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西成あいりん地区、労働者たちが生き生きと参加する「まちの大学」とは

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日雇い労働者や路上生活者が大勢いる大阪の西成あいりん地区。ここに労働者はもちろん、地域外からも参加者が集う「釜ヶ崎芸術大学」なる“まちの学校”がある。科目は合唱やダンスから、なんと井戸掘りまで。そこには、地域から疎まれ続けている“おじさん”たちが生き生きと活動できる、率直で温かい居場所があった。

あいりん地区で
芸術を学ぶ

釜ヶ崎芸術大学の合唱
釜ヶ崎芸術大学は、毎年8月の夏祭りで成果を披露する

 大阪市西成区釜ヶ崎。東京の山谷、横浜の寿町と並ぶ、日本有数のドヤ街である。釜ヶ崎は、西成区の北東にある簡易宿泊所街を指す名称だが、地図には載ってない。現在は、あいりん地区と呼ばれている。ちなみに「あいりん」は、昭和41年に行政や報道機関が取り決めた名称である。

 この街で、労働者が集まり交わる場になっているのが「釜ヶ崎芸術大学」という一風変わった場所である。通称、釜芸(かまげい)。大学といってもホンモノの大学ではない。労働者のおっちゃんたちと、いろんな芸術を体験することで自分を表現していく街の学校である。

 宗教学、感情表現、書道、天文学、音楽、地理、哲学、芸術、書道、篆刻(てんこく)、俳句、即興ダンス、合唱、数学、狂言、詩と、授業は多岐にわたっている。授業料は無料。払える人は、わずかなカンパを残していく。授業は、釜ヶ崎のいくつかの施設を借りて行っており、年齢、居住地、性別などは一切問わない。誰もが参加できる場所だ。

 筆者は、合唱の稽古に参加してみた。釜ヶ崎のNPOが運営する労働者やシェルター利用者の居場所の一室が会場になっている。労働者や学生、年配の婦人など、顔ぶれはいろいろ。指導するのは、関西合唱団の指揮者と本格的である。

 釜芸で作ったオリジナルソング「釜ヶ崎オ!ペラのテーマ」「ふんが行進曲」などは、おもしろい歌で笑ってしまう。そして、「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ケ・セラ・セラ」「防人の歌」を全員で歌っていく。ふぞろいのハーモニーが部屋に響く。大声を出す人、ただ立っている人、楽譜をのぞきこんでいる人。

 なるようになる 
 先のことなどわからない 
 わからない 

「ケ・セラ・セラ」の歌詞が沁みる。

 最盛期には200軒以上のドヤがあった釜ヶ崎。ドヤとは、日雇い労働者のための簡易宿泊所のことだが、今は50軒にまで減っている。平均寿命は73歳。全国の市町村でもっとも高齢化が進んでいる。高齢化の進展に伴って、生活保護の受給者も年々増え続けている。かつては、抗争や暴動が頻繁に起こった街だが、いまはその活気もない。代わりに目立つのが、大きなスーツケースを転がす外国人旅行者の姿だ。釜ヶ崎は様変わりしようとしている。

地域から疎まれるおじさんたちが
他の参加者の心を揺さぶる

労働者のおじさんは、表現することで人とつながり、人生を再生していく

 釜ヶ崎で暮らす日雇い労働者は、ほぼ全員が単身の高齢者。アルコール依存症、精神疾患、失踪者、生き辛さを抱えた人…、誰もが負い目を背負っている。

 そんな街で2012年に始まった釜ヶ崎芸術大学。運営は、「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」というNPO法人である。スタッフ5人の小さな所帯だが、地域の住民やボランティアに支えられて活動を続けている。代表の上田假奈代さんは話す。

「釜ヶ崎のおじさんたちは、世間からは疎まれる存在かもしれない。でも、釜芸は正直な場なので、素直な気持ちになって自分が肯定されます。そして、地域外から来た人たちは釜ヶ崎のおじさんたちの何気ない一言や深い言葉、独特の佇まいに心揺さぶられています。私がそうなんです。誰かに影響を与える、与え合うことができるのは、生きる証。人はかかわり合うことで、新しい気づきをもたらすんじゃないでしょうか」(上田さん、以下同)

 詩人でもある上田さんは、行政や医療、福祉と違って、釜芸は誰もがフラットになれる場所だという。

「権威ではなく、寄せ場の背景をもつ釜ヶ崎こそ、本当の意味で学び合う大学といえるのではないかと考えています」

 おじさんが表現することで若い人に影響を与え、それが循環していくような状態が理想だと話す上田さん。「生徒」から「先生」になった人もいる。

 そのおじさんは、6年前に釜ヶ崎にやってきた。71歳。一緒に暮らす家族はいない。何もすることがない毎日。自転車に乗って図書館へ通うのが、唯一の楽しみだった。ある日、図書館で何気なく手にとった、からくり人形の本が契機になった。

「自分にもできるやろか」

労働者のおじさんが独学で作り上げた電動のからくり人形

 本を見ながら、電気の配線やハンダ付けを独学で勉強していった。飲んだビールの空き缶を使って、電気で動くからくり人形を作ってみた。

「電気関係のことは、よう知らんかったけど、電気屋街で材料を探して作ってみたんや。せやけど、むずかしい。途中であきらめそうになったけど、他にすることもないんで続けてたら、ようやくできたんや。完成したら、えらい自信がついたわ」

 製作中は、つらいことを忘れられたというおじさん。これまで作ったからくりは、20以上。どれも電気仕掛けで動く精巧なものばかりだ。自分でお酌してビールを飲む通天閣やリヤカーを押して歩く夫婦。とてもアマチュアとは思えない力作に、私は目を見張った。そしてこのおじさん、昨年、釜芸でからくり人形の講座を開いて、先生になったのである。

労働者のおじさんたちが
みんなの「先生」に

 釜ヶ崎芸術大学では、いま、自分たちの手で井戸を掘っている。場所は、ココルームにある庭の一角だ。

NPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」代表の上田假奈代さん

 上田さんの友人・蓮岡さんはアフガニスタンで水源確保事業に携わってきた。彼が3年前に「見栄えは悪くても、枯れたら掘って再生できる持続可能なアフガンでの井戸の掘り方を日本に伝えてない」と話した。それが心に残っていたことに端を発する。

「今は蛇口をひねれば、当たり前のように水が出る時代。もし災害が起こったとき、いろいろ困りますが、一番困るのが水です。当たり前だと思っている水について、考えてみたい。それに、生活の中で大切なのに見えなくなっていることが増えていて、専門家任せになっている自分の感覚にも疑いがありました」

「蓮岡さんの話はまさにそうでした。それに、労働者のおじさんたちは、長年、土木建設や港湾関係の仕事をしてきた人たちです。便利さを享受するだけの私たちが、彼らの経験と知見に学ぶ機会になると思ったんです。実際に掘り始めると、おじさんたちは先生です。水を得た魚のよう。高齢で弱っているにもかかわらず、毎日、掘りに来てくれた人もいました」

 井戸掘りの経験を、被災地支援や生活の知恵として、多くの人とも共有したいとの思いで、クラウドファンディング(詳細はこちら)も行っている。

「いま街は大きく変わっています。高齢化が進んで、おじさんの参加者が減りつつあります。数年後には死んでしまう人も多いでしょう。でも、彼らの存在をなかったことにはされたくない。日本の高度成長を建設現場で支えてきた人たちです。人生を記録し、記憶にとどめていきたい。表現することを通して、生きた証を次の世代に受け継ぎたいと思っています」

 この4月、釜ヶ崎にある「あいりん労働福祉センター」が閉鎖された。公共職業安定所や食堂などが入っていた労働者のよりどころが、老朽化を理由にシャッターを閉められたのだ。時代の流れの中で、つねに変化を余儀なくされている釜ヶ崎。何年か後には消滅する可能性もはらんでいる。

 しかしこの街には、不器用かもしれないが人が生きている。自分の人生を生き切るために。正直に交流できる出会いに、小さな勇気が灯る。

(吉田由紀子/5時から作家塾(R))


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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