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「部下不信」だった徳川家康の江戸幕府は、なぜ260年も続いたのか

2019年07月24日 06時00分更新

文● 童門冬二(ダイヤモンド・オンライン

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徳川家康
Photo:PIXTA

「応仁の乱」「刀剣女子」など、近年“日本史ブーム”が到来し、あらためて歴史を学ぶ大人が増えている。歴史小説の第一人者でもある童門氏も、「一流の人は、歴史を“情報”として捉え、自分の生き方に役立てている」という。もはや「歴史=重圧感、固い」というイメージは薄れ、現代人にとって歴史は、自身を磨くツールとして変化してきているのかもしれない。そこで前回に続き『なぜ一流ほど歴史を学ぶのか』(青春出版社)から、現代のビジネスマンでも生かせる、歴史上の人物における「リーダーシップの在り方」を紹介する。

江戸幕府を築いた徳川家康は“部下不信”だった!

 戦国時代の部下はある意味で自由な時代だから、どんな価値観を持とうと互いに干渉しない。海千山千の曲者もいる。これを管理するためには、“情”一辺倒ではダメだ。時には“非情さ”も必要だし、さらに“合理性”もいる。

 そういう点でのリーダーシップや部下管理の達人は、何といっても徳川家康だろう。家康は、少年時代から青年に達するまで、駿河(静岡県)の駿府(静岡市)城の今川義元の人質だった。約12年間をここで過ごしている。人質というのは、他人の冷や飯を食わされることだから人格にも影響する。家康の最後まで抜けることのなかった一種の“人間不信”の考えは、この時代に培われているのだ。

 その考えは部下にも及んだ。かれの有名な言葉に、「主人は船、部下は水だ」というのがある。これは家康の座右の書『貞観政要』にある「君は船、民は水」(治者がよい政治をおこなっているときは、民衆はこれを支持し、静かに支えてくれる。しかし一旦悪政をおこなえば、船をひっくり返してしまう)の転用だ。それはとりもなおさず、「何よりも民を畏れよ」ということであり、親しいものに対して家康は常に、「部下も同じだ。油断すれば、主人にいつ背くかわからない」と告げている。駿河時代に培われた“人間不信”が“部下不信”に発展していたということだろう。

人質から解放された家康が行った画期的な人事とは

 織田信長が今川義元を桶狭間の合戦で殺すと、家康は解放され、拠点である故郷の岡崎城に戻り信長と同盟を結んだ。そして岡崎城主としてかれが最初におこなった人事は、「岡崎奉行」の設置である。つまり「政治でもっとも畏るべきは民だ」という認識を持った家康は、領民のために奉行を設置したのだ。

 しかし一人の人間に奉行を命じたわけではない。家康は常に、「すべての能力を一人の人間が備えているはずがない。必ず欠点もあるはずだ」という人間観を持っていた。したがって、互いに欠点を補い合うような組み合わせが必要だ、と考えていた。そこで、岡崎奉行には三人の武士を任命した。高力清長・本多重次(通称作左衛門)・天野康景(通称三郎兵衛)である。

 これが布告されると、岡崎の城下町の住民は、こんなことをいった。「ホトケ高力オニ作左どちへんなし(どっちでもない)の天野三郎兵衛」。この例えは、三人の性格をよく見抜いている。ホトケのように人情深い高力、気が短く法律を重んずる本多重次、そのどちらの性格も併せもっている天野康景ということだ。わたしはこの人事を、「歴史上における名人事」だと考えている。家康の「マルチ人間はいない」という人間観のあらわれだけでなく、この人事方針が260年も徳川幕府を続けさせたからである。いってみればこの人事は、「各人の長所の相乗効果を期待する」ということであり、長所の相乗効果とともに、それぞれの欠点を補完させるということでもある。

 この岡崎奉行の事例だけでなく、家康が創始した徳川幕府の幹部職は、すべて単数ではなく複数で任命されている。老中も若年寄も諸奉行も諸目付も、すべて複数だ。しかも「月番」という担当者を設け、毎月一人ずつ仕事をさせる。この間他者は自宅でやり残した仕事や、文書事務に従事する。当然現任の役職者のやっていることを冷静に凝視できる。またそれが民に関係のあることであれば、民側からも批判や称賛の目が向けられる。このことによって全役職者は常に“ドッグレース”をおこなわされていたのだ。

 もちろん現代にこのやり方がそのまま通用するわけではない。しかし、長期低迷した経済や、少子化などによる人口動態の変化で、ともすれば組織内の逆ヒエラルキー(三角形の逆転現象)が見られる現代では、ありあまる幹部職の調整に、この月番制(ポストの複数化)などは一考に値するかもしれない。

歴史上に名を残すリーダーたちの共通点とは

 冒頭で述べた“情のリーダーシップ”と“非情(合理性)のリーダーシップ”で考えれば、家康は後者の方だろう。このように、歴史上には家康のように“非情のリーダーシップ”に長けている者もいれば、一方で“情のリーダーシップ”に長けている者もいた。両者はタイプは違うようにみえるが、ある共通点がある。それは、

・人を動かすリーダーは、それぞれ「人に見えない努力」をおこなっていること
・強いだけではリーダーとして認められないこと
・一人の力では歴史はけっして動かない、ということ

 である。ではここでいう、「人には見えない努力」とは一体何だろうか。一言でいえば、部下から見て、「このリーダーなら信頼できる」という観念を生ませることである。そのためには、一人になったときにコツコツと「自己向上」の努力をおこなうべきだ。その日の出来事をケーススタディ(事例研究)にして、自分のリーダーシップを振り返るのである。

 その目的は、このリーダーは信頼できると認められることであり、具体的に「このリーダーのいうことならウソではない」だから、「このリーダーの指示命令なら従っても間違いない。自分は協力する」という積極的な気持ちを部下に湧かせることだ。それはあげてリーダーの“らしさ(個性)”にもとづいている。その“らしさ”が部下に、「このリーダーなら」という“なら”という気持ちを生ませるからだ。この「部下に“なら”といわせる“らしさ”」のことを、わたしはある中国文学者から、「人間の風度というのだ」と教えられた。したがって、部下に“なら”と思わせるためには、「リーダーがその風度を高める」ことが必要になる。

 たしかに現在のリーダーにも、情報力・判断力・決断力・行動力などの要件は共通して必要だろう。だが、それだけではダメだ。そのほかに、「部下が“この人なら”と思う“らしさ”を発散する」という別立ての努力が必要なのである。もっといえば、「強烈な風度さえあれば、他の条件はそれほど必要なくなるかもしれない」とさえいえるのである。風度というのは、その人間の発する魅力・吸引力・信頼感・モラール(やる気)アップなどを備えた一種の、「オーラ(気)」といえるだろう。

 部下がついていきたくなるようなリーダーになるために、まずは歴史上のリーダーたちに倣って、コツコツと日々の事例研究を重ね、自身のリーダーシップを振り返ってみてはいかがだろうか。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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