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「サイン盗み」を抗議した監督が悪者に、崩れる高校野球への幻想

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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サイン盗み
かつて「サイン盗み」は当然のチームプレーとして行われていました(写真はイメージです) Photo:PIXTA

 センバツで騒動が起きた。

 大会6日目、3月28日の星稜(石川)対習志野(千葉)の試合後のインタビューで星稜の監督が習志野のサイン盗みを指摘し、その後、習志野の控え室に怒鳴り込んで抗議したというものだ。

 星稜の監督は試合中、主審に二塁走者の動きについて確認を求めた。習志野の二塁走者が、打者にサインを教えているとアピールしたのだ。事前に捕手から主審にアピールしたが改善がなかったため、監督自ら主審に確認したのだ 。

1999年以前「サイン盗み」は
当然のチームプレーだった

 走者やランナー・コーチが、捕手のサインを盗んで打者に伝える行為は禁じられている。1998(平成10)年に通達が出され、翌99(平成11)年のセンバツから適用されている。

 それ以前は、二塁走者が打者に手の動きなどでサインを教える行為が公然と行われていた。禁止の概念も規定もなかったため、当然のチームプレーと誰もが認識していた。

 二塁走者は投手の後方にいるから、捕手のサインが丸見えだ。よほど複雑なサインでなければ見破ることはできる。高校生の場合、スピードアップの意味もあり、たいていは指一本が直球、二本がカーブといった単純なものが多い。次にもう一度指を一本出したら内角、二本が外角といった具合。そうやって球種とコースを確認し合う。

 最近は球種が多いため、5本の指では足りない投手もいる。そんな場合は、真っ直ぐ系、スライダー系、沈む系で、あとは投手の判断に任せるバッテリーもいるし、指の出し方のバリエーションを増やすことで細かく決める場合もある。

 いずれにしても、攻撃側は二塁に走者を送るたびに情報が得られるので、早い回でサインを把握することもできる。中には、センターのバックスクリーン脇の外野席に関係者が陣取って、双眼鏡でサインを覗き、解析してベンチに伝えるチームの存在もたびたび指摘されている。

 それを大会本部に発見され、試合中に咎められた高校の部長が、「どこでもやってるじゃないか」と開き直ったという話も取材で聞いたことがある。

 これに対してバッテリーは、二塁に走者が出た場合だけサインを変える、回によって変えるなどの対応をする場合もある。

 走者が出ると、ただ本塁に返さない投球を心がけるだけでなく、このような無言の重圧を受ける。それだけに、二塁に走者を送れるか否かは、攻撃側にとって重要なわけだ。犠牲バントは、ただ得点圏に走者を送る以上の意味がある。

 98年のオフにルールが改訂された直後、甲子園に何度も出場している監督がこんな話を苦笑しながらしてくれた。そのチームは東日本の高校だが、ひとり、関西からの野球留学生がいた。高野連からの通達を監督が選手に伝えると、選手のほぼ全員が「わかりました。もう二塁からサインの伝達はしません」という顔でうなずいた。ところが、関西出身の選手だけが違うことを言ったという。

「そうですか。そりゃ今度から、うまくやらな、あきませんね」

 監督も驚いたそうだが、それ以上にきょとんとしていたのは他の選手だった。強豪がひしめく関西の発想がこうも違うのかと実感した出来事だったわけだ。

 関西の地方大会を見に行って私自身も目撃した実例がある。高校野球ファンでなくても知っている強豪校の試合を観戦していたとき、関西の中学野球の関係者が私の肘をつついて、「二塁ランナー、見てくださいよ」と言う。最初は気付かなかったが、見ているうちに、その言葉の意味が理解できた。

 強豪校の二塁走者は、捕手のサインを確認し、速球だと見るやスススッと素早い動きでリードを取る。変化球系の場合はのろのろとゆっくり動き始める。これらの動きは、どちらもありえるリードの方法だから、「違反!」と抗議のしようもない。だが、そうとわかれば、二塁走者が打者にサインを伝達しているのは明らかだ。そして、それを知った相手チームのバッテリーは地団太を踏みながら、見えないプレッシャーを受けて、自分たちの自然なリズムをどうしても崩してしまう。

 今回も、星稜の選手が「足の運びが」といった話をしたようだが、上記のような伝達方法が疑われたのかもしれない。

「やった者勝ち」の論理が
中学硬式野球でもまかり通る現実

 本当は、ばれるか、ばれないか、ではなく、「やらない」のが当然だ。しかし、勝つためなら、「そんなの当たり前」なのだ。それが残念ながら、いまの高校野球の常識であり、主流だ。すべてとはいえないが、ここ数年、甲子園で頂点を争うチームの多くは、「そんなの当たり前」の方針に彩られた不愉快なプレーが目立つ。悔しいけれど、そういうチームを敢然と一蹴する正義のチームはなかなか現れない。だからいっそう「そんなの当たり前」が支配する。

 私は中学硬式野球の監督を昨春まで8年間務めたが、練習試合の途中、守備から戻ってきたエース投手が「ランナー・コーチがサインを教えています」とつぶやいた。次の守りで確認すると、こちらの捕手のサインの出し方も甘いのだが、確かに一塁コーチが捕手のサインを覗き込んで打者に教えている。タイムを取って主審に伝えた。すると、練習試合のため主審が相手チームの審判だったせいもあるだろう、一瞬、嫌な顔をされた。それからしぶしぶ、相手ベンチに行って抗議の趣旨を伝えた。相手の監督はさらに嫌な顔をして、一度は審判に抗弁した。しかし、審判に諭され憮然としてベンチに腰を下ろした。

(そんな野暮なことを言う監督のチームとは金輪際、試合をしたくない)という顔に見えた。

「どこだってやっていること。やらなきゃ勝てない。高校でもやっているのだから、中学でそれを教えなければ選手は強豪校で使い物にならない」

 というのが、中学野球指導者の言い分だ。これは小学生の野球にまで波及している。私は少年野球のコーチをしていたときも、勝つためにラフプレーを選手に教えている相手監督と、それを容認している主審に抗議した経験がある。だが、認められないばかりか、危うくこちらが退場になりかけた。しかも、ラフなプレーから身を守ってあげたつもりの自軍選手の両親からも陰で嘲笑された。「小学生だからまだわかるけど、中学野球でもそんな綺麗ごとを言ったら笑われるよね」と。

 つまり、野球界には、フェアプレーとは裏腹の、ルール破り、マナー無視のブラック・プレーがはびこっている。そういう風潮が一部ではなく、勝利を目指すチームでは主流になっているのだ。

 いみじくも、習志野の監督は、抗議に現れた星稜の監督に対して、

「星稜もやっているでしょう」と言い返したという。その言葉に、高校球界にはびこる勝利至上主義の弊害、ルール破りも当然だとする根深い実態が露呈している。

 モリカケ問題をはじめ数々の事案で不正が明らかになりながら、なぜ政権がのうのうとその座に居座り続けるのか不思議でならないが、高校野球の実態や裏表を見れば、日本中がそういう本音と建前に牛耳られ、「やった者勝ち」の論理がまかり通っているのだとわかる。哀しくて、やりきれない。

「ノーサイドが原則」の発言に
滲み出る悪しき高野連の悪しき体質

 この問題は、さらにもうひとつ波紋を広げている。

 習志野が実際にサイン盗みをしていたかどうかは調査が必要だが、このような疑惑が指摘されたら、根本的に改善する方向に動くのが日本高野連の当然の姿勢だろう。ところが、星稜の監督をバッシングする方向で事態は収拾されているのだ。

 翌日、報道陣に対して星稜・林和成監督は「私の行き過ぎた言動と行動で多大なご迷惑をお掛けしたと日本高野連に謝罪した」と語ったと報じられた。だが「私の中ではあったのではないかといまだに思っている」とも語ったという。

 日本高野連の竹中雅彦事務局長は「どういう動作がそう見えたのかを確認したい」と話し、星稜に対して証拠と主張する1回戦の映像提出を依頼したそうだ。また一方で竹中事務局長は「試合後はノーサイドが原則。試合後の行動は反省してください」と注意したと報じられた。

 この竹中事務局長の発言にこそ、日本高野連の悪しき体質が滲み出ていると私は唖然とした。ノーサイドの精神というスポーツ用語を自分たちに都合よく曲解し、正義を押し付け、本質をあやふやにする、最も許されざる姿勢だと思う。

 ノーサイドとは元々ラグビーのスピリットを表す言葉だ。そのラグビー界では、試合が終わると敵も味方もなく、ビールを酌み交わし、試合を振り返る。そこにはレフリーも加わって、時には激しい議論にもなる。ジャッジを巡って、忌憚のない意見を交し合うのだ。

 ルールの解釈、ジャッジの意図、試合中には会話できない深い部分やお互いの意見の相違を試合後に確認する。私は、選手と審判が口角泡を飛ばし、時には試合中以上に高いテンションで口論する光景を何度も見ている。それでこそ、互いの理解が深まり、次の試合に臨む準備ができる。ノーサイドとはこういう姿だ。自由な議論や会話をするという本質を曲げて、「言うことを聞け」と言わんばかりの暴言だと気付いていないほど、日本高野連は裸の王様になっている。

 私も中学硬式野球の監督時代、試合後に本部席へ行き、審判団に説明を求めた経験がある。ところが、本部席や審判を訪ねた時点で「文句を言いに来た」と受け取られ、完全拒否の姿勢を貫かれた。

「抗議ではありません。もう試合は終わったのだから、結果が覆らないのはわかっている。だからこそ、説明を求めに来た。監督がルールの運用を理解していなければ、次の試合に向けて選手にどう指導していいかわからない」

 そう主張したが、「抗議は一切受けない」の一点張りで、私に「要注意」のレッテルが貼られただけだった。ラグビー取材の経験があったため、ごく当然のように説明を求めたのだったが、野球界ではこれがまったく通用しない。次のような新聞報道が、報じる側にも、お上の側から物を見る基本姿勢を表している。

『前代未聞の怒鳴り込みだ。2回戦で習志野(千葉)が星稜(石川)に3―1で競り勝ち、初の8強入り。今大会No.1右腕・奥川恭伸投手(3年)の攻略に成功したが、敗れた星稜の林和成監督(43)は習志野のサイン盗みを疑い、怒りを爆発。試合後に相手の控室に乗り込んで小林徹監督(56)に「フェアじゃない!」と直接抗議する異例の事態に発展した』(スポニチ 2019年3月29日)

 いまは罰則がないため野放しになっているとの批判・提言もある。まぎらわしい動きをした二塁走者に「アウト」を宣告すべしとの提言だ。しかし、懲罰主義も危険だ。この罰則を逆用され、9回裏一打同点の場面で、まぎらわしい動きをアウトにされたら、無実の攻撃側にはたまらない。まったくその意図や事実がなかったときに、その場で無実を証明する方法もないからだ。たとえビデオ判定を導入しても、なんらかの動作に疑惑を向けられたら否定のしようもない。

 それよりも、真のスポーツマンシップが全体に流れる高校野球に変えることこそ根本的だが、多くの指導者に「その気がない」現実が最も悲観すべき状況ではないだろうか。悪しき勝利至上主義を一掃するには、『球数制限』などの断片ではなく、大会の実施方法や根本的な価値観の見直しなど、大胆な高校野球改革が必要だ。「何食わぬ顔でルール破りをするのが当然。勝てば官軍、すべてが手に入る」、そんな人間を次々と育成する高校野球を放置していいはずがない。

 センチメンタルに溺れず、いまこそ高校野球への幻想を捨て、厳しく現実を見直す時期に来ていることを、今回の出来事は改めてあぶりだしてくれた。

(作家・スポーツライター 小林信也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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