このページの本文へ

ラグビーW杯サモア戦の注目ポジション「プロップ」とは?

2019年10月05日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
日本代表の稲垣啓太
28日のアイルランド戦でアイルランドのガリー・リングローズにタックルにいく日本代表の稲垣啓太 Photo:JIJI

日本代表の快進撃とともに、日本で初開催されているラグビーワールドカップが空前の盛り上がりを見せている。ロシア代表を下した開幕戦に続いて、第2戦では優勝候補の一角アイルランド代表も撃破。トライを決めた松島幸太朗や福岡堅樹に脚光があたる中で、身を粉にして縁の下を支える猛者たちの存在も忘れてはいけない。スクラムの最前列で屈強な大男たちと対峙するディフェンスリーダー、29歳の稲垣啓太が担う「プロップ」というポジションの仕事や適性、積み重ねてきた壮絶な努力を知れば、5日のサモア代表戦を含めたラグビーをもっと楽しく観戦できる。(ノンフィクションライター 藤江直人)

屈強なアイルランドを打ち負かした
注目ポジション「プロップ」とは?

 彼の笑顔を見るよりも、ある意味で胸を打たれた。優勝候補の一角、世界ランキング2位のアイルランド代表から、ワールドカップの歴史に残る金星を挙げた直後の静岡・エコパスタジアムのピッチ。常に無表情で、いつしか「笑わない男」と呼ばれた日本代表の稲垣啓太が泣いていた。

 右手で目頭を押さえながら、嗚咽を漏らしていたのか。寄り添ってきたゲームキャプテン、ピーター・ラブスカフニの肩を借りなければ立っていられないほど感極まっている。ほとんどの選手が会心の笑顔を弾けさせている中で、大粒の涙を頬に伝わせていた猛者の姿が感動を増幅させた。

 稲垣のポジションは左プロップ。試合中にスクラムを組む8人のフォワードの1人で、フッカー、右プロップと組む、フロントローと呼ばれる最前列で相手のフォワード8人との接合点を担う。プロップとは英語で「支柱」を意味する。チームを献身的に、泥臭く支え続ける仕事を託される。

 ならば、稲垣の涙は何を物語っていたのか。アイルランドはフォワード陣の強さをこれでもか、と前面に押し出してくる。スコットランドをノートライに封じ、27-3のスコアで圧勝した先月22日のプールA初戦は、強敵を完膚なきまでに蹂躙したという点で衝撃的だった。

 体重が100キロを軽く超える屈強な大男たちが束になって、鬼のような形相を浮かべながら襲いかかってくる。コンタクトプレーで対峙する、特に最前線での戦いを担うことが多いフォワード陣が恐怖感を覚えないはずがない。そして、相手のプレッシャーを最も受けるプレーがスクラムとなる。

 スクラムは相手にペナルティーキックが与えられない反則、例えばボールを前に落とすノックオンやボールを前に投げるスローフォワード、ラインアウトでボールをまっすぐに投げ込まないノットストレートなどが発生した時に、相手ボールで試合を再開させるセットプレーとして組まれる。

 アイルランドのフォワード陣の合計体重は、実に1000キロ近くになる。稲垣を含めたフロントローの3人はプレッシャーの塊を真正面から受け止めるだけでなく、合計体重が600キロ近くになる、味方のフォワード5人の後押しも受ける。接合点には異次元の力が生じているはずだ。

 そのスクラムで、日本は負けなかった。金星へのターニングポイントをあげれば、6-12とリードされて迎えた前半35分に訪れた、アイルランドボールのスクラムとなる。日本のゴールが間近に見える場所。スクラムからいいボールを出されれば、さらに失点を重ねる絶体絶命のピンチだった。

 果たして、雄叫びを上げたのは日本のフォワードだった。アイルランドを押し込んだばかりか、反則を誘って窮地を脱した。最も自信を持っていた領域で打ち負かされたのだ。日本は一気に戦意を高揚させ、対照的に動揺を隠せなかったアイルランドは最後までフォワード戦で後塵を拝し続けた。

 スクラムの勝敗は、相撲の立ち会いにも通じるプロップ同士の激突に左右される。試合の流れを変えた手応えがあったからこそ、稲垣の胸中に万感の思いが込み上げてきた。そして、チームの誰もがプロップたちへ感謝しているからこそ、同じフォワードのラブスカフニが稲垣のもとへ寄り添ってきた。

 ラグビーでは先発する15人が「1」から「15」までの背番号を託される。プロップは左が「1」を、右が「3」を背負うが、心なしか番号が他のポジションの選手よりも小さく見えることがある。鍛え抜かれた背筋が盛り上がる、大きくて頼れる背中が錯覚を起こさせているからだろう。

 身長の高い選手がフォワードのロックに、小さくて俊敏性に長けた選手がバックスのスクラムハーフに、足の速い選手が同じくバックスのウイングに配置されることが多いラグビーで、もちろんプロップにも適性の体型がある。体重が重く、見るからにがっしりとした男たちが真っ先に指名される。

餃子のように潰れた耳、太い首…
ラグビー人生が凝縮されたプロップの肉体

 中学生時代からプロップを務めてきた稲垣のサイズは身長186センチ、体重116キロ。今大会にプロップとして招集されている5人の平均も身長184センチ、体重117.2キロに達する。もっと飯を食え、もっと体重を増やせ、もっと強くなれ――を合言葉に、青春時代をラグビーにかけてきた証でもある。

 しかも、全員の首が驚くほど太い。全身の筋肉を鍛え抜く中で、特に重要なのが首となるからだ。人間の身体の構造では、首が向いている方向にしか体重をかけられない。必然的に相手チームとスクラムを組み合った瞬間から、首を介して壮絶な力比べのゴングが鳴らされる。

 首をまっすぐな状態に保ちながら、後方から与えられる力を余すことなく相手へ伝えていくために。そして、命にも関わりかねない首の怪我を防ぐために。例えば重いダンベルをぶら下げた紐をくわえ、頭を上下させ続ける壮絶な筋力トレーニングを、プロップたちは自らに課してきた。

 そして、プロップを含めたフォワード陣の耳には勲章が刻まれている。二重三重に耳が潰れて、まるで餃子のように丸まっているアスリートとは柔道やレスリング、ボクシング、相撲、そしてラグビーなど、相手との激しいコンタクトが避けられないスポーツで低くない確率で遭遇する。

 稲垣の耳も例外なく潰れている。プロップの場合は、言うまでもなくスクラムが最大の原因となる。首の取り合いが繰り返される中で、敵味方の耳同士が激しくこすれ合った末に皮下に内出血を起こす。注射で血を抜くのが治療法となるが、当然ながら練習を繰り返せば再び腫れ上がってくる。

 我慢しているうちに耳が餃子のように、海外ではカリフラワーに例えられる形へと変貌してしまう。ヘッドキャップをかぶる防止策もあるが、かえって痛いという理由で、着用が任意となる大学生や社会人になると使用しないフォワードが多い。

 アイルランド戦で右プロップとして先発したソウル生まれの25歳、具智元は左耳に白いテープを巻いてプレーしていた。味方の声も聞こえにくくなるヘッドキャップは嫌だが、耳が痛くなるのも嫌だという選手が取り入れる、精いっぱいの対策が白いテープとなる。

 縦にも横にも重厚なボディ。顔の幅よりも太いように映る首。そして、屈強な相手からも逃げずにぶつかってきた証となる潰れた耳。ラグビー人生が凝縮された三種の神器を引っさげながら、稲垣をはじめとするプロップはスクラムで肉弾戦だけでなく、さまざまな駆け引きを含めた頭脳戦も展開する。

 スクラムだけではない。タックルされた選手がピッチに置いたボールの上で、両チームの選手が押し合いながらボールを奪い合う、ラックと呼ばれる密集プレーへは、相手を弾き飛ばすために率先して突っ込んでいく。巨体を加速させていく勇気と迫力は、見ている側の魂を揺さぶる。

 ラインアウトでロックの選手を持ち上げ、さらに高い位置でボールをキャッチさせる役目も原則としてプロップが担う。ラインアウトから展開されることが多い、ボール保持者が立った状態で密集プレーに持ちこむモールにおいても、プロップは巨体を生かして相手を押し込む仕事を任される。

 連続攻撃を展開している際にバックスの人数が足りなければ、ラインに参加して前へ突進して、再びラックを形成して仲間たちの体勢が整う時間を作ることも珍しくない。黒子に徹し続ける存在にして、まさに「気は優しくて力持ち」を実践し続けられるプロップがいるチームは決まって強い。

稲垣と具が後半途中にベンチに下がれば
日本に勝利が近づいている証拠

 ラグビーには『One for all, All for one』という有名な言葉がある。プロップが体現し続ける美学は「一人はみんなのために、みんなはひとつの目的のために」の精神と一致する。ヒーローはトライを決めた選手になりがちだが、トライに至る過程にはプロップを含めたフォワード陣の献身が欠かせない。

 ラグビーはかつては試合中の選手交代が認められなかったが、1996年から「戦術的入れ替え」が導入されている。ワールドカップを含めた公式試合では、8人を数えるリザーブの選手との交代ができるなかで、左右のプロップの選手が先発フル出場するケースは珍しい。

 30-10で勝利したロシア代表との開幕戦では、後半15分に稲垣が中島イシレリと、ヴァル・アサレリ愛が具と同時に交代。アイルランド戦でも後半13分に具が愛と、同23分には稲垣が中島と交代している。走力をも求められるようになった中で、より心身の消耗が激しくなっているからだ。

 豊田スタジアムで5日19時半にキックオフを迎えるサモア代表戦のプロップには、左に稲垣、右には具が先発する。日本がスクラムで優位に立ち、ラックやモールを押し込み、精も根も尽き果てた稲垣と具が後半途中にベンチへ下がる展開になれば、イコール、日本が勝利に近づいていることになる。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ