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16人の首相に仕えた男が語る、「安倍一強」が実現した理由

2019年08月14日 06時00分更新

文● 横田由美子(ダイヤモンド・オンライン

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2006年、首相時代の小泉純一郎氏
小泉氏や中曽根氏など、長期政権を敷いた首相には、いくつかの共通する特徴がある。そして、安倍首相もそれらの特徴を持っている――そう田村氏は分析する Photo:JIJI

自民党政務調査会で16人もの首相に仕えてきた田村重信氏。首相たちの素顔を知り尽くした田村氏は、「安倍一強」が実現した背景には、いくつかの要因があると語る。(ジャーナリスト 横田由美子)

長期政権の首相は
前任者が不人気である

「安倍一強」という言葉がメディアに躍るようになってから久しい。事実、11月20日で、安倍晋三首相(第90、96、97、98代) は、桂太郎(第11、13、15代) の在職日数を抜き、憲政史上最長の在職日数を更新することになる。

「今はそういう認識はあまりないかもしれないけれど、安倍さんは間違いなく、後世に残る“大宰相”だ。私には、なぜだかわかるような気がします」

『秘録・自民党政務調査会 16人の総理に仕えた真実の告白』を出版した田村重信は、そう語る。現在は、自民党政務調査会嘱託を務める田村いわく、中曽根康弘(第71、72、73代)、小泉純一郎(第87、88、89代)、そして安倍には、大きく2つの共通点があるという。

 1つは、前任者の首相がさまざまな要因で、不人気だったことだという。

 中曽根の前の鈴木善幸(第70代)は、大平正芳(第68、69代)が大きく支持率を落とす中で急死したため、中継ぎ的に首相に就いた。小泉の前は森喜朗(第85、86代)で、森政権時代、内閣支持率が7.9%にまで凋落したことを覚えている人も少なくないだろう。

 そして、二度の政権交代を経て、2012年に第二次安倍政権がスタートする前は、悪名高き「民主党政権」。その政権運営のまずさで、驚くべきスピードで民意が離れた。

 そういう意味では、民主党政権発足当時の鳩山由起夫(第93代)も長期政権を敷ける土壌は持っていた。なにしろ、国民が自民党に見切りをつけていた頃で、前任の麻生太郎現副首相(第92代)は、衆参ねじれ国会の運営に四苦八苦していた。それだけではない。マスコミは「漢字が読めない」「庶民感覚が欠如したぜいたくぶり」など、麻生の首相としての資質に疑問符を突きつけていた。そして、自民党は衆院総選挙で大敗し、下野した後に、鳩山がさっそうと登場したのだから。

間近で見た
小泉の意外な素顔

 ここで田村が指摘するのは、長期政権に必要な2番目の資質である「首相になる準備ができていたかどうか」ということだ。

田村重信氏の「秘録・自民党政務調査会」

 宇野宗佑(第75代)、細川護煕(第79代)、海部俊樹(第76、77代)などは、いずれも短命内閣として知られる。宇野と海部は、竹下登内閣の時に起きたリクルート事件(1989年)の余波で、首相候補に軒並み土がついたため、首相の椅子が巡ってきている。

「誰も、宇野や海部が首相になるなんて夢にも思っていなかった。こうした時流だけは誰も読むことができない」と、当時を知る元議員も現職議員も口をそろえる。

 かつての自民党総裁選は、まさに首相の椅子をつかむための選挙だった。権謀術数が張り巡らされた苛烈な戦を、緻密な戦略と強力な運で勝ち抜いた者だけが、首相の椅子に座ることができたのだ。

 そういう意味で、海部や宇野、森も含めた短命内閣の主は「自分自身も首相になると思っていなかったのではないか」と、見る向きは多い。

 安倍も最初に首相に就任した時は(第一次安倍政権)、1年の短命で終わっている。この時は、首相になる準備が完全にはできていなかったからだというのが、田村の見立てだ。

 小泉は安倍を引き立て、後継にした。しかし、同時に負の遺産をも引き継いだ。圧倒的な人気を誇り、しかも、惜しまれつつ退場した小泉の後では、どうしてもかすんで見えてしまうことは間違いない。また、小泉には「郵政民営化」、すなわち「官から民へ」という強烈な政策的信念があり、政敵を次々と追い落とした。

 郵政選挙の4年後、自民党は下野に下るのだが、この時の選挙で小泉が元首相として全国遊説した時、田村が随行していたという。その時、田村は、表の顔とは全く違う小泉の寡黙ぶりに接し、驚嘆したという。

執念を持ってチャレンジした
首相は長続きする

「新幹線の中では微動だにせず、新聞各紙、スポーツ紙にまで全て目を通す。トイレにも行かないし、車窓も眺めない。そして帰路では、だいたいカップ酒の日本酒を飲んだ」

 その時間を使い、田村は一度、ずっと聞いてみたかったことを思い切って質問したことがあるという。それは、党内分裂選挙になってもなお、なぜ郵政解散に至ったのか、ということだ。

 すると、小泉はこう答えたという。

「僕は郵政法案が通らなかったら、解散するといっていた。でも誰も信用しなかった」
「僕はね、絶対に郵政法案を通すつもりだったし、もし通らなかったら絶対に解散するつもりだった。田村君、これを何というかわかるかね…信念だよ」

 詳細は、田村の本に詳しいが、小泉の強靱な意志を感じさせるエピソードだ。首相を辞めても、わずかな移動時間でさえ無駄にしないのだから、それより以前の小泉の不断の努力は、想像を絶するものだったに違いない。

 小泉は「YKK(山崎拓、加藤絋一、小泉)」のトリオで知られるようになったが、首相になるのは誰もが加藤だと考えていた。3人でなじみの料亭で毎晩のように会合を持っていたが、上座は加藤、一番の末席が小泉だった。奇人変人と誹られ、バカにされながらも3度総裁選に挑戦し、最終的に首相への切符を手にしただけでなく、小泉劇場と呼ばれる手法を駆使してブームすらつくりあげた。

 総裁選に挑戦してみた、という政治家は恐らく数多くいる。しかし、ここまで執拗に挑戦し続けた政治家はまずいない。そういう意味では石破茂も、いつか首相になる日がきてもおかしくはない。

 石破のそれは、単なる準備というよりも「執念」とも呼べるかもしれない。

 一方、第一次政権で大失敗するまでの安倍には、このような執念はなかったはずだ。

第一次政権で失敗した
安倍は努力家に変貌した

 安倍は、首相の座を外れた後の2007年から12年までの5年間、周囲が驚くほど勉強していたという。また、若手議員の応援には、率先して駆けつけるようになった。若手議員たちが、「少し煙たく感じていたようだった」(官邸関係者)というほどの変貌ぶりである。櫻井よしこなど、右派系論壇人とも積極的に交流をもつようになった。逆にいえば、それまであまり汗をかいていなかったということの証左でもあるが…。

 満を持して安倍が2回目の総裁選に出馬した時、所属派閥である清和会のトップは町村信孝。周囲では当然、「ボスを差し置いて出るのか」という非難の声が強かった。その声を押しのけてまで「もう一度、首相の椅子に座るんだ」という安倍の意志はすさまじかった。

 当然、反発も大きかった。当時、清和会の真の首領であった森喜朗、山崎拓(現石原派最高顧問)、渡邉恒雄読売新聞社主などの間で「談合」が持たれ、石原伸晃を推すことが決まったのだという。

 しかし、安倍の準備(執念)は、石原や石破などの敵失によって成就することになる。自民党本部での決選投票日、本部の前で安倍に心酔していた言論人が、日章旗を振って、「フレー、フレー、安倍!」と、叫んでいた。

 そうして、党内野党時代に臥薪嘗胆して耐え忍んだ経験が、全て敵失で報いられるという皮肉な結果を生んだのだ。それが安倍長期政権の最大の理由である。田村は言う。

「民主党がなぜダメなのか。それは、再び野に下っても離合集散を繰り返しているからだ。反省せずに、党名が悪いと言っては名称を変える。選挙になると、小池新党にいったり、立憲民主党に分かれたり、日に日に混乱に拍車をかけている。これが、安倍さんが6回も国政選挙に勝てた最大の勝因ですよ。誰もが野党よりマシだと思うでしょう」

 田村は、それもまた、「時流」という誰も読めない風に乗れた安倍の強運であるというが、安倍には、5年をかけて側近と共に下絵を描いた小泉の「郵政民営化」のように、「信念を持った政策」がある。憲法改正だ。郵政法案同様、否、それ以上に賛否両論が大きく、歴代首相が避けてきた課題でもある。

 最近の安倍は、党則を改正して4選を目指し、その布石として、来秋までに解散総選挙を打つと見られている。その時に、「憲法改正」は錦の御旗になるのか。そしてそれは、民意を得られるのか。いかに安倍が強運に恵まれた宰相であったとしても、時流が彼に味方するかどうかは、16人の首相に仕えた田村ですら、想像もつかないという。
(文中敬称略)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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