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京アニ犠牲者全員の身元公表、メディアが苦悩した実名報道の在り方

2019年08月31日 06時00分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

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京アニ犠牲者全員の身元公表、メディアが苦悩した実名報道の在り方
京アニ事件犠牲者の実名報道の在り方について、メディア関係者は考えさせられた。写真は京都新聞の8月28日朝刊。「京アニと描いた輝きは消えない」との見出しで、犠牲となった35人全員のプロフィールなどが掲載されている

京都市のアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオの放火殺人事件を巡り、京都府警は27日、これまで公表していなかった犠牲者35人のうち25人の身元を明らかにした。府警は2日、葬儀が終わり、遺族の了解を得られた10人の身元を公表。残る25人についても遺族と調整を続けてきた。この間、京都府内の報道機関で組織する「在洛新聞放送編集責任者会議」が20日、府警に速やかな身元の公表を要請していた。身元の公表が事件発生から40日後というのは極めて異例だが、ネットなどでは「遺族が望まない実名報道は不要」などの声もあがっていた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

才能豊かなアニメーターたち
最後の葬儀が終わり全員実名公表

 府警の西山亮二捜査1課長は、身元の公表が1ヵ月以上たってからになった理由を「凄惨な事件で、ご遺族が死を受け入れるまでに時間がかかっていると認識した。ご遺族の意向を丁寧に聴き取りながら、葬儀の実施状況を考慮し、広報の方法とタイミングを慎重に検討してきた結果、最後の葬儀が終わり、本日の公表になった」と説明した。

 25人のうち、20人の遺族が実名の公表を拒否しているというが、それでも公表に踏み切った理由について、「事件の重大性に加え、社会的関心が高く、公益性も考慮し、公表した方がいいと判断した」と述べた。

 また、このまま匿名にしたままだと「色々な憶測が飛び交い、(ネットなどで)誤った氏名や経歴が流されるなど、犠牲者や遺族の名誉が著しく傷つけられる恐れもある」と語った。

 身元は府警記者クラブにしか公表されていないが、京都新聞などによると、身元が公表された25人は、人気アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)』の総作画監督を務めた寺脇晶子さん(44)、『響け!ユーフォニアム』シリーズで楽器専門の作画監督を担当した高橋博行さん(48)ら、21~49歳の男性8名、女性17名。

 2日に公表された10人と合わせ、犠牲となった35人はいずれも京アニ従業員で、21~61歳の男性14人、女性21人。この春に入社したばかりの兼尾結実さん(22)も、志半ばで夢を絶たれた。

 いずれも、世界中に夢と希望を発信してきた才能豊かなアニメーターだった。

京アニの代理人から抗議
実名報道に懐疑的な声も

 一方、京アニの代理人弁護士は27日、報道各社に対し「弊社の度重なる要請及び、一部ご遺族の意向にかかわらず、実名が公表されたことは大変遺憾です。改めて故人及びご家族のプライバシーと意向を尊重いただくようお願い申し上げます」とするコメントを発表。府警に対しては抗議文を出したという。

 事件発生から4日後には、京アニが「実名が発表されると被害者や遺族のプライバシーが侵害され、ご遺族が甚大な被害を受ける」などとして、府警に対して発表を控えるよう要請していた。

 ネットでは「他人の不幸が飯の種のマスゴミ」「部数や視聴率を稼ぐために他人の不幸を利用するな」などと辛辣(しんらつ)な投稿も見られる。

 遺族が拒否しているのに実名で報道するべきではないとして、オンライン署名サイトなどでは、身元公表に反対するキャンペーンが複数立ち上がった。

 筆者の後輩の全国紙社会部デスクによると、こうした状況に、メディア側も細心の注意を払ったようだ。府警記者クラブは事件発生3日後から過熱した取材を避けるため、協議を重ねてきた。

 具体的には、メディアスクラムを避けるため、取材が可能かどうかは代表社が意向を確認する、取材対応が可能な場合でも取材する記者の数は遺族の意向を反映させる、などだ。

 また、実名報道を巡っては現場の記者たちの間でも「どうあるべきか」という議論があり、様々な意見があったという。

 特に、中堅記者からは「事件の悲惨さを伝えるのは匿名でも可能なのではないか」「ご遺族の意向に沿わない実名報道は世間に受け入れられるのか」などの声があがったという。

苦悩するメディア関係者
取材手法は適切だったか

 27日に実名報道するに当たり、新聞各社は「お断り」を掲載した。共通するのは「実名で報じることを原則としています」だが、原則の理由は「亡くなった方々の氏名を含め正確な事実を報じるため」とのことだ。

 京都新聞は「犠牲者全員の身元を実名で報じます。関係者の安否を明確に伝え、事件を社会全体で共有するには、氏名を含む正確な情報が欠かせません。尊い命を奪われた1人1人の存在と作品を記録することが、今回のような暴力に立ち向かう力になると考えています。これまでの取材手法による遺族の痛みを真摯(しんし)に受け止めながら、報道に努めます」とした。

「これまでの取材手法」とは何を指すのか。おそらく事件発生から時間が経過しないうちの早急な取材や、メディアスクラムを指しているのだろう。

 前述の全国紙デスクに「先輩が現役の頃はそういう時代だったんでしょうね」と問いかけられた。

 確かに駆け出し記者だった昭和の頃は、見るに堪えない有様だった。ドラマのような表現は誇張し過ぎだが、近い状況もあった。平成になり「メディアスクラム」という概念が生まれて批判されるようになったが、それでも平成半ばまでは続いたように思う。

 しかし最近はネットが普及し、メディアスクラムのような状況をつくってしまったら、それこそネットユーザーに攻撃の糸口を与えるようなものだ。令和になり、メディアで働く記者たちも、そこまで愚かではない。

 メディアスクラムのような暴挙は絶対に避けなければいけないが、一方で実名報道は一部に批判があるからという理由で、すべて止めるべきなのだろうか。

 筆者は現役の全国紙記者時代、どちらかと言えば「なくてもいいのではないか」派ではあったが、「絶対になくすべき」までの根拠と理屈は持ち得なかった。当たり前だが、それぞれの新聞社・テレビ局、それぞれの編集局・報道局、それぞれの記者で考え方が違い、それぞれに絶対的な正解や間違いはないからだ。

 それだけに、今回はメディア側にとっても色々と苦悩し、熟慮する機会になったのではないだろうか。

「35分の1」ではない
ちゃんと名前があった

 25人の身元が公表された27日、犠牲者のうちの1人である石田敦志さん(31)の父・基志さん(66)が捜査本部のある伏見署で記者会見し、「息子は『35分の1』ではない。ちゃんと名前があって毎日、頑張っていた」と記者団に語りかけた。

 そして「私たちにできるのは多くの人に記憶していただくこと。石井敦志というアニメーターが確かにいたということを、どうか、どうか忘れないでください」と訴えた。

 遺族の多くが身元の公表を拒否する中、事件発生直後から実名を公表しながら息子の人生について語ってきた基志さん。

「こんなにも理不尽で悔しく、苦しくて、悲しいことがあるとは思ってもみなかった。胸が張り裂けそうです」

 自身の、そして息子の無念を代弁してきた。

 25人の身元公表を受けた報道で、基志さんの記者会見のほか、犠牲者のプロフィールなどを紹介する報道も目にされたと思う。

批判はあっても
情報発信を続けるしかない

 ネットなどでは「悲しみに暮れる遺族の取材をするな」という投稿も散見される。しかしこうした報道は、嫌がる遺族や友人ら関係者を追いかけ回して、無理やり口を開かせたわけではないことはご理解いただけるだろう。

 積極的ではないにせよ、アプローチがあったら自身の心情や思いを吐露したいという方は、意外かも知れないが実は少なくない。

 ネットなどでは時々「情報はネットが報じている。新聞・テレビは不要」「オールドメディアは役割を終えたオワコン」との極論も目にする。しかし、そのネットに情報を提供しているのは多くが新聞・テレビだ。

 様々な批判はあれど、メディアは「どうあるべきか」を模索しながら、情報発信を続けていくしかない。

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 京都アニメーション第1スタジオの放火殺人事件で犠牲になり、氏名が公表された35人の方々に、改めて追悼の意を表します。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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