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「佐々木登板せず」で敗れた大船渡高が発した無言のメッセージ

2019年07月26日 15時15分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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岩手大会決勝、花巻東-大船渡。花巻東に敗れ、涙をこらえる佐々木朗希投手(左から2人目) Photo:JIJI

 この夏の高校野球最大の注目だった佐々木朗希投手を擁する大船渡高校が、25日の岩手県大会決勝で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。

 佐々木投手を甲子園で見たい、と期待していた高校野球ファンにとっては残念な結果。しかも、決勝戦に佐々木投手が「登板しなかった」ことがさまざまな議論を呼んでいる。

 国保陽平監督は試合後、「投げられる状態にはあったかもしれなせんが、私が判断しました。理由としては故障を防ぐため。朝の練習で伝えました。笑顔で『わかりました』と言っていた」と報道陣に語ったという。

 このコメントだけを見れば、決勝の朝になって決めたように受け取られる。たしかに最終決断は当日の朝だったかもしれないが、佐々木投手自身が笑顔で「わかりました」と答え、大船渡ナインに大きな衝撃がなかったことを併せて考えれば、その決断が、国保監督と佐々木投手、そして大船渡ナインにとっては予測できたこと、ずっと共有していた『高い意識』に基づいた覚悟だったことがうかがえる。

 決勝戦の試合後には、準決勝の試合前、県高野連の医療スタッフに佐々木投手自身が右ひじの違和感を伝えていたとも報じられた。それであればなお、登板回避はごく当然の判断だったろう。

大船渡ナインが持っていた
「全員野球」の精神

 大会前にも国保監督は、岩手県大会での優勝を勝ち取るまでの10日間で6勝が必要な今大会の戦い方を報道陣に問われ、「佐々木投手がケガをしないで勝つのが目標」と答えている。佐々木投手1人に依存しない姿勢を示し、5人の投手を登録した。

 大船渡高には、春の地区予選で8回参考だがノーヒット・ノーランを記録した和田吟太投手(3年)もいる。国保監督はしっかりと佐々木以外の投手も育成してきたのだ。

 そして実際、負けたら終わりのトーナメントであるにもかかわらず、今大会でも「全員野球で戦う」との言葉を体現している。佐々木投手が4回戦の盛岡四高戦で延長12回194球完投勝ちした翌日の準々決勝・久慈戦には、2回戦でも佐々木をリリーフし3回零封の好投をした大和田投手が先発。和田投手につなぐリレーで延長11回の接戦をものにした。

 この試合、4対4で延長に入り、しかも大船渡は先攻。裏の守りの怖さを考えれば、「最後は佐々木に託したい」と考えるのが、これまでの高校野球監督の大半だ。が、国保監督は佐々木投手に連投をさせずに準決勝進出をつかみ取った。この試合こそ、大船渡の「全員野球」を象徴する快挙といってもいい快勝だった。

 こうした戦いを見ればわかるとおり、決勝戦に佐々木投手が登板しなかったことは、大船渡のチームづくり、大船渡ナインがずっと取り組んできた野球の流れに沿ったもので、朝になって突然決断したものでないことははっきりとわかる。それは、他者が自分の希望でとやかく言う問題ではない。

「甲子園だけが高校野球のすべてか?」
大船渡ナインが覆した“常識”

「高校野球に対する冒涜だ」といった批判もあるようだ。決勝戦のメンバー発表を聞いて、そんな野次も飛んだと報じられている。それは、「高校野球の目標は甲子園出場」という常識を前提にした主張だ。いま、その常識を問い直す空気が濃くなり始めている。

 大船渡高は「甲子園出場が高校野球のすべてなのか?」「高校野球はいまのままでいいのか?」という、誰もが胸の奥に抱いていたけど声に出して言えなかった疑問に対する答えのいくつかを、はっきりと提示して見せたとも感じられる。

 甲子園に行きたいのは、佐々木投手をはじめ大船渡ナイン全員の熱望だったろう。岩手県では、1994年の盛岡四高以来、私学が代表を独占している。私学からも当然誘われながら佐々木投手は「大船渡でこの仲間と甲子園に行きたい」と地元の県立高校への進学を選んだ。その夢を果たせなかった悔しさがないわけがない。

 だが、朝も「わかりました」と笑顔で答えた佐々木投手にはそれ以上に、「ケガをしてまで甲子園に行っても意味はない」との明確な考えがあったのだろう。甲子園にはあと1勝で届かなかったが、このような高い意識を持って戦ったこの夏の一戦一戦が、大船渡ナインにとって大切な宝になっただろうことは第三者が言うまでもない。

国保監督の英断の背景に
筑波大学と米国でのプレー経験

 国保監督は、筑波大学を卒業後、アメリカ独立リーグでプレーした経験がある。帰国後、教員になるのだが、野球を科学することで知られる筑波大学での経験、さらにはアメリカの野球を肌で体験したことで、従来の高校野球とは違う新しい方向性を目指す意識が高まったのだろう。

 私は、筑波大学野球部の元部長で、東京・武蔵小杉で『ベースボール&スポーツ・クリニック』を開業している「野球医学」の専門家・馬見塚尚孝ドクターに話を伺っているが、国保監督は熱心にその馬見塚ドクターから学んでもいるという。

 一部報道で、「佐々木投手の身体はまだ、筋肉、腱、骨などが160キロの投球に耐えられるほど成長していない」と伝えられた。これは馬見塚ドクターの助言でもある。佐々木投手はこの春、「身長が1センチ伸びて190センチになった」ことを報道陣に明かしている。まだ伸びている。つまり、まだ成長期にある。その状態で過剰な負荷をかけるのは危険。怪我の可能性が大きい。そういう考え方を、国保監督と佐々木投手は共有していた。

 現実的な背景に触れれば、佐々木投手はいまアマチュアだが、この秋には数十億円の値段のつく選手だ。すでにメジャーで活躍する日本人投手たちの先例を見てもわかるとおり、順調に成長し実績を積めれば、向こう十数年で数百億円単位の巨額の収入を得られる可能性も秘めている。

 国保監督が、この可能性を「甲子園出場のために」冒すことが許されるだろうか? いま高校野球は、センチメンタルな美学の一方で、このような超現実的な重圧も抱えていることを私たちは認識しなければならない。

「過酷な予選日程」の改革こそ
今の高校球界に最も必要だ

 その観点でいえば、佐々木投手の決勝登板を阻んだ最大の要素は、『過酷な予選日程』だろう。「せめて準決勝と決勝の間を1日空けてほしかった」という声が聞こえる。そのとおりだ。できれば3日、いや1週間空けてもいい。そのために、地方大会の開幕を6月に繰り上げることを検討するのも急務だろう。もっと言えば、私は猛暑の夏から秋への移行が最善だと考えている。

 高校球界は、この数年でずいぶん改革をしてきた。岩手県大会も準々決勝と準決勝の間に1日休養日があった。が、それでもまだ足りない。10日間で6試合、準決勝と決勝は連戦。このような日程にまだ疑問を感じない高野連の常識を大きく覆す必要がある。これでは球児の健康と未来、そして応援者の健康も守れない。

 最後にもうひとつ、佐々木投手が決勝で登板しなかっただけでなく、普段は4番を打つ強打者、4回戦でも勝負を決める2ランホームランを放っている大切な『打者・佐々木』をも試合に出さなかった。これこそ英断であり、国保監督の姿勢を示していると感じた。

 外野を守ることが大した負担ではないと感じている野球関係者、ファンも多い。だが、私自身、高校時代に投手でありながら外野を守った経験から、そのリスクが高いことを感じている。

 例えば、接戦でバックホームの送球をする機会に遭遇したら、慣れない外野からの返球で肩や肘を一発で壊す恐れがある。あるいは走塁。疲労が溜まった肉体でクロスプレーになる走塁をして足や腰をケガする可能性は大いにある。

 このリスクをも回避した国保監督の見えないファインプレーは、やがて佐々木朗希投手がプロ野球、メジャーリーグで大活躍したとき、感謝され、称えられることになるだろう。

(作家・スポーツライター 小林信也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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