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50代からの「人生の2周目」こそ自分らしく生きられる理由

2019年09月04日 06時00分更新

文● 齋藤 孝(ダイヤモンド・オンライン

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写真はイメージです Photo:PIXTA

「人生100年時代」といわれる現代。人生の「1周目」が50歳ぐらいまでだとすると、そこから「2周目」が始まります。しかし、50代は体力的、精神的な衰えを実感しやすく、「2周目」に希望を持てない人も多いのではないでしょうか。そこで今回は、明治大学文学部教授でメディアでも活躍されている齋藤孝氏の最新刊『人生は「2周目」からがおもしろい』(青春出版社)から、50代からの「人生2周目」を楽しむために必要な心構えを紹介します。

仕事も家庭も落ち着いた「2周目」に希望は持てない?

 私自身もそうだったのですが、50代半ばくらいで体力的、精神的な衰えを痛切に感じたことがありました。生物学的な衰えはいかんともしがたいものがあります。

 ビジネスパーソンだけでなく、家庭の主婦にしても自営業の人にしても、50代の半ばが一つの人生の転換期のような気がします。それまで一生懸命やってきて、自分の限界や人生の楽しさといったものも含めて一通りわかってしまったような「一回りしたな」という感覚と言ったら良いかもしれません。しかし、「2周目」は、そんなに希望が持てないものでしょうか?

 結論から言いましょう。人生は2周目からがおもしろい!2周目こそ本番なのです。

 というのは、1周目は、上司や会社、売り上げが評価を決めるという掟の中で成果を上げ、社会の中で身を立て、生活の基盤を確かなものにしてきました。しかし50歳を過ぎると、軸足を完全に「ビジネス社会」や「他者からの評価」に置かなくてもよくなります。自分をがんじがらめに縛っていたビジネス社会の軛くびきから少しずつ自由になれる人生が始まったことを意味します。他者からの評価だけではなく、自分の基準で自分のやりたいことを選択できる可能性が広がるということでもあります。

 さらに、2周目の醍醐味のひとつは、若い頃に学びきれなかったものを再び学び直すことができることでしょう。たとえば中学や高校で学んだ学科は、本来すべて、いまさかんに求められているリベラルアーツ、つまり「真善美」を身につけるためのものです。数学や理科などの自然科学で森羅万象の真理を身につけ、地理や歴史、政治経済などの社会科学や国語、文学、芸術で善なるものや美なるものを知る。ところが若い頃の勉強は試験のためになりがちで、本来の目的である「真善美」の追究ができませんでした。それでは学問の本来のおもしろさ、価値がわかりません。そういった進学や就職を目指す必要のない2周目こそ、「真善美」を追究する勉強が可能なのです。つまり、学ぶことのおもしろさと価値を知ることができるのが2周目でもあるのです。

 一番もったいないのは、2周目に入ったのにずっと1周目の価値観にとらわれ、そこから離れられないことです。そこで「2周目には2周目の生き方、考え方がある」というシフトチェンジができないと、2周目のおもしろさはわかりません。

50代からの肉体的衰えは自己コントロールで防げる!

 特に男性の場合、特に50歳くらいを過ぎると、男性ホルモンであるテストステロンが激減するそうです。テストステロンというのはモテ薬のようなもので、一種フェロモンのような作用があるそうです。若い頃は自然に分泌されるのですが、高齢になると減ってしまう分、男性としての魅力が感じられなくなるのです。普通の人はやはり50歳を過ぎたあたりから、異性が昔のように自分に関心を持ってくれない事実を嫌というほど感じることがあるのではないでしょうか?

 しかし、たとえば、筋トレは50代で激減すると言われているテストステロンを分泌させる効果があるそうです。自己コントロールをして生活を律し、適度に運動不足になりがちな身体を動かしてやる。それによっておのずと気持ちも前向きになるでしょう。2周目の人生を積極的に生きるためには、まず肉体のメンテナンスが不可欠だと思います。

 むしろそれによって、不摂生していた30代、40代より50代の方が健康的で元気だという人が結構いるのです。何もせず、すべてがありきたりで新鮮さを感じなくなる。そうならないために、意識して自分をコントロールし、高校時代に好きだった日本史と英語を学び直すなど、「下手の横好き」でかまわないので、自分の好きなものを絞り込み、高める。これらのことができれば、「2周目」ほどエキサイティングで実りの多いものはありません。

「1秒で忘れる技術」が心の荷台を軽くする!

 50歳以上の人を見ると、新鮮さに欠け老けた感じのする人と、逆にむしろそれまでよりも生き生き元気な人に、極端に分かれるような気がします。すっかり世慣れてしまい、ときめきを失ってしまう。まったく何事にも心を動かさない人の顔を見ると、能面のように表情が硬直しています。生き生きした感情の動きが見られないのです。

 そういう人は、人生の2周目を楽しむことは難しいでしょう。では、なぜ心も表情もそのように「固く」なってしまうのでしょうか?私は一つの原因は、自分で人生を「重くしている」からではないかと考えています。つまり「心の荷台」に荷物をたくさん積み込みすぎて重くしているのです。要するに心配事がたくさんあるということ。

 まずは「心の荷台」を軽くしましょう。本当に必要なものだけを選び出し、その他の荷物は捨てるのです。中にはトラウマのようなものも含めて過去のさまざまな体験や記憶、こだわりや執着からくるガラクタのような荷物がたくさんあるはずです。いい記憶もあれば忌まわしい記憶もある。10代からのストレスが全部乗っている。家のこと、家族のこと、仕事のこと、あらゆる心配事で荷台がいっぱいになっています。

 たとえば、親との関係がうまくいかなかった、若い時に誰々にあんなに嫌な言葉を言われた、多くの人たちの前で面目をつぶされ恥をかかされた。もう20年もたっているのに今思い出すだけでも、キーボードを打つ手が止まるほどムカムカしてくる。そんな怒りや恨みもあるでしょう。しかし、負の記憶まで後生大事にずっと抱えている必要はありません。それではどんどん重くなり動きが取れなくなってしまう。

 私もやっていることですが、忘れたい過去、捨てるべき体験は、「よし、これは忘れよう。捨ててしまおう」と、心の中で一度決心し、心の中でしっかりと「バッテン印」をつけるのです。

 しかし、人間は弱い生き物ですから、捨ててしまったことでも、またふと思い出してしまう癖があります。その瞬間、バッテン印をつけたことを思い出し、「それ以上考えない」と、強烈な意志をもって決めるのです。

 それでも、またムクムクと記憶が首をもたげてくることがあります。そうしたら、「これについては、もう考えない!」と「1秒」で意識から振り落とす。私はこれを習慣的にやっています。芥川の『蜘蛛の糸』のように、あたかも私の心にぶら下がった糸をたどって嫌な記憶がよじ登ってくる。「また来たか! もうお前とは縁を切ったはずだ」とハサミでチョキン!と切る。嫌な記憶は真っ逆さまに谷底に落ち、消えていくというイメージです。

 不思議なもので、こういうことを繰り返すうちに、次第に本当に忘れてしまいます。いつしか記憶はすっかり風化して、心のごみ箱の中に完全に収まってしまいます。そうやって「心の断捨離」をしていくことで、「2周目」を心から楽しめるようになるのです。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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