このページの本文へ

目黒5歳女児虐待死で父親に懲役13年、なぜ結愛ちゃんは命を落としたのか

2019年10月15日 17時30分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
東京都目黒区で当時5歳だった船戸結愛ちゃんを虐待死させたとして、保護責任者遺棄致死罪などに問われた父親の雄大被告(34)の裁判員裁判判決公判が15日、東京地裁で開かれた
東京都目黒区で当時5歳だった船戸結愛ちゃんを虐待死させたとして、保護責任者遺棄致死罪などに問われた父親の雄大被告(34)の裁判員裁判判決公判が15日、東京地裁で開かれた Photo:PIXTA

東京都目黒区で当時5歳だった船戸結愛ちゃんを虐待死させたとして、保護責任者遺棄致死罪などに問われた父親の雄大被告(34)の裁判員裁判判決公判が15日、東京地裁で開かれ、守下実裁判長は懲役13年を言い渡した。結愛ちゃんの「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」などと記したノートの内容が明らかにされ、世間に衝撃を与えた事件。母親の優里被告(27)も東京地裁で懲役8年の実刑判決を受け、控訴している。雄大被告の公判では元妻の優里被告(事件後に離婚)が証人として出廷したが、DV(家庭内暴力)を受け続けていたため「怖い」とおびえる様子も見られた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

なぜ結愛ちゃんは死んだのか?

 判決理由で守下裁判長は「食事の制限や暴力は『しつけ』の観点からはかけ離れており、(一連の行為は)自らの感情に任せた理不尽なものだった」と指摘した。

  検察側は7日、論告求刑公判で「1ヵ月以上にわたり飢えの苦しみを与え、逃げ場のない被害者をいじめ抜いた犯行の悪質性は比類なく重い」などとして、懲役18年を求刑していた。

 判決によると、雄大被告は昨年1月下旬から、結愛ちゃんに十分な食事を与えず、同2月下旬にはシャワーで冷水をかけたり、顔を何度も殴ったりしてけがをさせた。

 そして、極度に衰弱していたのに虐待の発覚を恐れて医療措置を受けさせず、同3月2日に肺炎による敗血症で死亡させた。

 事実認定については優里被告の審理と同じ守下裁判長が裁定したので、当然だが同じだ。争点は量刑だけだった。

 今回の事件で問われたのは殺人罪や傷害致死罪ではなく「保護責任者遺棄致死罪」だったが、特定の事情があったと認定された殺人罪などより重い刑が言い渡された。

 今回の事件が世に問うたのは、雄大被告に「殺意」があったかどうかなどではない。

 雄大被告が5歳の女児をいたぶり続け、地獄のような苦しみを与え続けた非道さと、なぜ自分が死ななければいけなかったことさえ理解できないまま、この世を去った結愛ちゃんの無念だろう。

 雄大被告は公判で涙を流す場面もあったが、それは結愛ちゃんが流した涙よりはるかに少なく、そして軽く、無意味なものであることは言うまでもない。

 初公判が開かれたのは今月1日。雄大被告は検察官の起訴状朗読の後「間違いありません」と起訴内容を全面的に認めた。

怒気含む声の女性検察官

 女性検察官は初公判の冒頭陳述で、静かに語り始めた。「結愛ちゃんの身長は108センチ、体重は12キロしかありませんでした」「170ヵ所の傷があり、皮膚は浅黒く変色していました」「東京に転居してからの39日間、ほぼ外出していませんでした」

 そして「顔面を殴打し、腫れあがりました。結愛ちゃんは嘔吐(おうと)を繰り返すようになったが、雄大被告は虐待の発覚を恐れ、病院に連れて行きませんでした」と少し、鼻声になった。

 ほおを紅潮させ、目を潤ませながら、明らかに怒気を含んだ声で、雄大被告をこう指弾した。「わずか、5歳11ヵ月の生涯でした」。

 その上で求刑する前提の3点を挙げた。

 (1)犯行の悪質性、(2)動機の情状酌量=責任や非難の程度、(3)被害結果(結愛ちゃんの死亡という結果)の重大性だ。

 証人として出廷した医師は「暴力による身体的虐待があった。飢餓状態でもあったと考えられる」と証言。さらに1ヵ月で体重が4キロ以上減ったことは「2週間から20日、何も食べないのと同様の状態だった」と説明した。

 雄大被告の弁護人は「人の親になるということは難しいことです」「家族の数だけ親の形はあります」とゆっくり語り始めた。

「決して虐待は許してはいけない。それでも彼は父親になろうとしていた」「彼には理想の家族像があった」などと裁判員らに訴えた。

 そして争点になっている保護責任者遺棄致死罪について問うた。「今回、起訴されたのは殺人や傷害致死ではない。虐待や元妻(優里被告)へのDVを裁く場ではない」

 虐待に至った経緯については「雄大被告の理想の家族像は何でも明るく言い合える関係だった。しかし高い理想がプレッシャーになった」「間違った方向に行った」などと主張した。

誰も助けることができなかった

 第2回公判が開かれたのは3日。結愛ちゃんを一時保護した香川県の児童相談所職員が出廷し、雄大被告が「(結愛ちゃんを)しつけているのは俺だ」と強調していたと証言。2回目の保護の際には雄大被告が結愛ちゃんに「帰りたいのか、帰りたくないのか」と問い詰めていたことを明らかにした。

 優里被告も出廷し「最初はとても優しく仲が良く、結愛もなついていました」「だんだん、厳しくなっていった」と証言。

「結愛はとても賢く、ほめられて、そこから『できる』と始まり、『あれもできる、これもできる』というしつけに変わっていった」と振り返った。

 そして、DVを受けていたのに、雄大被告の言いなりになっていたことについて問われると、かろうじて聞き取れるほどの小さな声でつぶやいた。「私がバカだからです」。

 ついたて越しに証言した優里被告は「怖い…、怖い…」と泣きながら入廷した。そして、こう決別の宣言をした。「私一人じゃない。助けてくれる人がいる。もう、近付かないでほしい」

 第3回公判が開かれた4日、雄大被告は「感情のコントロールができなかった。すべて私の責任だ」と嗚咽(おえつ)を漏らした。

 そして、結愛ちゃんのノートについてこう述べた。「私の機嫌を取るために書かされ、申し訳なかった。情けないと感じました」

 そして、弁護士に、虐待を止める機会があったと指摘され「周囲の助言を素直に受け入れられなかった」と肩を落とした。

 雄大被告の後悔など、何の意味もない。行政の不手際も指摘されている。しかし、そんなことを問うても意味がない。もはや取り返しもつかないことになったのだ。

 すべてが、遅すぎた。

 結愛ちゃんは安らかに眠っているだろうか。そんなはずはない。世を呪い、恨んでいるはずだ。

「誰も助けてくれなかった」と。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ