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再び被告の逃走許した大阪地検、収容時の不手際が相次ぐ意外な理由

2019年11月11日 16時00分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

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被告人は手錠のまま逃走した
Photo:PIXTA

大阪地検が、また被告人の逃走を許した。9日未明、覚せい剤取締法違反罪などで起訴されていた大植良太郎被告(42)が護送車から脱走。11日午後2時ごろ、大阪市内で身柄が確保されたが、2日半にわたり逃走していた。10月30日には、無免許運転とひき逃げの罪で公判中の野口公栄被告(49)に逃走されたばかりだった。8日付で着任した田辺泰弘検事正が同日の記者会見で、野口被告の事件について「遺憾であり、住民を不安にさせたことは重く受け止めている」と発言した翌日の失態。市民からは「またか。ええ加減にせえよ」と憤りの声が聞かれた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

右手に手錠のまま逃走

 大植被告は9日午前4時ごろ、大阪府東大阪市新町の路上で、大阪地検の事務官3人が護送していたワゴン車から逃走した。

 全国紙社会部デスクによると、3列シートの3列目に乗っていた大植被告が「手錠がきつい」と話したため、事務官が緩めようとして左手の手錠を外したところ暴れだした。

 ワゴン車は走行中で、大植被告が2列目のスライドドアを開けて半開きの状態になったため、運転していた女性事務官が危険だと判断して停車。大植被告はそのまま開いたドアから逃走したという。

 大植被告は慎重171センチのやせ型で、頭は丸刈り。逃走時は紺色のシャツ、迷彩柄のズボンを着用。靴は履いておらず、はだしだった。

 右手は手錠が付いたままの状態だったとみられる。

 大植被告は覚せい剤取締法違反罪(使用・所持)と大麻取締法違反罪(所持)で起訴されていたが、大阪地裁岸和田支部の判決公判に3回連続で出頭せず、7日に保釈が取り消されていた。

 大阪府警の河内署員が東大阪市で大植被告を発見。事務官が同署で手続きし、収容先の枚岡署に護送する途中だった。

 大阪地検は発生直後に110番。約2時間半後の午前6時半ごろ、東大阪市役所に連絡した。

 現場は先日までラグビーワールドカップの熱戦が繰り広げられていた花園ラグビー場から数百メートルの場所で、町工場や倉庫が多い国道170号沿い。

 近くに住む男性は電話に「なんや、えらいパトカーのサイレン聞こえるな思うてたら、ニュースで『また逃げられた』って。何やっとんねんいう感じやな」と呆(あき)れ果てていた。

公表5時間後、市には連絡せず

 10月30日にも同じ大阪地検が、保釈が取り消され収容予定だった野口公栄被告(事件時49)=自動車運転処罰法違反(無免許過失傷害)と道路交通法違反(ひき逃げ)の罪で起訴=の逃走を許していた。

 逃走劇があったのは午前10時50分ごろ。大阪府岸和田市上野町東の地検岸和田支部前の路上で、息子の仁容疑者(事件時30)=傷害と公務執行妨害容疑で逮捕=が運転手する軽乗用車の助手席に乗り込んで逃げていた。

 野口被告は2月12日、無免許運転で8歳の児童をはねてけがをさせた上、逃げたとして起訴された。3月20日に保釈が決定。5月15日の初公判に出頭し、起訴内容を認めていた。

 しかし、9月9日の第2回公判、10月10日の第3回公判にいずれも出頭せず、同15日に保釈が取り消された。

 そして呼び出しを受けた同30日に収容の手続きについて説明を受けている際、事務官に「荷物を取りに行きたい」と告げ、事務官4人の付き添いで仁容疑者が軽乗用車を止めていた支部前の路上に向かった。

 野口被告は軽乗用車の助手席に乗り込み、仁容疑者がそのまま急発進。制止しようとした男性事務官がはねられ、軽傷を負った。

 野口被告は岸和田支部から約6キロ離れた和泉市にある市営団地の知人に匿(かくま)われており、翌々日の11月1日、身柄を確保された。

 この事件を巡っては、大阪地検が野口被告の逃走を公表したのは発生から5時間後で、岸和田市には連絡していなかったことが問題視された。

 大阪地検は「事実関係の正確な把握と確認に時間を要した」と説明したが、吉村洋文大阪府知事は「府民にすぐ情報を伝えることで、危険が及ばないように対策が取れる。速やかに情報を提供すべきだ」と対応を批判していた。

倍増する収容業務に疲弊

 実は今年に入り、大阪以外にも検察事務官が許した逃走劇がある。

 6月19日、窃盗や傷害、覚せい剤取締法違反の罪で実刑が確定していた小林誠元被告(事件時43)を収監しようと、横浜地検の事務官が神奈川県愛川町の自宅アパートを訪問した際、小林元被告が刃物を振り回して車で逃走した事件だ。

 小林元被告は4日間にわたって逃走を続け、23日に約50キロ離れた同県横須賀市で身柄を確保されたが、この時も検察が地元の愛川町に連絡したのが3時間後だった。

 翌24日、横浜地検の中原亮一検事正が神奈川県庁を訪れ、黒岩祐治知事に「こういう事案を発生させ痛恨の極み。誠に申し訳ありません」と謝罪した。

 一方で、愛川町の小野沢豊町長と厚木市の小林常良市長は25日、地検からの連絡が遅かったとして、当時の山下貴司法相と中原検事正に対し、迅速に情報が共有できる仕組みづくりを求める要望書を提出していた。

 ところで、なぜ収容時の逃走が立て続いたのか。

 結論から言えば「検察の緩み」になってしまうのだが、ほかに被告の権利擁護の流れが背景にあるとの指摘もある。

 というのは、司法統計によると、被告が保釈されたケースは昨年が30.7%と3分の1近くに上ったが、10年前の08年からほぼ倍増(15.8%)しているのだ。

 これは、被告と弁護人が公判に備え打ち合わせる時間を確保すべきだとする考え方や、逮捕や起訴で勾留を続ける「人質司法」を解消しようとする考え方が広まっているためとみられている。

 しかし、検察事務官は増えていないのに、収容業務は単純にここ10年で負担が倍に増えたわけだ。

 前述の全国紙社会部デスクが検察OBの弁護士から聞いたところによると、後輩の現職検察官が「弁護士は申請するだけ、裁判官は許可するだけだが、しわ寄せはこっちに来る」とぼやいていたという。

 被告には推定無罪の原則があり、権利は擁護されるべきだ。

 しかし、検察事務官は警察官のように柔剣道や逮捕術などの訓練を受けているわけではないので、屈強な被告が暴れたら制止できない場合も十分にあり得る。

 実際にこうして逃走劇が相次いでいる以上、裁判官は逃げないだろうという「性善説」に寄りかかるのではなく、保釈に関しては適正な見極めも必要だろう。

 大植被告の逃走により、現場周辺の博物館や図書館、体育館などが休館となり、中止になったイベントもあった。

 迷惑するのはほかでもない、無関係の住民なのだから…。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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