正月の飾りつけをしたり、元旦の水汲みをしたり、年神様に供え物をしたり、おせち料理を作るなど一切を務めました。とにかく年男にとって正月は、猛烈に忙しい期間だったのです。

 いまでは年男といえば、その年の干支に当たる人をいいますが、本来は正月行事全般を取り仕切る人のことを指していたのです。

鏡開きのとき、鏡餅は包丁で切ってはいけない!?

 1月11日は、正月に供えた鏡餅を下ろして鏡開きをします。鏡開きは、神霊が刃物を嫌うため、包丁を使わずに手や木槌などで鏡餅を割り、雑煮や汁粉にして食べる行事です。

 昔の武家では、鏡餅を雑煮や汁粉にして、主君と家来たちがそろって食べ、商家でも、主人と従者たち、さらには家族も加わって一緒に食べたということで、どちらの場合にも、家族や主従の親密さを深めることに意味があったと思われます。

 当初、鏡開きは1月20日に行っていましたが、江戸時代になって徳川家光の忌日が20日に当たることから、商家が行っていた蔵開きと同じ11日に変更したといわれます。

 近ごろでは、こうした鏡開きの行事を見かけることは少なくなりましたが、講道館をはじめ、剣道・柔道などの道場では、いまでもこの日、寒稽古を行った後に鏡餅を雑煮や汁粉にして食べる習慣が残っています。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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