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加速するネットリンチの残酷、住所など個人情報晒しは法律的に「アウト」

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10月に発覚した神戸市の教員間いじめ・暴行事件。加害者とされる教員たちの実名はもちろん、住所や家族の名前、職業などがネットで晒されている。個人情報を安易にネット上に書き込んでしまうネットユーザーたちが増えているからだ。しかし、こうした行動の多くは、法律的には「アウト」である。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎)

加害者宅を張り込み
個人情報をスッパ抜く

記者会見する神戸市立東須磨小学校の仁王美貴校長(右端)ら
記者会見する神戸市立東須磨小学校の仁王美貴校長(右端)ら Photo:JIJI

 今年10月、「神戸市教員間いじめ・暴行事件」の表面化から約1カ月あまりの間、TwitterやFacebookといったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)や、5ちゃんねる掲示板といったインターネット上では、加害者とされる教員に関するあまたの情報が途絶えることなく投稿されていた。

 そこには彼らの実名、顔写真、住所、そして、その家族の名前や職業までもが含まれている。これらはネット上で「特定班」と呼ばれる、何か世間を揺るがせた事件などが起こったとき、その当事者の経歴などをつぶさに調べ上げて、ネット上に“晒す”ことを得意とするネットユーザーたちによるものだ。

 事件報道が沈静化した今も、加害者とされる教員の自宅周辺には、「晒すための情報」を得るべくネットユーザーたちが集まっている。筆者は、張り込んでいた20代後半男性に話を聞いた。彼は、「対応の鈍い教育委員会と警察が悪い」としたうえで、加害者とされる教員の実名を伏せて報道を行うマスコミもまた、「だらしない」と嘆く。

「僕たちの役目は、それこそメディアも含めての社会の監視、チェック機能にあります。マスコミは記者クラブのつながりで食っており、教育委員会や警察にモノを言えない。ネットはそんなだらしないマスコミを補完していると自負しています。本当に完全中立な立場です」

 こう語る彼は、「無報酬の言論だからこそ、ゆがみのない真実だ」と胸を張る。彼の取材方法とは、新聞社や放送局、週刊誌といった現場で取材に当たっている記者らと連携を取ることはせず、ひたすらネット上にある情報でのみ、分析、調査するものである。

 彼は、過去にも、兵庫県議公金詐取事件をはじめ、あまたの著名事件を“割って”きたという。完全独自取材だ。そして、その“スクープ”の内容とは、事件の詳報などではなく、事件当事者の学歴や職歴、家族の名前や職業といったプライベートな情報だ。

 もっとも、完全無報酬、趣味で行っていることなので、あくまでも素人。だからこそ、新聞社をはじめとする既存のメディアが報じていないことを「素人の自分」が報じたとき、つまり「素人がプロを負かせた」ときにこそ、大きな喜びがあるのだそうだ。

 これによりネット上で話題が盛り上がる、いわゆる“祭り”状態になったり、話題が途切れそうになったりしたときには、“燃料投下”と呼ばれる新たなネタを書き込むことで、ネット上での話題をリードすることが快感なのだという。

ネット上での「晒し」は
刑事事件化すればOKなのか?

 とはいえ、こうして彼が足で稼いだ情報も、時には誤報だったこともあるという。だが、それも「(プロである)マスコミでも時折、ある話です」と意に介さない。職業記者としてマスコミで働く気はなく、今のように完全中立な立場を貫ける素人の個人として、言論活動を今後も続けていくと話す。彼にとって言論は「趣味」というスタンスで、「しょせんは(ネット上の)井戸端会議です」と悪びれる様子はない。

「加害側教員の現在の滞在先とされるところにも行ってきたのですが、結局、本当に彼らが滞在しているのかどうか分かりませんでした。何とか彼らの居場所を突き止めたいです。分かれば、もちろんネットにアップします」

 この彼がネット上で発信するか否か、その基準としているのは「決定的な証拠の有無」だそうだ。この「神戸市教員間いじめ・暴行」事件では、その発覚当初から、メディア発で「激辛カレーを目に塗られる様子」を撮影した動画が報じられた。この動画こそが彼のいう「決定的な証拠」なのだという。

「この証拠がある限り、メディアが報じない実名や顔写真、経歴をネットにアップしても、それは大勢の人の“知る権利”に応えたものと言えますから」

 確かに、マスコミが広く報じた「羽交い絞めにした男性教諭の目に激辛カレーを塗る」行為を収めた動画は、その内容から「加害者」と「被害者」であることが分かる証拠かもしれない。だが、これをもってして刑法上でいうところの「傷害罪」にあたるかどうかの判断を素人が行うことは、どこか危うさを感じずにはいられない。ましてや、いまだ、刑事事件として立件されていない案件だ。

 それにしても、このメディアが報じた動画のみを根拠とし、「どうせ近い将来、刑事事件として立件されるのだから」という理由で、その当事者の実名はもちろん、住所、経歴、家族構成や家族の名前、職業など、報道機関も明らかにしないような個人情報をネット上にアップしてもいいのだろうか。

 インターネット問題に詳しい小沢一仁弁護士(東京弁護士会)は、「するべきではありません。そこまで(加害側とされる教員が)される理由はありませんから」とコメントした。

「私刑」は憲法違反
訴えられれば法的責任を負う

 ネットユーザーの中には、「事実であれば何を書いてもいい」という認識の人も少なからずいる。だが、複数の弁護士に聞いても、皆一様に、こう口をそろえる。

「たとえ刑事事件で、既に立件されている刑事被告人といえども、プライバシーをみだりに公開される理由はありません」

 他人に関することは、事実だからといって何を書いても良い訳ではない。その他人の評価を下げるような内容ならなおさらだ。他人の評価を高めるにしても、それを本人が望んでいるかどうかは分からない。安易な書き込みはしないほうがいい。

 なお、この筆者の問いに答えてくれた弁護士たちは、「過激なネットユーザーを刺激したくない」との理由で、実名でのコメントを拒んだ。プロの弁護士もひるむほど、ネットは無法地帯化しているのだ。

 神戸市教員間いじめ・暴行事件では、すでに広く伝わっている動画から、加害側とされる人物の非は明らかかもしれない。だからといって、安易にその実名や住所を晒したり、その行為を執拗に糾弾する、いわば「私刑(リンチ)」を加えていいという理由にはならない。日本国憲法第31条には「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とある。

“プロ”である報道機関の記事であっても、時に実名報道の是非が問題となる。一方、ネットユーザーたちは一個人の立場で、自らの名前は伏せて他人の個人情報を晒す。たとえ実名での書き込みであったにしても、「自らの文章に責任を持つ」ことはない。

 ただし、裁判に訴えられれば話は別だ。この事件の加害者とされる教員が、「プライバシー権を侵害された」との理由で訴えた場合、その書き込みを行ったり、これを拡散した者は、もちろん、法的責任を負うことになる。

 さて、その神戸市教員間いじめ・暴行事件に関するネットリンチともいえる書き込み内容は、少なからず事件にも影響を与えている。

 事件後、市民の間からは、加害側教員たちの記者会見を求める声が相次いでいる。だが、これは恐らく実現しないだろう。10月末に加害側とされる4教員全員に会ったという神戸市教育委員会幹部は、「とても彼らが記者会見に耐えられる状態ではない」とし、その理由を次のように語った。

「ネット上には彼らの顔写真や実名が出ており、とても表を歩ける状態ではない。全員、病院に通っており、憔悴し切っている」

シェアやリツイートでも
損害賠償請求される

「もし会見を行うとしたら、警察に警備をお願いするということも考えなければなりません」(神戸市教育委員会課長)

 この加害側とされる4教員から、既に事情聴取を行った兵庫県警察の捜査関係者も、ネット上の過熱ぶりに苦り切った表情を隠さない。

「ネット上で書き込みをしている彼らが、誤った正義感から事件を起こさないよう、警戒するしかない」(兵庫県警捜査関係者)

 ここまでくると、もはや、「一個人による意見表明」では済まされず、ネット上の書き込みに、何らかの規制を求める声があることもうなずける。

 事実であっても、個人情報を勝手に晒すことは、大きな問題を生み出すのだ。一方、情報自体がウソであれば、さらに問題なのは言うまでもない。

 先に紹介した小沢弁護士は今夏、世間を揺るがせた茨城県常磐道の「あおり運転」事件の際、事件とは全く無関係の女性が、さも加害者であるかのようにネット上でデマを拡散された「ガラケー女デマ拡散事件」の被害者側代理人を務めている。

 その小沢弁護士によると、ネット上の誤った情報を広く拡散する行為は、自ら発信することはもとより、Facebookならシェア、Twitterならリツイートでも、“アウト”なのだという。

「自分が文章を書いていないので自覚がないのだと思いますが、リツイート元と同じ内容を自ら発信するのですから、リツイート元の記事が特定の人に対する名誉毀損等であれば、リツイートも同じく名誉毀損等に該当します」(小沢弁護士)

 今から約5年ほど前なら、インターネット上で、他人の誹謗中傷を目的とするシェアやリツイートは、「賛同を意味するものではなく、こうした意見がある」という紹介目的だとするネットユーザーが少なからずいたものである。だが、その認識は危険だ。今では書き込み内容によっては、シェアやリツイートをするだけでもアウトというのが常識だ。リツイートについて裁判所が法的責任を認める判決も既に複数存在する。

「ガラケー女デマ拡散事件」では、全く無関係の女性が被害を受けたが、たとえ犯罪の当事者だったとしても、根拠のないことや臆測、事実ではないことを書き込まれたならば、被害者として、シェア者やリツイート者を訴えることも可能である。この場合、被害者が、シェア者やリツイート者の「誰を訴えるか」は、被害者の自由だ。

デマ情報拡散の張本人なら
損害賠償は最大数百万円に

「ガラケー女デマ拡散」事件では、加害者側のひとりとされた人物に近い関係にある50代の男性は、こうした今の流れについていけない様子を隠さず、こう語った。

「本人(加害者)が、『ごめんなさい』と言えば、被害者も『いいよ、これから気をつけてね』と、腹の中で思うところあっても、それで済ませるのが健全な社会ではないか」

 ネットトラブルでは、加害側と被害側、その認識のギャップがあまりにも大きいのが一般的だ。「ごめんなさい」「いいよ、気をつけてね」では済まない。双方、納得がいかずとも、「責任を取る」「責任を取ってもらった」とするには、やはり金銭的な解決しかない。

 今、ネット上でデマを流して、これが大規模に広まった場合、書き込んだ者がその大元であれば、百万円単位の損害賠償義務が認められる可能性があるという。また、シェアをした者やリツイートをした者であっても、場合によっては数十万円の損害賠償義務が認められる可能性があるそうだ。

 SNSでは、たとえ不特定多数への公開設定ではなく、一部の人物しか閲覧できない設定にしていたとしても、そこに「伝搬性」がある以上、自らの書き込み内容に責任を持たなければならないという。これはシェアやリツイートも同じである。SNS内でのグループ機能での書き込みもまた同様だ。

 かつてインターネットが普及し始めたとき、「お茶の間に複数の報道機関を抱えるのと同じくらい」に情報収集ができるという声もあった。これは裏返せば、「個人がお茶の間から複数の報道機関並みに情報を発信できる」ということだ。同時に、個人であっても、報道機関と同じように法的責任が発生するということをも意味している。その責任とは究極のところ金銭だ。ネットに書き込みを行うとき、もし、その責任を問われたなら、莫大な損害賠償金を支払う覚悟があるかどうか、冷静に考える必要がある。

 だからといって、加速するネットリンチに歯止めをかけるべく規制を強化することは、戦前の暗い時代からの反省を踏まえて設けられたという日本国憲法第21条に定められた「表現の自由」をないがしろにしかねない。自由には責任を伴う。表現の自由における責任について、今一度、私たちは考える時期にきているのではないか。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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