このページの本文へ

刑務所入り13回の知的障害者「はじめさん」の60年に見る日本社会の歪み

2019年07月11日 06時00分更新

文● 横田由美子(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

知的障害と性同一性障害を併せ持ち、実の両親からも理解されずに生きてきた男性がいる。福祉にもつながれず、生活をするために万引きや窃盗を繰り返してきた。福祉と司法、その間に落ちて適切なケアを受けられずもがいてきた方に話を聞いた。(ジャーナリスト 横田由美子)

60歳の「累犯障害者」
はじめさんとの初対面

はじめさん(仮名)は生活をするために万引きや窃盗を繰り返してきた
知的障害と性同一性障害を併せ持つはじめさんは福祉につながれなかったため、万引きや窃盗をし、逮捕されることを繰り返してきた(写真はイメージです) Photo:PIXTA

 はじめさん(仮名)、60歳。これまでに、医療少年院に2回、刑務所に13回入っている。人生の半分近くをおりの中で過ごしてきた人だ。知的障害と性同一性障害の疑いのある、いわゆる「累犯障害者」でもある。

 現在、はじめさんは、東京・八王子にある社会福祉法人武蔵野会の生活実習所に毎日通っている。昼食を職員の人たちと一緒にとり、草取りや落ち葉拾いなどの軽作業をして過ごしている。自宅アパートは、実習所から徒歩数分。出所当初は、収入のないはじめさんの代わりに武蔵野会が借り上げたアパートに、今は本人が家賃を払って生活している。

 私はこれまで数年にわたり、医療刑務所や少年院などを取材してきたため、彼らが一般的にイメージされているような凶悪犯でもなければ、猟奇的な犯罪者でもないことは、すでに知っている。むしろ、福祉と司法の間にいるがために、その編み目からこぼれ落ちてしまった人たちであることが多い。

 とはいえ、いつも取材で初めて会うときには、「少し緊張してしまう」ことも確かだ。そして私は帰り道、そのような懸念を抱いてしまった自分に対して嫌悪する。

 はじめさんを担当している、社会福祉士兼介護福祉士のまゆみさん(仮名)に付き添われて現れた彼は、ガタイもよく、トレーナーにジーンズと一見普通の格好だが、よく見ると胸が妙に膨らんでいた。ブラジャーをつけているからだと、後から知った。持っているバッグも女性もので、かわいい動物のミニストラップがついている。そして、どことなくおどおどしていて、長年、はじめさんを見守ってきた法人の理事長やまゆみさんの方をちらちらと見て、心を落ち着けていた。

 取材者である私が同じ“女性”であることが、安心した要因のひとつだったようで、少し時間がたつと笑顔を見せた。

普通の会話も困難なのに…
生活保護も受けていなかった

 いつから「女装を始めたのか」と、問うと、

「わ、わ、わたしは、あのあの、あれ、18歳の頃からたれんと、女性の格好していて、えーと、『キャリーバッグとか荷物に女性の下着とか服とか男なのに持っているのか?』と言われ、取ってないのに『取っただろう』とか言われて、お母さんに電話してくださいと言っても全然わたしの言うこと聞かなくて、結局お母さんに電話したれんと…」

「(はじめさんの)妹の下着とかバッグとかがないって言ったんですよね。それでお兄さんがこんな格好しているから、あのーお母さんが警察の人に『妹が私の服とか下着とか着ようと思ってもないよ。お兄さんが持っていったんじゃない』と言ってくれたんだけど、警察はどこかから私が女性のものを盗んだと思って、何回も『取ってきたんだろう』と言って、何回も『お母さんに聞いてください』と言ってるのに、お母さんのところに納得してやって電話したから、別に良かったんですけど、えーと私、18歳の頃から女性の格好をしてて…」

 はじめさんの言葉は、少し読みにくいと思うが、ほぼ彼が話したままを記載した。彼の話は脈絡がなく、話しているうちに横道にそれていく。同じことを何度も繰り返して言い、口調もどもっていて、「普通の会話」すら困難だということをわかっていただけると思う。ちなみに、はじめさんは語尾に「~たれんと」をよく付けていたが、恐らく、出身地である群馬のある地方の方言なのだろう。

 はじめさんが、何度も累犯者として刑務所に出戻ることになるのは、会話に出てくる警察官からの職務質問が原因となっていることが多い。無実なのに犯罪者扱いされたことに腹を立てて、本当に万引きや空き巣などの行動に移してしまい、逮捕されるという繰り返しだったからだ。

 実際、女性用の下着や衣服が欲しくても、まともに就職することができないから、お金がない。そうした欲求を満たすためには、“盗む”という方法しかないのも確かだ。はじめさんが満期で府中刑務所を出所してから、約6年がたつ。この時は、コンビニで200円のお菓子を万引きしたことが、刑務所に戻るきっかけだったという。

 それまで、誰も生活保護について教えてくれる人がいなかった事実に、私は驚愕した。彼は本来、福祉でケアされるべき人間であるはずだからだ。さらに、現場の警察官のみならず、一般の人のLGBTなどに対する認知の低さも、彼の不幸を助長したと思う。

掃除の仕方もお金の使い方も
はじめさんは知らなかった

 はじめさんは、トイレは「女性用」しか入れない。女性用の下着や衣服が欲しいが、お金もないから、結局、“盗む”という行為をとってしまう。しかし、それらの行為は、常に「性的目的を満たすため」とみなされてきた。医療少年院に2回送られているので、その時に、普通に考えれば知的障害などについては把握されていたはずなのだが、精神科での受診を受けることをすすめられることはなく、刑務所に送られ続けてしまった。

 はじめさんが、知的障害者に交付される「愛の手帳」を作ることができ、生活保護を受けることができたのは、6年前に満期出所し、武蔵野会が引き取りと援助を始めてからだ。

 はじめさんは言う。

「ここにいるね、まゆみさんが面倒みてくれて、服とかカツラとかいろいろ買って、自分のお金というか生活保護を出してもらって、それでいま、女性として頑張っているんですけどね」

 まゆみさんに聞くと、ここまでたどりつくのは大変な道のりだったようだ。最初の頃は、毎日はじめさんの家に通い、部屋の掃除や料理の仕方、外に出る時の格好などを根気よく支援した。

「ドアを開けると、“壁”があるんですよ。ドーッと倒れてきて、中に入れなかったんです(笑)。彼にとって、モノの分別は難しいのでしょう。あと、なんでも一所懸命やり過ぎて、疲れてしまうという性質も影響していると感じます。結果、捨てられないからモノが増えて、ゴミ屋敷になってしまう」

「今は朝、洗濯している間に部屋の掃除をして、終わったら買い物に行って、1日1食は、施設で栄養士さんの作ったちゃんとしたものを食べる。お金も最初は全額渡しましたが、すぐに使ってしまったので、数日分渡すところから始めて、今は1ヵ月分渡しても大丈夫になりました。その中で500円玉貯金をして、年に数回はプランを立てて旅行もできるようになったんです」

 いわば、生き直しの支援である。

「間でもがいている人」に
厳しい国・日本

 はじめさんは中学の特殊学級を卒業してすぐ、父親に連れられて全国各地を、建設作業員の仕事をしながら渡り歩くことになる。話に要領を得ないから、我々の推測も入っているのだが、はじめさんの実家は農業を営んでいたようだ。しかし、閑散期には仕事がないので、父と一緒に建設現場で、住み込みで働いていたのだろう。この時のことを聞くと、はじめさんは傍目に見ても明らかなほど興奮して話す。

「給料をお父さんが全部使っちゃって、貯金してくれないで全部使っちゃって、そのお金で女性になろうかと思っていたのに」

 経緯はわからないが、はじめさんは父と別れ、電車を無賃乗車しながら、万引きや置き引きなどを繰り返して、日々の腹を満たし、駅などで寝泊まりするようになったようだ。

 そこから彼の人生は転落していく。もし、周囲に手助けをしてくれる大人がいれば、彼が大人になった後でも、誰かが気づいてあげられれば、はじめさんの人生はもっと早くに軌道修正されたはずだ。

 私は、厚労省の官僚にこの話をして、感想を求めてみた。法務省と厚労省が、共同で福祉と司法の間にいる人々をケアする施策を実行に移し始めてから、約10年。ようやく現場は、動き出した程度の感覚ではないのか。

 霞ヶ関の高級官僚は、言葉を選びながらこう言った。

「日本という国は、いろんな意味で“間でもがいている人たち”に、厳しいんです。税金でも医療でも年金でも、何でもそうなんですよ。そこを埋める感覚があまりない」

 私は、社会のハイクラスにいる人たちを取材することが多かった。老獪な政治家、頭脳明晰な官僚や弁護士、学歴はなくても一芸に秀で、何百億もの資産を持つ起業家…いわば、社会の強者であり、権力者である。そうした人々の中に身を置くと、いつの間にか自分の感覚が麻痺していたことに気がついた。本来、私の仕事は、苦しんでいる声なき声を世に伝えることではなかったのかと、自問自答するようになった。

ようやくできた
母親との和解

 はじめさんの境遇は、同情すべき類いのものではなく、むしろ、わが事として捉えるべきものではないだろうか。

 はじめさんが知的障害者としてこの世に生を受けたのは、宿命であり、あらがうことはできない。しかし、それが私自身や私の家族であっても、決しておかしくはないのだ。6月末、ハンセン病家族訴訟に対する勝訴判決が熊本地裁で出た。判決文には「人生被害」という言葉が使われていた。

 しかし、もしハンセン病患者が、隔離されていなかったとしても、社会の中で、石を投げられずに生きてこられただろうか。家族は無傷でいられただろうか。私は疑問に思う。恐らく患者も家族も、就学拒否、結婚差別、就労拒否といった周囲の無理解に晒され続けてきたのではないか。

 はじめさんは最近になって、ようやく母親と和解することができた。父親が鬼籍に入ったことも大きいが、実母でさえ自分の息子を理解することができなかったのだ。親戚とはいまだにうまくいかない。それでも、はじめさんは拙い言葉でこう話す。

「お母さん、もう85歳なんですね。弟と住んでいて、弟は私と同じような施設に通ってる。弟はごはんもみそ汁も作れないし洗濯もできないんですね。お母さん死んだら、実家に帰って、面倒みてもいいです」


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ