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年賀状は出し続けるべき?定年後にやめたら人脈を失い後悔する人が続出…

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年賀状はやめるべきか?続けるべきか?
年賀状はやめるべきか?続けるべきか? Photo:PIXTA

年賀はがきの発売数は2003年の44億6000万枚をピークに右肩下がりで、2019年は23億5000万枚とほぼ半減した。企業は虚礼廃止の名目でビジネス年賀状をカットし、若い世代が無料のSNSやLINEで「おめでとう」を発信するご時世である。ここ数年は「年賀状やめたら楽になった」というコメントが新聞やネット上に続出。「やめ方伝授」本まで出版されて、老いも若きも断捨離ブームのようなプレッシャーを感じているらしい。やめる理由は「面倒くさい、時間がかかる、お金がかかる」。逆に続ける理由は「近況報告のため、正月行事だから、年賀状が届くから」。さて、あなたはどっち派か?(家族問題評論家・エッセイスト 宮本まき子)

年賀状終了…
「そして誰もいなくなった」

 リタイアして5年目の名誉教授のAさんは、後期高齢者に入った年に「年賀状終了宣言」をした。単に年賀状の宛名書きがおっくうになっただけだったが、見栄(みえ)をはって「小生、高齢のため」と言い訳をつけ加えたら、「明晰な人でもぼけたらしい」「年賀状も苦痛なほどの大病か?」と臆測をよび、遠慮と配慮ではがきどころか電話も来なくなる。

 ひそかに楽しみにしていた教え子たちとの飲み会や、昔の研究仲間との小旅行にも呼ばれなくなってしまった。

 一方、老妻には雨あられと年賀状が舞い込んでくる。「これは年に一度の生存確認。病気や孤独な人がいたら助けて励ますのが浮世の義理で、年寄りのセーフティーネットですから」とやめる気はさらさらない。「浮世の義理」を果たしにせっせと観劇やランチ会、ボランティアに出かけている。

 Aさんは孤高の人の寂寞感と妻へのねたましさを覚えながら、早すぎた終了宣言を後悔しているという。

断捨離したのは
ストレスではなく生身の人間

 体力に余裕があるうちに「出したい人、出したくない人」を見極めて人間関係を整理しようというのが「年賀状終活」の主旨らしい。取捨選択の方法は人それぞれだが、多くは作家のやましたひでこ氏が提唱する「断捨離」、「こんまり」こと片付けコンサルタントの近藤麻理恵氏が提唱する「こんまりメソッドの整理整頓」に準じていると思われる。

 いわゆる断捨離や整理整頓法では、1年使わなかったものはおそらく今後も使わないし、ときめかないものも負担になるので、納得して思い切って処分するのが原則である。

 この手法で「年賀状作成というストレス」を断捨離したら、捨てたのは年賀状交換でつながっていた「人間関係」のほうだった…というケースが少なくないのだ。

 Aさんもその一人…。

 家具でも衣服でもない、うかつにも「生身の人間」と断絶したのをAさんは気づかなかったのである。

 正月のごあいさつという「浮世の義理」を有効利用して、順調に老後のライフスタイルの拡張を図っているAさんの妻のほうがずっと人生巧者なのかもしれない。

SNS利用の省エネ年賀状が
主流になる予感

 定年退職をきっかけに賀状交換をやめるか縮小する人も多い。

 女性総合職のハシリで大企業の部長職を務めたBさんも在職中は年賀状の山と格闘したが、退職後に手にした年賀状が10通足らずで、自身の存在価値を否定された気分でショックを受けた。

 もう表面的な付き合いはゴメンとばかり、同級生や趣味の仲間、兄弟いとこらのLINEグループの間でのみ、メッセージで年賀のあいさつや近況報告をかわしている。作成ストレスゼロ、はがき不要、好きなだけ長文が書けるなど「省エネ年賀状」はいいことずくめだから、将来はきっとペーパーレス化するだろうとBさんは予想している。

 もっとも、相手が仕事の取引先や職場の上司などの場合、SNSやメールによる年賀状は、とても「失礼な行為」と受け止める人もいるので注意が必要だ。

 新人社員のCさんはSNSが普及した時期に育ち、友人間でもメール年賀状が当たり前なので、何も疑わずに取引先にも出してしまった。

 正月明けに他社の役員から「御社は先駆的ですなぁ。年賀状もペーパーレス化ですか」と皮肉られて発覚、上司に叱責されてしまった。現在でも儀礼的なあいさつを書面ではなく、SNSで「手軽に」済まされたと不快に思う人たちが多数いるのが現状だろう。

 便利さだけにとらわれず、相手の世代の習慣や常識で判断する力もつけておこう。

年賀状は
さりげなく人をつなぐツール

 壮年期に人間関係に苦労した人ほど人生の後半は好きな人だけ、気の合う人だけと交流して、わずらわしい他人からは遠のきたがる傾向がある。

 だが、ここで考えてみてほしい。

 仲間とは濃密になるけれど、淡くて薄い付き合いの世間とは関わらないという「ムラ社会の意識」にどっぷりはまることになる。

 今後、同年代の仲間たちは減る一方だし、異世代や異性たちとも付き合っていかないと「ポツンと一軒家」になりかねない。

 部下や教え子、友人の子どもたちなどの若い世代や異性たちなど、年賀状で淡く薄くつながってきた「ご縁」があればできるだけ維持し続けよう。

「すぐ死ぬから」なんて手抜きをせず、「黙って老いてやるものか」の気概で、明るくポップにイケイケで後半生の世界を広げたい。年賀状は新しい知己ともさりげなくつながる最適のツールなのである。

情報と想いを
ギューッと詰め込んだ定期便

 実際、年賀状のやりとりを「とても大切にしている」という人も少なくない。

例えば、Dさんは、

「1年分の義理が63円で済むとは、なんて安上がりな交際費だろう!」と屈託がない。

 若いときはバックパッカーで世界を回り、今は親の介護で実家暮らし。小さな家族写真と近況報告の手作り年賀状は「女房に逃げられていませんメッセージ」と、「ちゃんと社会人やっていますアピール」をいっきに済ませられるチョー便利グッズだ。

 毎年開催の中学の同窓会では各自もらった年賀状を持ち寄って「あいつ、いまどうしてる?」の欠席者情報の回覧に使う。ヤンチャも無茶もせずに真面目に暮らせているのは、年賀状で近況報告するプレッシャーのおかげだそうだ。

 昭和のころのように、いまだに何百枚という大量の年賀状を出すという人もいる。

 例えば、800枚の年賀状をバラまく小規模経営者のEさんは常に時間に追われているから、めんどうな仕分けなどはしないし、会社名や人名の記憶があやふやでも「取りこぼしをしない」ためにとりあえず出しておく。

 PRを兼ねて、仕事用とファミリー用の2通りの「昨年度ご報告」短文を載せるのだが、「数打ちゃ当たる」で正月明けにはいくつかの商談や子どもの縁談まで飛び込んでくる。

 古い年賀状で亡き人の筆跡を懐かしむのもひそかな楽しみだから、自分の代でのSNS乗り換えはありえないとか。

 正月に帰省する子どもらにも毎年読ませて、両親の親戚や交友関係を知ってもらう好材料にしているという。

「いつか来た道」にあおられず
先延ばしという選択も

「年賀状やめる・やめない」論戦で思い出すのが、かつて社会現象にもなったクロワッサン症候群と断捨離である。

 初めのうちはクロワッサン誌が女性の自立を特集したり、整理整頓を自己啓蒙に利用しただけだったのが、曲解されたり過激化したりして「独身のライフスタイルこそ女性の自立自活を可能にする」とか、「限界まで捨てれば精神修養になる」と独り歩きしていった。

 同調した人たちが婚期を逸して「負け犬」スタンプを押されたり、やりすぎて思い出の品まで捨てまくって家族内トラブルになったりしたケースもある。

 今回もブームにあおられて失うものがないように冷静に考えよう。

 年賀状をやめるのはいつでもできるし、後悔するか寂しければ「復活宣言」もできるはずだ。

 長く薄く積み上げた人間関係でも、壊すときは一瞬である。

 年賀状を出す・出さないはブームに流されて早急に決めるのではなく、いくらでも先延ばしにしてもいい課題だと思う。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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