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企業の成長を左右する、「リカレント教育」を受けた社員の遇し方

2019年10月23日 06時00分更新

文● 熊野英生(ダイヤモンド・オンライン

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新人と上司
Photo:PIXTA

 企業にとって人材のニーズは極めて強い。経営陣からは人材づくりの大切さを説く発言は繰り返し聞かれる。にもかかわらず、従業員のスキルアップを目指して活動するときには、その目的に矛盾するようなことがいくつもある。

 筆者はそれを「壁」と呼んでいる。

 入社してからも個人が必要に応じて教育機関で学び、就労と教育を繰り返す「リカレント教育」についても「壁」がある。

組織の行動が変わらないのは
「習慣の束」が壁になっているから

「壁」を作っていることは、組織内の人々が意識的に行っていることではない。意識して邪魔をしているということでもない。

 もっと無意識に習慣的な反応として拒絶しているのだ。

 これは、人材育成に限らず、「こうすれば必ず成果が得られる」と、誰かが強く思っても、予算や人が組織内で利用できないという話に近い。

 組織行動のほとんどは、多種多様な「習慣の束」で出来ていて、そこには利益重視の市場原理ですら変えられない構造がある。

 経済学の中の制度学派的な発想をすると、習慣の束を変化させるには、組織のインセンティブ設計を修正して、時間をかけて異なる習慣づくりを積み重ねるしかない。

 習慣を変化させるためには、まず習慣の構造を分析することが重要ということになる。

 ここ数年、関心が高まっている、人生後半の学び直し、すなわちリカレント教育についても、企業内にはそれを受け入れにくくしている「習慣の束」がある。

 リカレント教育については、政府が「人生100年時代」という言葉を使って、積極的に話題をつくっているだけではなく、すでにビジネスマンの中にも重要性が認識されている。

 そのことは、ビジネスマンの中に、大学や大学院に再度通って、自分のスキルを向上させたいという人が急増していることに表れている。

 これは、理系ではなく、経営学などを教える文系大学院でもそうである。

大学院で学んでも待遇変わらず
積極評価しない経営者

 社会人になってから大学院に通う人の動機について、ヒアリングすると、(1)キャリアアップ(含むキャリアチェンジ)、(2)今の業務の能力向上、(3)やりがいの追求、といった理由が聞かれた。

 中には、起業を目指したり、人脈を作ったりするためとも聞くが、そうした動機は決して多数派ではないだろう。

(1)~(3)は、主に今の自分が属する企業で現在、または将来に役立てることを念頭に置いている。

 ところが、リカレント教育で大学院を卒業した人にヒアリングすると、企業側は従業員が大学院で学んだ学習内容を卒業後に業務に生かそうとしていないことが多いという。

 企業は、大学院に自費で通って卒業したことは評価するが、そこで何を学び、何のスキルを獲得したのかには、意外なほど無関心だ。

 大学院教育は、その卒業をもって賃金上昇や昇進に表れるわけでもない。「評価している」という反応は、具体的な待遇の変化には表されていないのが実情だった。

 この結果だけをみると、意欲をもって大学院に通っても、その時間的・金銭的負担が回収されず、リカレント教育にこれから取り組もうとする従業員のモチベーションを低下させるのではないかと心配してしまう。

 企業がリカレント教育に接する態度は必ずしも温かくはない。

「人材が大切だ」と言っている経営者は多いのだが、なぜ、企業が外部の教育機関で従業員が学んできたことに積極的な評価をしないのか。

 謎としか言いようがないが、リカレント教育を志す従業員にとっては、学んできた知見が仕事で生かしにくい状況は、あたかも「壁がある」ように感じるだろう。

 大学院で学んだ新たな知識や専門技術を実務に応用できないことは、企業の内側に異質な知識を持ち込むことが禁じられているかのように思うのではないか。

 江戸時代の長崎・出島のように、西欧文明に触れた日本人が、その知識を全国の諸藩に持ち帰れない様子にも似ている。

職務の能力向上より
「企業のメンバーシップ」重視

 企業側から大学や大学院の教育内容に関して、不満があることは事実である。学業の知識が直接的に役立たないとか、教養主義的すぎるという意見である。

 筆者は、以前は企業のニーズと大学教育の間にミスマッチがあり、大学は企業のニーズに近づくべきだと考えていた。しかし、大学関係者と話をするうちに、「もしかすると自分が勘違いをしてきたのではないか」と思うようになってきた。

 その理由は、大学院の社会人向け講座では、企業の業務を変革するヒントが数多くあり、教員の意識もそれほど現場の考え方から乖離しているわけではないからだ。

 むしろ、企業が大学に求めているニーズがずれていて、従業員が学んできた内容を詳しく知ろうとすることに無頓着に思えた。外部の知見に対して、不寛容な姿勢があるとすれば、それをミスマッチと呼ぶべきではない。

 日本企業でなぜリカレント教育が積極的に評価されないのか、その答えを探しているとき、社会学者の小熊英二・慶応大学教授の『日本社会のしくみ――雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書、2019年)を読んだ。

 そこでは、日本社会のしくみを構成する原理として、(1)何を学んだかが重要でない学歴重視、(2)一つの組織での勤続年数の重視、の2つが挙げられていた。

 小熊氏は、日本的雇用をメンバーシップ型、欧米その他をジョブ型と呼ぶが、その2つの区分は、「企業のメンバーシップ型」と「職種のメンバーシップ型」と形容する方がよいと主張する。

 企業のメンバーシップとは、企業内で年功を重視して昇進・昇給を決めるシステムである。

 少し意訳すると、職務の遂行能力がその従業員の主な評価基準になるのではなく、人間関係をうまく保つことや上司に忠実であるという要素も重視される。

 職務がまず初めにあって、そこに配置されるのではなく、人がまずあって職務のあり方が決まるのが「企業のメンバーシップ型」の特質だ。

 人物を重視するから、その裏返しとして職務の遂行能力が絶対視(あるいは優先)されない。

 一方で、リカレント教育によって職務の遂行能力を高めることは、その人物が努力して能力開発に成功したという事実が高く評価されることになる。

 これは、新卒者の学歴重視にも重なる点だが、有名大学に努力して入学・卒業できた事実が、その企業で応用力を発揮できるシグナルとして評価されるのと同じだろう。

人材確保や競争力維持のため
日本型雇用に変化の圧力

 では、日本企業が欧米流の職務給・ジョブ型に変化しなくては、リカレント教育のような外部で身に付けた従業員の知識の内容が組織内で評価されないのだろうか。

「そうだ」と答えてしまうと、日本でリカレント教育が根付く可能性がないかのように思われてしまう。

 しかし筆者は、日本企業には少しずつ「職務のメンバーシップ」の方を重視していかなくては、競争力維持や人材獲得ができにくくなる圧力が強まりつつあると考えている。

 わかりやすく言えば、人材を内部選抜だけで昇進・昇給させている企業は、競争に負けてしまう。だから、ジョブ型のポストをより魅力あるものに変えて人材を吸収しなくては、企業の活力を高められなくなるだろう。

 雇用システムの変化は、経路依存的だから、一気に変化しないと思うが、日本企業の中でグローバル化した大企業ほど、また、人材獲得や定着に熱心な経営者がいる企業ほど、従業員が外部で学ぶことを積極的に評価していくようになると予想している。

 企業のメンバーシップが変化していく圧力はほかにもある。

 近年、日本企業の人員構成が、ピラミッド型から逆ピラミッド型へと変わり、年長者たちのポストが不足してきた。年長者をうまく処遇できない状態が長期化すると、中堅・若手を含めて組織への忠誠心(エンゲージメント)が下がっていく。

 一方で企業のメンバーも、男性の正社員中心から、女性やシニア、非正規と多様化していき、企業のメンバーシップだけを従業員の求心力にすることが限界にきている。

 メンバーが多様化する状況では、従業員がそれぞれ自立してやりがいを求めることが重視される。企業や上司への忠誠心よりも、自分が選んだ職務への忠実さの方が、スキルや生産性を向上させる重要な要素になる。

 となると、経営者には働く人々の内発的動機を新しく構築することが求められてくる。現在はその過渡期にあるのだろう。

 今、政府が「働き方改革」を標榜し、企業がそれに触発されて改革に取り組んでいるのも、この内発的動機、自発的な働く動機づけの模索にあると考えられる。働き方改革の機運は、決して偶然ではないのだ。

在宅勤務者の方が
組織への「求心力」高い

 働き方改革について、興味深い示唆を示している論文がある。

 2019年11月号の『ハーバード・ビジネス・レビュー』に掲載された「THE POWER OF HIDDEN TEAMS」(マーカス・バッキンガムとアシュリー・グッドールの共著)という論文だ。

 近年、在宅勤務(リモートワーク)や副業・フリーランスのようなギグワークが増えていて、その反動として、欧米企業では従業員をオフィスに引き戻そうという動きが相次いでいるという。

 在宅勤務はオフィス勤務と比べて、生産性もエンゲージメントも高くないというのが一般通念だったからだ。

 ところが、調査をしてみると、オフィス勤務者よりも在宅勤務をしている者の方が、エンゲージメントが高いことがわかった。

 在宅勤務者は、孤独を感じるどころか、チームの一員であると感じる割合は高かった。

 ギグワークについても同様の結果になったという。副業やフリーランスをしている人は、自分が「社長」だと思って仕事に打ち込んでいる人が多いことも、オフィス勤務だけの従業員よりもチーム意識が高くなる理由である。

 この調査結果は、筆者も思わずその通りだと膝をたたきたくなる。

 例えば、似たような話で、自席を固定せずに自由にメンバーと話せる座席に移動する職場のフリーアドレス制は、従業員の発想力を豊かにするといわれている。

 社外の友人たちと意見交換する場を増やすほど、アイデアが生まれやすいという。

 こうしたことを考えると、おそらく、リカレント教育に打ち込んでいる従業員の方が、エンゲージメントが高くなるのではないか。

 これは、類推であるが、企業がリカレント教育を始めた従業員にどういう姿勢をとるかによって、企業自体の成長に大きな差が生まれるはずである。

 働き方改革は、多様化するメンバーの求心力を旧来型の「企業のメンバーシップ」以外に求めていくためにも極めて有効だと考えられる。

「なぜ、あなたは働くのか?」とたずねられて、給与や昇進のためだと答える人はごく一部の人たちだろう。むしろ、キャリアアップや能力向上のためや、仕事にやりがいを感じるからだと答える人が多数派だろう。

 この理由は、まさしくリカレント教育を受ける動機とぴったり重なる。

 このことに企業の経営者は早く気付いた方がいい。

(第一生命経済研究所首席エコノミスト 熊野英生)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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