このページの本文へ

テコンドー代表合宿中止、内紛を放置していた「大人たち」の罪

2019年09月23日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
テコンドー山田美諭
テコンドー女子49キロ級山田美諭選手(写真左)。そのほかにも有力候補が多数いながら、選手から全日本テコンドー協会への不信感は募るばかりだ Photo:EPA=JIJI

 テコンドーの日本代表合宿が直前に中止された問題で、一般財団法人日本テコンドー協会の運営体制がにわかに問題視されている。

 28人の参加対象者に合宿の出欠を確認したところ、参加を希望したのは2人だけ。他の26人は参加を辞退した。その理由は、協会の強化方針や運営体制に著しく不信があるから、ということが明らかになった。これが今回の騒動の発端である。

 テコンドーは、1988年のソウル五輪から公開競技としてオリンピックに採用され、2000年シドニー五輪から正式種目になった。日本ではそのシドニー五輪、女子67キロ級で岡本依子選手が銅メダルを獲得し注目を集めた。

 だがそれ以上に耳目を集めたのは、次のアテネ五輪に「競技団体分裂のため、岡本選手が五輪に出場できない」という騒ぎが起こったときかもしれない。そのときは、個人の資格で出場するという超法規的な扱いで参加が認められた。

 日本国内のテコンドー組織の分裂や対立は、今回に始まったことではない。分裂、統一、また分裂といった歴史を繰り返している。

 今回、選手たちがこぞって反旗を翻す直接のきっかけも当然あった。

 6月末の総会で、阿部海将強化本部長の理事再任を否決し、協会は強化体制を刷新する方針を確認していた。ところが、8月3日に総会を開き、阿部氏の理事再任が承認された。背景には強力なリーダーシップを発揮している金原昇会長の強い意向があったと選手たちは理解している。そのため、会長をはじめ現体制に強い不満と不信がさらに募った。

分裂と対立を繰り返してきた
日本テコンドー組織の歴史

 できるだけ簡潔に、なぜ分裂を繰り返すのか、背景をまず押さえておきたい。

【背景1】 そもそも、テコンドーは日本の松涛館空手を基に1950年前後に考案された新しい格闘技である。名付け親は日本に留学していた崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏といわれるが、韓国内で普及の中心になったのはまた別の人物たち。そのため、韓国内でも複数の流派がある。

【背景2】 テコンドーがオリンピック種目になったのは、1980年代から世界のスポーツ・ビジネス界で影響力を発揮した韓国の金雲龍(キム・ウンヨン)氏の存在が大きい。IOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ会長(当時)の信頼を得た金雲龍氏は、韓国財閥の現代、サムスンの初代会長らからも支援も受け、1988年ソウル五輪の招致を成功させた中心人物ともいわれる。後にIOC副会長にもなった。

 彼がテコンドーを五輪種目に入れる際、唯一の国際団体として押し出したのが現在のWT(ワールドテコンドー。世界テコンドー連盟から2017年に改称)。このときすでに、他にも団体があったが、存在を無視される形になった。

 実際、いまも日本には、WTより歴史の古い日本国際テコンドー協会という団体があるが、この団体に所属する道場の選手たちは、最初からオリンピックには出場できない身の上にある。同じテコンドーという名の競技だが、ルールも違う。IOCからは「別の競技」と見なされているようなものだ。

【背景3】 さらに、WTの傘下にある全日本テコンドー協会もたびたび内紛を起こし、直近では、2014年にJOC(日本オリンピック委員会)からの補助金不正処理問題に端を発し、体制に異を唱える人たちが協会を離れ、全日本テコンドー連盟を結成して現在に至っている。

 JOCの補助金を正当に帳簿処理しなかった、選手に規定額を提供しなかったなどの疑惑を内閣府から指摘されたのは現会長の金原昇氏ら執行部だが、結果的に実態は明らかにされず、不正は何もなかったかのように金原体制が続いている。

分裂した組織は「認めない」
全日本8連覇でも五輪に出られない

 この時、改善を強く提言しながら一蹴され、やむなくたもとを分かった全日本テコンドー連盟・武田正博理事長は、私の取材に、次のように話してくれた。

「公益財団法人だったから、内閣府から厳しい追及を受けたわけだよ。私たちは、これで協会の体制が一新されると期待したのですが、とんでもない方法で逃げ切っちゃったんだね。公益財団法人を自から返上して、一般財団法人にしたんだ」

 公益財団法人でなければ、厳密な報告もいらない、内閣府の厳しい監査も受けずに済むというわけか。実際、これを境に金原会長らに対する責任追及も収まった。武田理事長が言う。

「我々は全日本テコンドー連盟を作ったあと、JOCの事務局長に会って、『新しい団体ができたから、こちらも認めてほしい』とお願いしました。けれど、まったく真剣に取り合ってもらえませんでした」

 すでに認められている全日本テコンドー協会こそが唯一の競技団体で、勝手に離脱したグループは認めないというスタンスだったという。

 この問題は、取材すればするほど、あきれた事実が次々と浮かび上がる。今年も含め全日本選手権で8年連続優勝の実績を持つ江畑秀範選手は、こう話してくれた。

「リオ五輪のときは、日本から代表を送る階級が68キロ級と58キロ級と決められました。私は80キロ超級ですから、その時点でオリンピックへの道が断たれたようなものです。その後、金原会長から直接電話がかかってきました。そして、『オリンピックに出たかったら、15キロ減量しろ』と。私は身長が197センチですから、80キロでもかなり細い方です。トレーナーに相談したら、『減量は不可能ではない。だけど、動けなくなる』と言われてあきらめました」

JOCと日本スポーツ協会は
協会の体質・問題点を黙認か

 報道では、「2人が参加を希望」とあるが、選手たちの話を聞くと、これは「大人の騒動に巻き込むのはかわいそう」との配慮から内情を告げられず、実態を何も知らなかった高校生と大学生の2人ではないかという。つまり、実質的には全選手から協会の強化活動に「ノー」が突きつけられたのも同然だ。

 協会の問題点を指摘する声はまだ多数聞いたが、本稿では、大半のメディアがあまり指摘しない核心を最後にひとつ指摘したい。

 合宿中止が発覚し、メディアが問題視すると、内閣改造で就任したばかりの萩生田光一文科大臣、橋本聖子五輪担当大臣らが「上から目線」で遺憾の意を表明し、改善を命じるコメントを発していた。

 私は彼らのこの態度や言動に違和感を覚えた。なぜなら、JOCや文科省、日本スポーツ協会は、全日本テコンドー協会の体質や問題点を知っていたはずだ。知らなかったとすればそれもまた問題。JOCの事務局長(当時)は分裂した全日本テコンドー連盟の武田理事長から直接請願を受けているし、内閣府の指摘で明らかになった不正や疑惑は広く報道されているから知らないはずがない。

 内閣府は公益財団法人でなくなれば管轄外になるのだろうが、公益だろうが、一般だろうが、唯一の競技団体が公正に運営されているかをJOCは調査し、課題があれば改善を促す立場にあるのではないだろうか。

 各競技団体の“自治”を優先する姿勢も重要だが、スポーツ団体としての良識を逸脱する団体や体制を黙認するのもまた、おかしな現実ではないだろうか。JOCはスポーツ人による、スポーツ選手のための組織でなくなっているように思えてならない。その点も明確に指摘され、議論し改善されるべきだと考える。

(作家・スポーツライター 小林信也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ