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元農水事務次官の長男殺害に懲役6年、なぜ事件は防げなかったのか

2019年12月16日 19時00分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

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元農水省事務次官の熊沢英昭被告による事件は世間に衝撃を与えた
元農水省事務次官の熊沢英昭被告による長男殺害事件は世間に衝撃を与えた(写真は新旧農水事務次官の記者会見の時の熊沢被告・左) Photo:JIJI

「新語・流行語大賞」のトップテンには入らなかったが、今年のネット上を賑わしたキーワードのひとつに「上級国民」があるのは間違いない。その理由は、霞が関でトップに上り詰めながら重大事件を起こした2人が注目されたためだ。1人は東京・池袋で母子2人を死亡させ、9人に重軽傷を負わせたとして自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で書類送検された旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三容疑者(88)。もう1人は長男を殺害したとして殺人罪に問われ、16日に判決が言い渡された元農林水産省事務次官の熊沢英昭被告(76)だ。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

BSE問題で責任問われた“上級国民”

 東京地裁の裁判員裁判で中山大行裁判長は、熊沢被告に懲役6年を言い渡した。

 判決によると、熊沢被告は6月1日午後3時15分ごろ、東京都練馬区の自宅で長男英一郎さん(当時44)の首などを包丁で数十カ所刺し、失血死させた。

 検察側は12月13日の論告求刑公判で「強い殺意に基づいて不意を突き、一方的に攻撃した」と指摘し、懲役8年を求めていた。

 判決の通り、事件があったのは6月1日の昼下がりだった。警視庁通信指令センターの110番に「息子を殺しました」と男性の声。警察官が臨場すると、1階和室の布団の上に男性があおむけに倒れており、上半身は血まみれ。近くには包丁も落ちていた。

 練馬署は殺人未遂の現行犯で自宅にいた熊沢被告を逮捕。弁解録取に「包丁で刺したことに間違いない」と容疑を認めた。

 英一郎さんは搬送先の病院で死亡が確認され3日、熊沢被告は殺人容疑で送検された。東京地検は21日、殺人罪で起訴した。

 熊沢被告は東大を卒業後、1967年に農林省(現・農水省)に入省。経済局長などを経て2001年に事務次官に就任したが、牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われる格好で02年に退官した。05年~08年には駐チェコ大使を務めた。

 その後、事件があった自宅に引っ越した。よく夫婦でスーパーに出掛けるところなどは見掛けられたが、近所付き合いはあまりなかったようだ。

 英一郎さんは大学に進学後、1人暮らしをしていたがほとんど引きこもった状態で、事件の1週間前に事件があった家に戻っていた。

 逮捕後の供述によると、熊沢被告は英一郎さんの家庭内暴力で身の危険を感じ、さらに近所の小学校で開催された運動会の音に腹を立て「うるせえな、ぶっ殺してやるぞ」という発言を耳にした。

 そして、5月28日に起きた川崎市の小学生ら20人殺傷事件が頭に浮かび「長男が他人に危害を加えるかもしれないと思った」と述べていたとされる。

被害者のために尽くし折れた心

 公判で事件の概要を追ってみたい。

 初公判が開かれたのは今月11日。黒いスーツ姿の熊沢被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。

 検察側は冒頭陳述で、英一郎さんは中高一貫の進学校に通学していたが、いじめに遭い家庭内暴力をふるうようになったと説明。

 そして、高校卒業後は複数の大学やアニメの専門学校に通学。06年に病院に就職したが、08年には辞め、その後は働いていなかった。15年には発達障害と診断されていたという。

 また証拠調べで、事件までの1年半に熊沢被告と英一郎さんがSNSでやりとりしたメッセージの内容を提示した。

 それによると、熊沢被告は「明日はごみの日です」「床屋には行きましたか」などと1人暮らしの生活を案ずる発信が多く、英一郎さんは「はい」などと短く返信していた。

 また、英一郎さんは熱中していたオンラインゲームで、元農水省事務次官の息子と示唆しながら他者への暴言を書き込んだため、熊沢被告が「私の名前を出すな」などと何度も注意したり、近隣住民や不動産会社から苦情が来て対応に苦慮したりしていた内容も明らかにされた。

 熊沢被告が妻にあてた手紙が寝室から見つかり「これまで尽くしてくれてありがとう。感謝している。これしか方法はない。死ぬ場所を探す。どこかで英一郎と一緒に散骨してほしい」と記していたという。

 その上で、検察側は「英一郎さんは人付き合いが苦手で、家庭内では暴力をふるっていた。熊沢被告は(事件直前の)5月下旬に暴力を受け、ネットで『殺人』『執行猶予』を検索するなど殺害を考えながら生活していた」と計画性を指摘。

 弁護側は「熊沢被告は英一郎さんを必死に支えてきたが、家庭内暴力で恐怖を感じていた。事件当日も『殺すぞ』と言われた」と訴えた。

 午後には熊沢被告の妻が出廷し、英一郎さんが中学2年のころからいじめられた鬱憤(うっぷん)を晴らすためか、大学まで殴る、蹴るの暴行をするようになり、ライターや包丁をのど元につけられたと証言。

 5月下旬、熊沢被告が英一郎さんにごみを片付けるよう告げたところ、激しく怒り熊沢被告の髪をつかんで頭を居間の家具にたたきつけたという。

 その日以降、英一郎さんは「殺すぞ」以外の言葉を発しなくなり、夫婦は恐怖から食パンを持って2階に避難していたと述べた。

 また、娘は英一郎さんの存在が原因で結婚が破談となって自殺し、自身も昨年12月に自殺を試みたと話した。

 そして「夫は英一郎のために就職先を探すなど一生懸命だった。どうか、罪を軽くしてください」と懇願した。

どうすればよかったのかの答えはあるか

 第2回公判が開かれた12日は被告人質問が行われ、熊沢被告は「息子のアパートに行き、ごみの片付けや食事を一緒にするなど、コミュニケーションを取ろうとした。アニメの勉強をしていた時、コミケに出品するときは売り子として手伝った」と述べた。

 事件直前の英一郎さんの様子については「息子はものすごい形相で『殺してやる』と叫びながら殴ったり蹴ったりして、本当に殺されると思った。土下座してその場は収まったが、震えるほどの恐怖感だった」と振り返った。

 検察官からなぜ警察や行政に相談しなかったのかを問われると「警察に相談しても面倒を見続けるのは私で、警察ざたにすると関係が悪くなる。主治医には相談すべきだった」と述べた。

 犯行当時の状況については「1階に行くとゲームをしているはずの息子がこぶしを握って立っていた。すごい形相で『殺すぞ』と言われ、以前に受けた暴行を思い出し、殺されると直感した。反射的に包丁を取りに行き、胸や首を刺した」と説明した。

 弁護人の問いには「どうすれば防げたのか。毎日、反省と後悔の日々を送っている。できるだけ寄り添ってきたつもりだが、かわいそうな人生を送らせてしまった。今は冥福を祈るしかできない」と言葉に詰まり、目に涙を浮かべた。

 川崎市の事件(川崎市の登戸駅付近の路上で発生した通り魔事件)については「容疑者が息子と境遇が似ていると思った」としながら「川崎の事件があったからといって、息子が事件を起こすとは考えていなかった」とし、逮捕後とは違う見解を示した。

 ネットでは、やはり「上級国民」への妬(ねた)みからか「息子をモンスターに育てたのは御自身」「上級国民、ザマー」などという批判的な投稿も見られたが、少数だった。

 やはり「無差別殺人を防いだ」「娘を亡くし、それでも原因となったダメ息子に向き合った」「辛(つら)かっただろうに」「罰する意味ある?」など擁護派が多かったようだ。

 今月は通り魔殺人やわいせつ目的殺人など、誰が見ても不快にしか感じられない凶悪事件の判決が相次いだ。しかし、一般的な目で見るといずれも軽い量刑だったように思う。

 一方で、老老介護の末の無理心中(刑法では殺人事件に分類)や、こうした家庭内暴力に耐えかねた親族間の殺人など、胸が痛む事件も多い。

 筆者も、多くの事件・裁判を見てきた。

 だが、被告を断罪し求刑する検察官はどうすればよかったか教えてはくれないし、判決を言い渡す裁判官も説諭をすることはあっても、どうすればよかったのかは教えてくれない。

 捜査段階で「川崎事件」に触れつつ、公判で「考えていなかった」と供述を翻したのは、愛する息子が通り魔になる可能性があったと認定されたくなかったのだろう。

 懸命に支えてきた息子に手を掛け、晩節を汚す悪名を背負う…。それはやはり、川崎事件のような犠牲者を出さないための決断だったと思う。

 実は、熊沢被告の証言には、息子の名誉のために自分をおとしめているという印象を受ける部分が多い。

「上級国民」と呼ばれる地位に上り詰める人物の思慮は、世間が思うほどそう軽くはない。

 司法は「罪人」として裁いたが、無差別殺人の犠牲者が出る事件を防いだ決断に、心が痛む。

 そして、娘が自殺し、息子も死亡し、長年連れ添った夫が服役することで独りぼっちになる奥様が、気の毒で仕方がない。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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