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「田中宏和×田中宏和」同姓同名対談 たまたまの宿命・渋谷編 ──渋谷の田中宏和さん

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田中宏和が田中宏和に会う──。たまたま同じ名前で、同じ時代を生きる二人。偶然なのか、必然なのか。二つの人生における“たまたまの宿命”を覗き見る対談です。ホストは一般社団法人田中宏和の会「ほぼ幹事の田中宏和」。正式な連載になるかどうかは読者の皆さんの反応次第。第1回の対談相手は、1965年渋谷生まれで現在は渋谷でインダストリアルデザイン会社を経営されている渋谷在住の「渋谷の田中宏和さん」です。

生き別れた兄弟に会ったみたい
お父さん、僕の他にも子どもが!?

ほぼ幹事の田中宏和(以下、ほぼ幹事) 渋谷の田中宏和さんは、2003年にわたくし田中宏和が初めて実際に会った他人の田中宏和さんです。そもそもの始まりは1994年プロ野球のドラフト会議でした。近鉄バッファローズの第一位指名が田中宏和と知り、自分がプロ野球選手になれたと誤解した。それ以来、同姓同名の田中宏和さんを見つける遊びを勝手に「田中宏和運動」と称して続けていました。

渋谷の田中宏和(以下、渋谷) 2002年の年末でした。毎日読んでいる『ほぼ日刊イトイ新聞』のサイトを見にいったら、いきなり自分の名前が出ていてビックリしました。同じ名前の人が糸井重里さんに替わって日替わり編集長として登場していたんですね。そこで毎年の年賀状で田中宏和の同姓同名を見つけてはネタにしていると知って、慌ててほぼ日にメールしたんです。

初対面で名刺交換のシーン
初対面で名刺交換。同姓同名同士の名刺交換は合わせ鏡に立っているようだったとか

ほぼ幹事 あの時は何人かの田中宏和さん関係者、田中宏和の奥さんなどから連絡をいただいて、うれしかったですね。その中でも近所の渋谷にお住まいで、会社経営されている田中宏和さんご本人からと知り、怪しい人ではなさそうだから会ってみようと決意したんです。

渋谷 すでにその行為のほうが怪しいですよ(笑)。

ほぼ幹事 実際に会うことになって、まずはご挨拶で名刺交換しながら「田中宏和です」と言うと、目の前の人が「田中宏和です」と同じ名前が書かれた名刺を差し出してくるんです。当たり前なんですけど、合わせ鏡に立っているみたいでした。

渋谷 初対面なのに話が合いましたね。

ほぼ幹事 共通の話題が多いですからね(笑)。渋谷の田中宏和さんは、確かこの時の、えも言われぬ体験を「残留孤児同士が会ったみたい」と言われませんでしたっけ?

渋谷 いや、生き別れた兄弟に会ったみたい、です。「お父さん、僕の他に子どもがいたんですか!?」という感覚です。

ほぼ幹事 その時に同じ田中宏和だから、これからのために呼び名を決めておきましょうということになり、渋谷にお住まいで、渋谷でインダストリアルデザインの会社を経営されているから「渋谷の田中宏和さん」にしたんですよね。

初対面のときの記念写真
16年前、初対面のときの記念写真

渋谷 「宏和」という名前は渋谷区の産婦人科の先生に名付けてもらったと聞いています。

ほぼ幹事 その産婦人科で生まれた田中さんの男の子は全員「宏和」さんだったのかも(笑)。

渋谷 こないだうちの祖母が渋谷駅の飲んべえ横丁で今川焼の店をしていたと初めて聞きました。

ほぼ幹事 それは根っからの「渋谷の田中宏和さん」だ。そんな一等地に店を持てるとは、さてはブルジョワ家系ですね?

渋谷 祖母のお父さん、つまり曾祖父さんが戦前から戦中にかけて、車のシャーシーを仕入れて、ボディをカスタマイズして商用車にする自動車会社を経営していたそうなんです。その会社を太平洋戦争のタイミングで売って、あちこちに土地を買ったと聞いています。

ほぼ幹事 へぇ、実はうちの曾祖父さんも明治の終わりに京都でハイヤーをしていたそうなんです。もともと籠屋から文明開化で人力車に転業し、さらに自動車を買ったらしいです。家系からすると、今はウーバーみたいなカーシェアリングをやっているはずなんですが(笑)。現代のIT系、デジタル化で起きているようなことが、20世紀の前半の自動車によるモータリゼーションでもあって、その波を我々田中宏和の先祖は受けていたんですね。

渋谷 面白い共通点があるものですね。

ほぼ幹事 渋谷の田中宏和さんが、デザイナーになられたきっかけは何だったんですか?

宛名入りの百恵ちゃんのサインに
他の田中宏和さんたちも大興奮

渋谷 中学の時に大映テレビで美術の仕事をしていた叔父さんに大映の撮影所を見学させてもらったんです。いろんな人たちが関わって一つの映像を撮る様子に引き込まれました。それで、叔父さんのコネで『赤いシリーズ』のドラマ撮影中の山口百恵さんのサインをもらいました。

宛名入りの山口百恵さんのサイン
宛名入りの山口百恵さんのサインは、渋谷の田中宏和さんの宝物

ほぼ幹事 当時の山口百恵さんは、今でいうアイドルの原点、テレビのオーディション番組「スター誕生!」から生まれた大スターです。いつぞや田中宏和集会にご持参になった「田中宏和くん江」と書かれた山口百恵さんのサイン色紙を手にして、田中宏和さんみんなが「自分がサインをもらった」と喜んで写真を撮っていました(笑)。

 70年代から80年代にかけて大映テレビ製作のテレビドラマは一世を風靡しましたからね。そんな現場を見たら憧れますよね。

渋谷 叔父さんには「美大へ行って、テレビプロデューサーになれ」と言われました。

ほぼ幹事 いかにも昭和50年代の匂いがプンプンとする逸話ですね。

渋谷 それで叔父さんと同じ武蔵野美術大学のインダストリアルデザイン科に1985年に入学できました。

ほぼ幹事 1985年といえば、G5のプラザ合意の年ですから、急速に円が強くなってバブルがはじまるタイミングですね。

渋谷 だから就職のときは、自動車会社か家電メーカーが人気でした。例えば当時、日産がBe-1というクルマを出したり、とにかく格好良かったです。でも自分の中では「デザイナー=スタイリングでしょ」という風潮にアンチな気持ちがありました。キラキラしたデザインより、毎日使って、生活に影響を与えるものをデザインしたかったんです。

ほぼ幹事 今風にいうと「価値のデザイン」みたいなことですね。そこで結局どちらに?

渋谷 TOTOに入社しました。ウォシュレットは、まさに自分がデザインしたいプロダクトだったので、そんな商品をデザインできたらと。

ほぼ幹事 渋谷の田中宏和さんの歩みは一貫してますね。それでTOTO入社後、個人のデザイン事務所、大手のデザイン事務所を経て、34歳で独立された。

渋谷 1999年にマグネット・インダストリーという会社を立ち上げました。「マグネット」の由来は、いろんなものがくっついて、つながって、引き合って何かが生まれたらという思いからです。

聖書と等価交換?
『田中宏和』本を縁に結婚

ほぼ幹事 まるで田中宏和運動じゃないですか(笑)。そして、最近、特に力をいれていらしゃる商品があるとか?

渋谷の田中宏和さんが開発したリングケース「Grace」
渋谷の田中宏和さんが開発したリングケース

渋谷 受注してデザインするのではなく、初めて自分発のデザイン商品を出すことができました。たまたまお客さんとランチをしていた時に隣に座っていた若者二人の話が面白くて、声をかけたんです。どうやらこれまで二人の女性にプロポーズして、2回とも失敗したらしい。だからプロポーズの瞬間を劇的に演出できたらというアイディアで、その悔しい思いを受け止めてリングケースをデザインし商品化したんです。

ほぼ幹事 失敗したのは本人のせいじゃないかというのは置いておいて、駄目から発想するという、その着想がいいですね。

渋谷 ルーマニアで生産がはじまり、ドイツ、アメリカ、フィリピン、インドなどから引き合いが来ています。

ほぼ幹事 そういえば、渋谷の田中宏和さんの結婚にも田中宏和の会は関わっていましたよね?

渋谷 2010年に14人の田中宏和さんで書いた『田中宏和さん』という本を出した時に、打ち合わせでお客さんの取引先として来ていた女性にその本をプレゼントしたんです。そうしたらお返しにといただいた本が『聖書』でした。

ほぼ幹事 あの面白本とキリスト教のバイブルが等価交換されていいのか(笑)。

渋谷 その後、本の交換がきっかけとなって、お相手と「お茶でも」とか言っているうちに半年後に結婚しました。

ほぼ幹事 披露宴に呼ばれた時は自分が新郎の気分になりました。

 そんな渋谷の田中宏和さんが大切にしていることは何ですか?

渋谷 なるべく自由でいたい、ですね。会社を辞めて独立したのもそういう動機です。特に時間的な自由は大事かな。だから声をかけてもらった渋谷のラジオのレギュラー番組『渋谷の田中宏和』でも毎週のように生出演できるのは自由だからだと思います。

田中宏和とは、自分なんだけど
自分を内包した父親みたいな存在

ほぼ幹事 まさか16年前に出会った時は、ゆくゆくラジオのレギュラー番組を担当することになるとは、しかも番組名が「渋谷の田中宏和」になるとは予想だにしませんでした。

 渋谷の田中宏和さんにとって、田中宏和の会、田中宏和運動って何ですか?

渋谷 もはや、なかった世界が考えられないくらい影響力が大きい存在です。「聖書」には、偶然のようでいて必然なのではというエピソードが出てきます。そういう意味で「聖書」的だから、等価交換で良かったのでは(笑)。

ほぼ幹事 田中宏和の会でやってみたいことはありますか?

渋谷 田中宏和さんがもっと増えていくといいですね。そして、ちょっと変なことや人の意識をクラっとさせるようなアートにつながることができればいいですね。あと単純にみんなで紅白歌合戦には出てみたいです。

ほぼ幹事 渋谷の田中宏和さん個人の夢は何ですか?

渋谷 取り組み始めた自分から発信するデザインプロダクトをもっと出していきたいです。そのためには会社の体制も強化しないと実現できないかもしれないし、そうなると自由がなくなるかもしれませんが。

ほぼ幹事 最後に、田中宏和さんにとって、田中宏和とは何ですか?

渋谷 自分なんだけど、父親みたいな存在です。自分をつくってくれたものであり、自分の一部でもあり、自分の元でもある。だから、自分を内包した父親ですね。責任は自分で持てよと言われているようでもありますし。

「たまたまの宿命」対談を終えて

 もし叔父さんが田中宏和さんを撮影所の見学に誘わなかったら、どんな人生が続いたのでしょうね。
 そして、たぶん最初にメールを受け取った田中宏和さんが、自分と半径3キロ以内に住む田中宏和さんではなかったら、そもそも面倒臭くて会わなかったのでは。この田中宏和さんが最初の田中宏和さんでなかったら、田中宏和の会はこの世に存在しなかったのではないかと思います。
 渋谷の田中宏和さんの結婚のきっかけが書籍『田中宏和さん』であり、さらに「田中宏和運動全国大会2011」当日にその奥様が産気づかれ、生まれて来たお子さんの名前はその全国大会の慰労会で決まりました。
 人生は、時にたまたまの宿命に導かれます。(ほぼ幹事の田中宏和)

記念の2ショット

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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