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仮想敵国から普通の国に、日米関係の転換が「令和の新モデル」を作る

文● 高田 創(ダイヤモンド・オンライン

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日米関係の転換が令和の新モデルを作る
Photo:123RF

 今年5月1日、新たな元号、「令和」がスタートした。これまで元号は漢籍をベースにした堅いイメージがあったなか、今回、万葉集がベースになった点は新たなイメージをもたらしている。

 経済的にも地政学的にも、30年前に昭和から平成になった時とは置かれた環境は大きく違う。

令和の「春の訪れ」
新たな日本モデル作れる時代

 バブル経済で世界を席巻し、米国の覇権を脅かす「仮想敵国」視された当時とは違い、「世界の並の国」にはなったが、そのことが日本の新モデルを作り得る可能性を持っている。

 それは、株式市場の時価総額の推移からも、平成の初めから、令和のスタートに至る変化が如実にわかる。

 政府は、令和への改元にあたり、「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように」と、令和の時代を例えたが、そのことは、図表1でストーリーラインとしていた過去40年の歴史観によくマッチングする。それは、新たな日本のモデルを示すものだ。

 図表の左側の1980年代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とされ、日本の株式市場は世界の時価総額の半分以上を占め、株・不動産高騰、資産インフレ時代だった。

 赤い線が引かれた1989年、平成元年が株式市場のピークで、平成の幕開けと共に、一転して日本は長い「雪の時代」に入る。

 日本だけが世界から隔絶され、資産デフレ・超円高の「雪の魔法」がかかり、平成はバブル崩壊を一手に背負った元号になった。

 2013年からのアベノミクスの6年間で、資産デフレ・超円高が転換し「雪の魔法」は解けたものの、国民の意識は依然「雪の魔法」から抜け出にくい状況にある。

 そうしたなか、今回の「令和」で「春の訪れを告げる」というのは、まさに「雪の時代」からのマインドセット転換を意味する。

「桜」や「向日葵」のような華やかな昭和のバブル期に戻るのではないが、あくまでも「梅」のように、ほのかなものでも、日本の新たな姿を示すことになるのも特徴的だ。

平成元年と令和元年の大きな違い
「世界の並の国」になったが

 図表2は、平成元年(1989年)頃と令和元年の置かれた環境を示す。

 さまざまな観点から見て両者は対照的だ。

 平成元年は、バブル経済のピークで、高揚感を超え退廃的な面さえ見られた局面だった。政治的にも自民党一党支配からの不安が生じ、その後に起きたリクルート事件を機に政界は混迷の時期に突入する。

 バブルがもたらした資産格差は、不動産を中心に「持つ者、持たざる者」による社会の不満が政治的不安定さをもたらした。

 一方、令和のスタートは、天皇の崩御で「自粛」が半年以上続いた平成に比べ、200年ぶりの生前退位のなか、「祝賀」ムードであり、経済効果も見込める。

 日米摩擦やバブル崩壊など、長年続いた平成の危機的な有事状況から、「平時」「普通の国」に戻りつつあるだけに、改元は改めてマインドセットの転換を象徴的にもたらす可能性がある。

米国の「仮想敵国」になった平成
「異質論」やグローバル化の圧力

 平成と令和の大きな違いは、実は、日本の置かれた地政学的な立場、なかんずく、日米関係の転換によるものだ。

 以下の図表3は、過去40年の米国大統領と、同政権で想定されたその時の「仮想敵国」、さらには日米関係を示したものだ。

 米国に中国という明確な仮想敵国の存在ができたなか、今の日米関係はレーガン・中曽根政権以来の「緊密」ぶりだ。

 レーガン政権時代に日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とされ経済的脅威論や通商摩擦が生じたが、当時の米国の仮想敵国はソ連だった。その後、冷戦終焉で、貿易不均衡問題が政治イシューになり、日本は「仮想敵国」に変わった。

 最悪だったのは、平成に転じた時期、日本が仮想敵国としてターゲットになってしまったブッシュ(父)政権、クリントン政権だった。

 しかし、今やそうした日本の脅威論も後退し、今日、戦後、最も緊密な状況といえる。

 こうして見てくると、平成になった時期と令和の幕開けは、全く環境が異なることがわかる。

 30年前当時の日本が米国の仮想敵国に祭り上げられてしまった立場と、今や最も緊密な関係の180度、異なる立場である。

令和は日米関係では
最も恵まれた環境

 平成初期は、バブル経済ピークであり、国際関係で日本の経済的脅威が最も意識された局面だった。

 当時、日本のGDPの規模は米国の60%を超え、米国が日本の脅威を意識するラインに達した。日本の株式の時価総額は世界全体の半分以上を超え、不動産では日本を売ると米国が優に買えるとされ、日本の資産パワー、ジャパンマネーが世界を席巻するとされた。

 金融市場での存在感では、当時の日本は、今の中国の存在感を大きく上回るだろう。通商関係では、1991年に米国の貿易赤字の60%以上が日本になり通商問題が先鋭化した。

 さらに、決定的な影響を与えたのが、1989(平成元)年11月にベルリンの壁が崩れ東西冷戦に幕が閉じたことだ。その結果、米国にとって仮想敵国だったソ連の脅威が後退し、経済面のパワーから日本がソ連の後の仮想敵国の立場に浮上してしまった。

 日本は、「出るくぎはたたかれる」かのごとくバッシングを受ける時代となった。そうした環境は1990年代を通じ日本への外圧として続き、バブル崩壊の影響が金融システム不安や「日本型」企業経営などの問題にまで波及し、長い経済停滞に陥ることになった。

 まさに、グローバル環境からも「第二の敗戦」に近い状況になった。当時、日本を封じ込めるための理屈として「日本異質論」が主張され、その流れに沿って日米構造協議で日本の経済的慣行にメスが入った。

 同時に、「グローバル・スタンダード」の名のもとに日本の体質を変えることが迫られた。

代わって「中国異質論」
中国封じ込めは長期戦に

 以上の環境は、それから30年が経過し、今日、中国に向けられた動きと類似する。

 今の中国GDPは米国の60%を超え、すでに「トゥキディデスの罠」として米国が強く意識する存在になっている。90年前後の日本がハイテク半導体摩擦での脅威になったのと同様に、今日もハイテク戦争の状況にある。

 さらに、注目されるのは「中国異質論」の台頭であり、国有企業等の存在に焦点が当たっている。

 日本の平成初期、1990年代を通じて一貫して米国が行った対日封じ込め戦略の歴史を振り返れば、米国は中国に対し10年単位で戦略的な封じ込めに出る可能性が高い。

 たとえ政権が代わっても戦略は変わらず、米国は「中国異質論」を論拠に中国のパワーの源となる経済構造にメスを入れるとみられる。

 同時に、グローバルな観点から「グローバル・スタンダード」の受け入れを迫りながら、中国の経済構造の変質を迫ろうとすると考えられる。

令和の日本モデルは
世界の溝を埋める架け橋

 振り返れば、平成の30年は経済面では「雪の世界」の悪夢の時代だったが、その背後に日本が米国の仮想敵国として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から封じ込められた立場になったことによる悪夢が存在した。

 令和になって、日本の立場が「世界の並の国」に成り下がってしまった面はあるものの、もはや世界から「封じ込められる」状況にはない。

 むしろ、日本は世界各地で生じた分断をつなぐ役目が期待されるくらいの存在だ。新たなジャパン・モデルを展望できるとも考えられる。

 日本が90年代初の「バッシング」、その後の無視される「パッシング」の環境にあったのとは大きく異なり、「クロッシング」として世界の溝を埋める架け橋の役目も期待される。

 今年のG20での議長国の役目はその象徴的な面を持つだろう。世界的な経済の減速で、今年は日本の株式市場も逆風の状況が生じやすいが、令和の日本の置かれた立場は随分と改善していることを認識する必要がある。

(みずほ総合研究所 副理事長/エグゼクティブエコノミスト 高田 創)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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