このページの本文へ

白鵬にモンゴルを捨てさせる相撲協会の非情な姿勢

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
白鵬のモンゴル国籍離脱は日本国籍取得に向けた第一歩と見られています Photo:Rodrigo Reyes Marin/Aflo

 横綱・白鵬が、モンゴルの国籍離脱を申請した、というニュースが報じられた。日本国籍取得に向けた一歩だという。

 このニュースに接し、一人の日本人として人間として、失望と怒り、そして申し訳ない気持ちにかられた。

 白鵬は「モンゴル国籍のまま相撲界に残りたいと希望している」と、数年前から伝えられていた。その思いを、なぜ日本相撲協会は叶えてあげないのか?

「モンゴル国籍は捨てたくない」
功労者・白鵬の思いを無視する相撲協会

 最近は何かと騒動の発端となる横綱だが、史上最多42回の優勝を重ね、平成19(2007)年7月場所に横綱昇進して以来10年以上、大相撲の看板を担い続けている。白鵬がいなければ、平成半ば以降の土俵はずいぶん寂しいものになっただろう。

 その功労者は、以前から「今後も相撲界にとどまりたいが、モンゴル国籍を捨てたくはない」と希望していた。それを拒否する理由は何だろうか?

 相撲は日本の国技だから指導と協会運営に携わる年寄(親方)は日本人でなければいけない、というのが、これまでに示されている理由だ。

 日本人でなければ日本文化は理解できない、他人に伝えることはできないという言い分。ならば、帰化すれば分かるとでも言うのか?

 日本国籍を取得すれば、白鵬の「一代年寄」を阻む壁はなくなる。

 引退後、白鵬が希望すれば「白鵬親方」が誕生する準備が整う。国籍を取得してもしなくても、白鵬は白鵬だ。形式的に高いハードルを防波堤にする意味が、この国際化、ボーダレスの時代に一体どんな意味があるのか。

 年寄名跡には限られた数がある。今は制度が変わり、個人間で売買できなくなったが、「年寄株」とも呼ばれるとおり、それは資産である。これを海外に流失させていいのかという議論はあるかもしれない。だが、白鵬が望んだのは「一代年寄」であって、他に譲渡もできない。

 日本文化とは何かを考える。わび、さび、といった言葉で表現される奥ゆかしさ、損得を超えた愛情や思いやりが日本文化の底流にあると私は感じている。

 この観点から言えば、規則を盾に白鵬の一代年寄の希望を突っぱね、国籍を取得したら認める日本相撲協会は、かつての悪代官を彷彿とさせる、悪しき日本文化の象徴ではないか。

 さんざん白鵬人気に依存しながら、引退後は理不尽な規定を変えず支配下に置こうとする日本相撲協会の冷たさ、小ささに失望する。このような気持ちしか持たない日本相撲協会に、日本文化の継承を任せていいのだろうか。

 白鵬はモンゴルの英雄でもある。しかも白鵬の父親は、モンゴル相撲の王者であり、メキシコ五輪のレスリングでモンゴルに初めてのメダル(銀)をもたらしたまさに英雄。この白鵬からモンゴル国籍を奪うことの意味に、日本相撲協会は思いを巡らせているのだろうか。

 先ごろ引退を発表したイチローが、今後マリナーズの監督になるか経営に参加するなら日本国籍を捨てなければならないと強要されたら、日本のファンはどんな気持ちを抱くか、想像すればすぐ分かることだ。

白鵬が追い求める「後の先」
今や導いてくれる親方は誰もいない

 白鵬はある時期、「双葉山の境地を目指し、相撲の奥義を極めたい」と言い続け、「後の先」といった言葉をしばしば口にしていた。そのころの白鵬は真摯に相撲に取り組む姿勢にあふれ、「日本人以上に日本人らしい」といった形容で敬愛されていた。

 ところが、「後の先」を求める道半ばで白鵬の雰囲気が変わり始める。それは、2013年1月に白鵬の理解者であった元大鵬さんがこの世を去ったことも影響しているだろう。日本に学び、日本の国技である相撲道を邁進しようにも、「後の先」を語り合える先達もなければ理解もない。ファンもそのことにほとんど関心がなく、ただ勝った負けたで騒ぐに過ぎない。日本や相撲に対する深い失望があったのではないかと想像する。

 言葉を変えれば、日本相撲協会はすぐ「伝統」や「国技」といった言葉で自分たちを守ろうとするが、白鵬に「後の先」を体現してみせ、導いてくれる親方は今の相撲界には1人もいない。そのくせ白鵬に注進し、国籍離脱まで暗に強いた。

 白鵬のオフィシャルブログを見ると、2016年1月28日に「後の先」と題して、こう書いてある。

『初場所が終わり、場所休みをゆっくりさせていただいております。その中で今までの動画を見て、皆様にも是非見ていただきたい取組があります』

 そこに貼り付けてあるのは、『昭和の大横綱 双葉山 昭和の後の先 パーフェクトの双葉山』と注釈をつけた双葉山の相撲。

 そして、「この取組みパーフェクトかな」と、白鵬自身の2010年秋場所・日馬富士戦と2013年初場所初日・松鳳山戦も載せている。いずれも相手の立ち合いを悠然と受けて、そこから一気に相手を翻弄して勝った相撲だ。

「後の先」とは、先に動いて先手を取る「先の先」とは違い、一見相手が先に動いているが、動かない白鵬の方が間合いを制して相手を無力化している」といった境地だと思われる。筋力勝負や目に見える動きの強さ速さにばかり目を奪われる日本では、まったく理解されない価値観だ。

 本来、相撲を通して日本相撲協会が継承し発信すべきはこのような相撲の深さであるはずなのに、当の相撲協会の幹部たちが、こうした魅力を認識できていないとしか思えない惨状だ。

 さらに、白鵬はこう記している。

『後の先はこれからの夢と目標であります。後の先で負けても悔いはありません』

 この横綱から、故郷モンゴルの国籍を奪う資格が日本相撲協会にあるとは到底思えない。申し訳ない気持ちが空しくさまようばかりだ。

 なぜこんな簡単なことに気付けないのか。母国への愛と誇りを断ち切らせて、どこに「心」は育つのか? 矛盾に満ちた規定を変えることもできない。相撲協会への疑念は消えないままだ。

(作家・スポーツライター 小林信也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ