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夏の甲子園勝利数ランキングベスト100【2019年完全版】

2019年08月06日 06時00分更新

文● 森岡 浩(ダイヤモンド・オンライン

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夏の甲子園勝利数ランキングベスト100【2019年完全版】
第1回大会から前回の100回大会までで最も勝利数が多い高校は?(写真はイメージです) Photo:PIXTA

今日から夏の高校野球が始まった。今年は第101回大会、そこで、第1回大会から前回100回大会までの高校別通算勝利数ランキングベスト100を作成した。どんな学校がランクインしたのか見ていくことにしよう。

 今日から夏の高校野球が始まった。今年は第101回大会、そこで、第1回大会から前回まで、100回に及ぶ夏の大会での高校別通算勝利数ランキングを作成した。100回大会までに通算10勝をあげている学校はちょうど100校ときりのいい数字におさまった。

 戦後の学制改革によって、それまでの中等学校が現在の高等学校に変わったが、この前後において全国各地で学校の離合集散があり、どの学校をもって今の学校の前身とするかに異説が生じる場合もあるが、その変遷も含めて紹介したい。

 まずはベスト10入りの高校から取り上げていこう。

1991年からの28年間だけで、
ベスト10入りした高校は?

 10位は大阪桐蔭高(37勝5敗)。意外と順位が低いと思う人がいるかもしれないが、大阪桐蔭高が初めて甲子園に出場したのは1991年の春(成績はベスト8)。当時はまだ創立して間もない頃で、この年の夏に初出場で初優勝を達成した。以来28年間で37勝をあげている。100年に及ぶ夏の甲子園の歴史の中で、直近の28年間だけで通算記録のベスト10に食い込んでいるというのはすごいことだ。

 しかも37勝に対して負けはわずかに5、勝率は.881と極めて高い。夏の甲子園で大阪桐蔭高に土をつけたのは、東邦高(愛知県)、駒大苫小牧高(北海道)、早実(東京都)、明徳義塾高(高知県)、仙台育英高(宮城県)の5校のみ。いずれも全国的に知られた強豪だ。

 昨年の100回大会でも優勝しており、このままの勢いで勝ち続けると、いずれトップに肉薄してきそうだ。

高知商は準々決勝で
2度も同じ高校に敗退!

 第9位は古豪の高知商(38勝23敗)。1970年代から80年代にかけて活躍したものの、2006年を最後に甲子園から遠ざかっていたが、昨年12年ぶりに甲子園に出場すると、2勝をあげてベスト10を維持した。

 実は古豪とはいいながら、戦前は1回も甲子園に出場したことはない。戦後の1948年に初めて出場、特に1980年代末には公立高校ながら次々と好投手を擁して活躍した。惜しかったのは、1983年と85年。いずれも準々決勝で清原和博選手、桑田真澄選手率いるPL学園高に敗れたことだろうか。

 第8位は県岐阜商(39勝27敗)。あえて「県」とつけるのは別に市立の市岐阜商があるからで、こちらも夏の甲子園に4回出場している。

 県岐阜商は戦前に優勝4回(春3回、夏1回)、準優勝2回(春1回、夏1回)している名門。1980年代後半から90年代にかけて低迷した時期もあったが、2009年夏には45年ぶりに準決勝に進出するなど、近年再び甲子園で活躍している。

 続いて2校が第6位に並ぶ。1校は早実(43勝28敗1分)。1915年の第1回大会に出場した名門で、県岐阜商と同様に1980年代後半から90年代にかけては低迷したものの、戦前戦後を通じて強豪の地位を保ち続けている。なお、創立100年周年(2001年)を機に、新宿区から国分寺市に移転し、それに伴って予選地区が東東京から西東京に変わっている。

高校野球の引き分け規定は
どのように変更されてきたのか

 ところで、早実の「1分」というのは、2006年の決勝戦、駒大苫小牧高との試合だ。駒大苫小牧高の田中将大投手と斎藤佑樹投手の投げ合いで勝負はつかず、延長15回1-1の引き分け再試合となったのだ(翌日、早実が4-3で勝ち、優勝している)。

 実は甲子園での引き分け規定は何度か変更されている。

 そもそも戦前には延長戦による引き分けという規定はなかった。日没や悪天候のために試合ができなくなって引き分けになることはあっても、決着がつくまで戦う。そのため、1933年夏の中京商と明石中(現・明石高)の試合は実に延長25回まで続いている(結果は中京商が1-0で勝利している)。

 戦後もしばらく引き分け規定はなかったが、1958年春の四国大会で徳島商の板東英二投手が高知商(16回)と高松商(25回)の2試合で連続完投したことから、この年の夏の大会から延長18回で打ち切って引き分け再試合にするという規定が設けられた。板東投手はなんとこの夏の甲子園でも、準々決勝で魚津高(富山県)と引き分け再試合を演じている。

 その後、2000年に延長戦は15回までに短縮された。

 ところが延長戦が15回までとなったことで再試合が増加、地方大会では再試合も引き分けて再々試合になるケースも出てきた。このため、2018年からは延長13回以降は無死一二塁からスタートするタイブレーク制度を導入して、早めの決着を図るようにしている。ちなみに、地方大会でも甲子園でも決勝戦ではタイブレークは採用されず、15回まで延長戦が行われる。

 なお、タイブレークでは延長回数による打ち切りはないが、1人の投手が15イニング以上を投げることは禁止されている。そのため、今年の高知県大会2回戦、高知東高-高知高専の試合ではタイブレークになっても無得点が続いて16回に突入、規定でエースが投げられなくなった高知高専は2番手投手が7失点して敗退した。

PL学園高は1976年~87年の
11年間で31勝、負けはわずか2つ

 6位タイのもう1校は広島商(43勝15敗)。こちらも1915年の第1回大会に出場した名門校で、戦前だけで優勝4回(春1回、夏3回)を数え、戦後もしばらくは全国屈指の強豪として活躍していた。

 同校はバントを多用して確実に1点を取り、投手を中心として守り抜く野球を信条としていた。そのため、池田高やPL学園高に代表されるパワー野球が広がるにつれて出場回数が減少。21世紀以降、夏の出場は2004年の1回しかなく、この時も初戦で浦和学院高に敗退している。

 続く4位にも2校が同数で並んでいる。1校目は天理高(48勝26敗)。野球部自体は戦前から予選に参加していたが、甲子園に出場したのは1954年の春が最初、夏の大会は1959年が初めてだ。以来一貫して一定の力を保ち続け、60年間で48勝を積み上げた。

 そしてもう1校はPL学園高(48勝13敗)。こちらは学校の創立が戦後の1955年で、甲子園初出場が1962年。1970年夏に準優勝すると、以後2009年までその名を全国にとどろかせた。特に、1976年から1987年にかけての夏の甲子園出場成績はなんと31勝2敗(優勝4回、準優勝2回)、敵なしと思われる強さを発揮した。しかも甲子園で勝つだけではなく、選手が次々とプロ入りして各球団の中心選手として活躍するなど、高校野球の盟主の座に君臨していた。

 その破竹の勢いから、あらゆる記録を塗り替えるかと思われていたが、内部事情で専任監督が不在となり、2016年夏の府大会を最後に休部、翌17年には高野連を脱退した。現在再開のめどは立っておらず、ベスト10から消える日もそう遠くないかもしれない。

11位以下で
注目したい高校は?

 ベスト3にいく前に、一休みして11位以下を見てみよう。

 11位から14位にかけては、智弁和歌山高、横浜高、広陵高、明徳義塾高、仙台育英高と近年甲子園で活躍中の学校が並んでいる。この5校は今後も勝ち星を重ね、低迷している上位校に取って代わりそうだ。

 16位の桐蔭高は、旧制和歌山中学校。戦前を代表する強豪で、1915年の第1回大会から、1928年の第14回大会まで実に14年連続して出場した(うち1918年の第4回大会は米騒動で中止)。ところが1961年の準優勝を最後に低迷、夏は1986年に出場したのが最後だ(初戦敗退)。春は2015年に21世紀枠で出場している。

 甲子園大会は歴史が長いこともあって、上位に入る学校は名門・古豪といわれるところが多い。54位小倉高(旧小倉中・小倉北高)、56位向陽高(旧海草中)、66位桐生高(旧桐生中)、84位市岡高(旧市岡中)・呉港高(旧大正中・呉港中)といったあたりは、甲子園で見たことがないという人も多いだろう。

 極めつけは66位の大連商。戦前は日本国内だけではなく、外地といわれた満州・朝鮮・台湾の代表も甲子園に参加した。満州の強豪として知られた大連商は1921年(第7回大会)から1934年(第20回)の間に12回出場し、1926年には準優勝するなど通算12勝をあげている。戦後は予選に参加することもできなくなったので、勝ち星をあげてはいない。

 一方、野球部の歴史が浅いにもかかわらず、健闘しているのが33位八戸学院光星高(旧光星学院高)、39位聖光学院高、66位済美高といったところだろう。1990年以降だけでランキングすれば上位に入るが、第1回からの通算勝利数ではまだ上位に入ることはできない。

 では、話を戻して夏の通算勝利数のベスト3を紹介しよう。

 第3位は松山商(56勝21敗1分)。夏だけで優勝4回、準優勝3回、「夏将軍」という異名をとるほど夏に強かったが、2001年夏にベスト4に進んだのを最後に甲子園に出場できていない。4位の天理高が8勝差まで詰めてきており、このまま未出場が続くと逆転されそうだ。

 なお、松山商は戦後のごく一時期、松山東高に吸収されて、同校の商業科となっていた。その間の1950年夏には松山東高として甲子園に出場し全国制覇している。この時の4勝を加えると通算は60勝となる。また、1分とあるのは、1969年夏の決勝戦の三沢高との延長18回引き分け再試合である。

 第2位は龍谷大平安高(61勝31敗)。現在の校名になったのは2008年のことで、年配者には平安高の方がなじみがあるだろう。戦前からの名門だが、初出場したのは1927年と昭和になってから。予選の同地区(かつては京滋、現在は京都)に強力なライバルが少なかったことから、出場回数も34回と北海高(38回)に続いて全国第2位。1990年以降も着実に勝ち星を重ねており、当分2位を維持しそうだ。

未曽有の3連覇!夏に負けたことがない
中京商の伝説の投手は?

 そして夏の大会で全国最多の勝ち星を誇るのは、多くの通算記録部門でトップに立つ中京大中京高(78勝21敗)。通算勝利数も2位とは17もの差がある。優勝したとしても、1大会で最大6勝しかできず、当分1位の座は安泰だろう。

 戦前から、中京商、中京高、中京大中京高と名前を変えながら、一貫して全国トップクラスの実力を保ち続けている。そのため、第1回大会の頃から活躍していると思っている人も多いが、実は同校が創立されたのは、第9回大会が行われた1923年。大会当初はまだ創立されていなかった。

 ところが1931年に初めて甲子園に出場すると、夏の大会でいきなり全国制覇、しかもそこから未曽有の3連覇を達成した(その時のエースだった吉田正男投手は夏が14勝0敗、春の勝敗も合わせると23勝3敗)。以降、1980年代後半から90年代後半にかけて一時低迷したものの、2009年夏にも全国制覇するなど、現在でもその勢いは衰えていない。

 ちなみに、昨年までの通算試合数は99試合。今年は残念ながら地区予選の準決勝で誉高(旧尾関学園高)に敗れてしまったため、史上初の夏の大会100試合は持ち越しとなってしまった。

 今年の選抜を制した東邦高も、県予選の2回戦で甲子園に出場したことがない星城高にまさかのコールド負け。一発勝負の夏の大会は、強豪校といえどもどこで足をすくわれるかわからない。

 今夏の甲子園。上位では6位の広島商や11位の智弁和歌山高がどれぐらい勝ち星をあげるのか、結果次第ではベスト10の顔ぶれも変動する可能性があるだろう。

(姓氏研究家、野球史研究家 森岡 浩)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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