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酒で離婚、ホームレスに…医療刑務所で最期を迎えた男性の痛恨

2019年08月02日 06時00分更新

文● 横田由美子(ダイヤモンド・オンライン

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アルコールや薬物などに依存して体を壊し、人生の終末期を医療刑務所で過ごす受刑者もいる。生活保護受給だけでは、彼らが自立するのは極めて難しい。今回、そんな受刑者の1人、たかしさん(仮名)に話を聞くことができた。(ジャーナリスト 横田由美子)

末期がんの受刑者
たかしさんとの対面

生活保護だけでは、依存症を患う受刑者の更生は難しい
酒に溺れ、家庭は崩壊、ホームレスになって窃盗を繰り返したたかしさんが最期に思い描いたのは、別れた妻と子どもたちとの再会だったのだが...(写真はイメージです) Photo:PIXTA

「かなり悪くなっていますよ。今週末を越えられるかどうか…。本人はもちろんわかっています。告知もしていますから。でも、受け入れられないんですよ」

 たかしさん(62歳)のインタビューを終えて診察室を出た私に、優しそうな担当看護師はこう告げた。

 私は、がくぜんとした。確かに黄疸が出ていて、顔色はみかんのようだった。膝から下の浮腫がひどくて、足は象のように腫れ上がっていた。でも、そこそこ元気そうに見えたのだ。

「病室からここまで車椅子で来たんですが、ひと苦労なんです。看護師さんに手伝ってもらったんだけど、すごく疲れる。トイレに行くのも大変です。転んで骨折でもしたら、また迷惑かけちゃうし」

 とは話していたが、まさかそこまでの重病人だとは思わなかった。話し方も丁寧で明るかったし、なにより饒舌だった。私は、自分の浅はかさを呪った。録音データを聞き直してみれば、たかしさんが“末期患者”である兆候はあちこちにあった。

 決定的だったのは、「大腸にあるがんは取ってしまっていますが、そのがんが肝臓に転移したんです」。インタビューの最初に、ちゃんと説明しているではないか。あまりに他人に対し思いやりのない自分自身にあきれた。たかしさんはこんなことも言っていた。

「起床時間の7時に起きて、夜は9時に寝て、その間3度食事が出るんですけど、おかゆです。3分の1か、よくて半分ぐらい食べられる」

「治療方法は、痛かったら、それに対する痛み止めを打ったり、熱が出たらそれに対処してもらう。私の方で痛い思いをするのは嫌だからと言って、それでお願いしている状態です」

 受刑者といえども、まさに、打つ手がない患者に対する対応ではないか。

東日本成人矯正医療センターが
整備された背景

 ここは、東京都昭島市にある東日本成人矯正医療センター。たかしさんのような、終末期の患者である受刑者は珍しくない。

 日本最大の医療専門の刑務所として、2018年1月に八王子医療刑務所を母体とする形で、開所した。敷地の広さは約5.5万㎡。病床数は445床あり、人工透析機器も30台ある。診療科目は外科や精神科、リハビリテーション科など広くまたがり、精神疾患や知的障害がある「M指標受刑者(Mental 精神障害者)」も多数いる。全国の刑務所などから患者を収容して治療するので、適当な規模だろう。

 たかしさんも、喜連川社会復帰促進センターから今年1月末に移ってきたという。

 日本に医療刑務所はここを含めて4ヵ所ある。刑務所はどこも老朽化が目立ち、矯正予算の少なさのため、改築するのもひと苦労だが、そんな中、東日本矯正医療センターが開設された目的は、大きく2つある。
  
 ひとつは総合病院機能を持つ刑務所として、医療スタッフや医療機器を集約して整備することで、財政の効率化を図ること。もうひとつは、受刑者の健康回復や維持は、再犯防止対策のための各種矯正処遇の基盤になるという考え方にのっとった「矯正医療の理念を実現」することだ。

 それにしても、たかしさんは、なぜここに来ることになったのだろう。

酒で身を持ち崩し離職…
マジメな郵便局員の転落劇

 出身は東京都だ。私立大学の経済学部を卒業して、郵便局に就職した。結婚して1男1女に恵まれ、ぜいたくはできないが、ある意味、普通の幸せをかみしめながら、順風満帆の人生を送れるはずだった。

 人生の歯車を狂わせたのは、ギャンブルでも女でもない、「酒」だった。

 たかしさんの仕事は、主に郵便局内で郵便物を仕分けすることだった。40歳を超えた頃から、仕事のストレスをスナックなどの酒場で晴らすようになった。もともとお酒は好きだったが、際限なく飲むようになっていったのがこの頃だ。それでなくとも、郵便局員の年収は決して高いとはいえない。家族3人を抱えているたかしさんが飲んで遊べるお金など、たかが知れている。しかし、たかしさんは、お酒の誘惑に勝つことができなかった。

 酒量を減らせないたかしさんはある時、消費者金融からお金を借りた。借金は雪だるま式に増え、怪しげな零細貸金業者にまで借金は広がっていった。

 この頃、郵便局や家に取り立ての電話がかかってくるようになり、たかしさんは自主退職の道を選んだ。

 そこからは、坂道を転がり落ちるように、人生が暗転していった。普通の退職なら、転職も可能だが、たかしさんの場合は、理由が理由なだけに難しかった。そんなある日、帰宅すると、家の様子がなんとなくおかしい。いつもなら洗濯物が干されているのに、何もない。テーブルの上には、妻からの手紙が置かれていた。

離婚からホームレスに
万引癖で逮捕重ねる

「もう、あなたにはついていけません」

 数週間後、判をついた離婚届が送られてきた。借金が返せないので、家に住むこともできなくなり、たかしさんは駅や公園で寝泊まりするようになった。ホームレスとしての生活が始まったのだ。

 新宿駅や渋谷の公園など、あらゆるところに行ったという。夏以外は、地べたが冷たすぎて横になることができない。段ボールを拾ってきて、「家」を作った。

 そんなある日、段ボールをコツコツとたたく支援団体を名乗る人が来た。よく説明を聞かずに、「布団の上で寝られる」と言うのでついていくと、待っていた車には、たかしさんのような人が、すでに何人も乗っていた。

 そのまま、さいたま市桜区にある「民家」に連れていかれた。そこで生活保護の手続きをしてもらい、月に約12万円、もらえることになった。しかし、そのお金は袋ごとその団体に渡され、宿代、食事代などを引かれ、手元には2万円も残らなかった。

「その時は先のことなんか考えていなくて、まかないさんがいて3食出るし、お風呂もあるし、寝てても生活できるし、酒も飲めた。それで10年近くそこで暮らしていたんですが、そこの会社が悪徳業者だというのがばれて、社長が捕まっちゃったんです。小さく新聞にも出ました」

 その後、行くところがないたかしさんは、毎日、区役所に行って食料をもらう生活を続けた。役所が何もしなかったわけではない。生活保護の取得手続きをしてくれ、自立を促してくれた。6畳1間で、家賃5万7000円。しかし、残りのお金で、また酒浸りの日々が始まってしまったのだ。

 結局、生活費が足りなくなり、おなかがすくとコンビニなどでおにぎりやサンドイッチを万引するようになってしまう。

 何度目かの逮捕後、まだ刑の確定前で拘置所にいたたかしさんは、顔と爪が真っ白になって、検査をしたところ病気が発覚。立川市内の病院で手術を受けた。

元妻を今なお「奥さん」と呼ぶ
たかしさんの後悔と希望

「あなたには、何度も執行猶予を与えた。労役もさせたのに、反省がない」

 との判決が出て、また刑務所行きとなった。最近になって自分の人生を振り返ることが増えたと、たかしさんは言う。

「奥さん、パートまでやって家計を補ってくれたのに、自分に嫌気がさして、子ども連れて出て行っちゃったんですよ。欲望に負けないで、コツコツやっていれば良かったんです。罰が当たったじゃないけど、大腸がんになって…」

「出所したら更生保護施設に入って、今度こそ残りの人生を、他の人に迷惑をかけないように一歩一歩、歩いていきたい。連絡してもらうように頼んだのですが、こんな父親だから、妻子は会いたいと思わないのでしょう。風の便りに30歳になる娘が結婚したと聞きました。でも、時間がたてば…」

 離婚して約20年。すでに元妻や子どもたちには、新しい生活があるのだろう。しかし、たかしさんの脳裏には、後悔の念とともに、彼らと暮らした日々がよみがえってくるようだ。いまだに元妻を「奥さん」と呼ぶたかしさんの表情には、諦めと希望が相半ばしていた。

 たかしさんは、その後、3週間生きた。だが、ついに元妻、子どもたちとの対面はかなわなかった。実妹が連絡先になっていたが、遺留品も遺骨も引き取りには来なかった。最期をみとったのは、刑務官だった。
 
 だらしない人物だとレッテルを貼るのは簡単だ。しかし、たかしさんは重度のアルコール依存症で、生活保護受給だけでは到底、自立は難しかったのだろう。裁判官が言うような「反省」だけでは更生できず、塀の向こうと娑婆を行ったり来たりする以外に生きる道がなかったのではないだろうか。

 アルコール依存症の場合、支えてくれる家族を失うことが、症状や生活レベルの低下を加速させる。生活保護以外の福祉や医療につながれなかったことが、たかしさんの最大の不幸であり、こうした人たちを支える仕組みに乏しい私たち社会が考えなければならない課題でもある。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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