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本田圭佑が凱旋帰国でのぞかせた「敏腕ビジネスマン」の顔

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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2019 AFCチャンピオンズリーグ,本田圭佑
AFCチャンピオンズリーグでプレーする本田圭佑 写真:YUTAKA/アフロスポーツ

ギラギラしたオーラがひしひしと伝わってくる。オーストラリア王者のメルボルン・ビクトリーFCの一員として日本へ凱旋し、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループリーグ第2戦でサンフレッチェ広島と対戦。鮮やかなゴールも決めて存在感を示した元日本代表MFの本田圭佑は、試合後に連発した「本田節」を介して嗅覚鋭いビジネスマン、世界へ挑み続ける先駆者、成長と夢を貪欲に追い求めるアスリートからなる3つの顔をのぞかせていた。(ノンフィクションライター 藤江直人)

現役サッカー選手であり事業家
自身のファンドは約110億円を集める

 アジアで最大級となるサッカースクールを展開し、欧米やアジア、アフリカではクラブチームを実質的に運営。視線はサッカー以外にも向けられ、アメリカの人気俳優ウィル・スミスらと共同で立ち上げたベンチャーファンドは、世界中から日本円にして約110億円もの出資金を集めた。

 元日本代表の本田圭佑は現役のサッカー選手にして、事業家や投資家としての顔をも持ち合わせている。他の選手たちとは明らかに一線を画す多忙な日々は、自身のオフィシャルWEBサイトで公開されている、異彩を放つ行動スケジュールからうかがい知ることができる。

 例えば2017年6月13日以降のそれを見てみる。ハリルジャパンの一員として、イラク代表とのワールドカップ・アジア最終予選を中立地のイラン・テヘランで戦った本田は、経由地となるUAE(アラブ首長国連邦)のドバイで、日本へと戻るチームから単身で離脱している。

 向かった先の中国・上海でサッカークリニックを開催したかと思えば、帰国後は星稜高校時代の3年間を過ごした石川県金沢市へ慌ただしく移動。金沢大学での講演を終えると、大阪と東京に滞在した4日間で実に14回ものミーティングをスタッフや事業関係者たちと開催している。

 これだけでは終わらない。再びUAEへ向かって2日間をミーティングに充て、その後はアフリカ大陸のウガンダへ飛ぶ。国連財団主催のイベントや懇親会、サッカークリニック、難民キャンプ訪問と精力的に活動すると、今度はイスタンブール経由でアメリカ西海岸へ向かった。

 まさにワールドワイドで目まぐるしく動き回っている中で、時間の合間を縫って自主トレを行うことも忘れない。そして、いつしか身につけたビジネスに対する鋭い嗅覚は、オーストラリア王者のメルボルン・ビクトリーFCでプレーする今も現在進行形で研ぎ澄まされている。

「チケット完売でも
4分の3が空席の裏事情」に持論を展開

「いやいや、もったいないですよね。大きく空いているあのスペースが」

 こんな言葉を残したのは、サンフレッチェ広島とのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグ第2戦を戦い終えた、12日のエディオンスタジアム広島の取材エリアだった。この一戦は本田がJクラブ相手に約11年3ヵ月ぶりにプレーする、いわゆる“凱旋マッチ”だった。

 前売り段階でチケットが完売し、当日券もないと告知されながら、実はスタンドの4分の3は空席だった。これには裏事情がある。同スタジアムの収容人員は約3万5000人だが、ACLにおいては背もたれのない席や長椅子席などの使用が規定で禁じられている。

 販売できるチケット数の上限が約9000枚となり、完売した末に試合当日には8968人が詰めかけていた。地元メディアから事情を説明された本田は「そうなんですけど……ACLの規定を変えた方がいいですよね」と理解を示した上で、集客方法に関する持論を展開している。

「何かカープの人気があると聞いてきたので、(プロ野球ファンは)もっとサッカーを応援してもいいんじゃないかと。サンフレッチェも非常にいいサッカーをしていたし、別にプロ野球のファンがサッカーを応援してはいけない、というルールはありませんからね」

 スタジアムへの交通アクセスの悪さや駐車場の少なさもあって、サンフレッチェは観客動員で苦戦を強いられてきた歴史を持つ。開幕から首位を独走した昨シーズンのリーグ戦の平均観客数は1万4346人と、J1残留争いを強いられた2017シーズンの1万4042人から微増にとどまった。

 ACLの直近に行われたリーグ戦となる今月1日のジュビロ磐田戦では、平日夜に開催されたこともあって7741人だった。一方で、広島東洋カープでは今シーズンのチケット抽選券を巡り、約5万人のファンが殺到。ちょっとした騒動に発展したことを、帰国前から本田は把握していたのだろう。

「オーストラリアは非常に面白くて、ラグビーシーズンとサッカーシーズンがかぶらないように設定されているんですね。なので、サッカーのファンはシーズンが終われば、次はラグビーを応援し始める。なので、サンフレッチェのマーケティング方法としては、いかにカープのファンを巻き込むかだと考えているんですよ」

 国技となっているラグビーと、リーグ戦の創設が2004年とJリーグより歴史が浅いサッカー。オーストラリアにおける2つの競技の共闘ぶりを説明しながら、シーズンこそほとんど重複するものの、最大でも公式戦が週2回のJリーグには、まだまだ工夫できる余地があるのではと訴えたわけだ。

「Jリーグは変わっていない」
本田が日本でプレーしない本当の理由

 FCバルセロナとスペイン代表で一時代を築き上げた稀代の司令塔、アンドレス・イニエスタが加入したこともあって、最近はヴィッセル神戸絡みのカードをよく視聴するという。その上で抱いたJリーグへの印象を「僕がいたときから、スタイルがあまり変わっていないかな」と言い切った。

「相手の嫌なことをするディフェンスという面で、戦術的に成熟していないというか。どのチームも割とボールを繋ぎたがっていることは分かるんですけど、ディフェンスで色を出すチームがもうちょっと増えてもいいというか。ディフェンスで色を出せば、おそらく攻撃でやりたいことができなくなる可能性がある。ただ、そこを挑戦しないと一歩、二歩と違う次元の選手になっていけないと思うので」

 本田自身はプロの第一歩を踏み出した名古屋グランパスから、2008年1月のVVVフェンロー(オランダ)へ移籍。以降、CSKAモスクワ(ロシア)、ACミラン(イタリア)、CFパチューカ(メキシコ)、そして昨夏には南半球のメルボルンへ新天地を求めて今現在に至る。

 冒頭で記した2017年6月は、小学生時代から夢見てきた「10番」を託され、3年半所属したミランを実質的な戦力外となって退団。無所属になる状態が目前に迫っていた時期だった。「Jリーグへ戻ってくる選択肢はないのか」と問われた本田は、首を横に振っている。

「考えたことがないですね。僕がいなくても、日本には頑張っている選手が大勢いる。みんなが頑張る日本はちょっと窮屈に感じるというか、海外の身長が2メートル近い大男たちと喧嘩をしたい、という点に刺激を求める日本人も何人かいないといけない」

 今も変わらぬ矜恃を抱き続ける。イニエスタに続いてダビド・ビジャ、セルジ・サンペールとバルセロナ経験者を獲得している、ヴィッセルの三木谷浩史オーナーへ「Jリーグにとってすごくありがたい動きをしてくれている」と感謝しながらも、先駆者として檄を飛ばすことを忘れなかった。

「(Jリーグの成長が)もう少し進んだとしても、ドイツのブンデスリーガのように自国の選手が海外へ移籍しなくても、十分にワールドカップを目指していけるリーグになるには、日本はまだまだ時間がかかる。どう考えても海外に打って出て、いろいろな経験を積んだ方が伸びる。日本の若手選手たちへ『海外へ行け、Jリーグに居座るのは早い』と僕が言い続けているのはそういう意味です」

指導者、ビジネスマンの顔を持ちつつ
アスリートとして「東京五輪」を目指す

 3度目のワールドカップとなった昨夏のロシア大会をもって、2022年のカタール大会は目指さないと公言した。同時に、スクールを展開しているカンボジアで、代表チームのGM兼代表監督に就任。各国の代表が活動する国際Aマッチウイークになると、指導者との二足の草鞋を履く挑戦を続けている。

 しかし、アスリートの挑戦に終止符を打ったわけではない。34歳で巡ってくる、56年ぶりの自国開催となる2020年の東京オリンピック出場へ、闘志をかき立てられないはずがない。メルボルンへの移籍が決まる直前の昨年8月には、こんな目標を唐突にぶち上げている。

「タイミングよく東京五輪が来てくれることに、個人的には運命を感じているというか、目指さないといけないと勝手に思っている。あと2年、ガッツリと自分を鍛え上げようと思う」

 ゲームキャプテンとしてエディオンスタジアム広島に凱旋し、後半26分に一時は同点に追いつく鮮やかなゴールを決めた12日は、東京オリンピックの開会式までちょうど500日という節目でもあった。試合は敗れたものの、東京オリンピックへ出場する夢は萎えていないとあらためて宣言している。

「東京オリンピックへ向けて、まだまだ成長できると思っている。この年齢になっても伸ばせる部分というものを見つけて、現状維持ではなく向上していく本田圭佑を見せていきたい」

 男子サッカー競技には年齢制限が設けられていて、東京オリンピックでは1997年1月1日以降に生まれた選手となっている。そこへ3人を上限として、年齢制限のないオーバーエイジが加わる。A代表と兼任する森保一監督はオーバーエイジを前向きに受け止めるものの、詳細に言及したことはない。

 開催国としてアジア予選を免除されるだけに、来夏に照準を合わせながら、伸び盛りの若い選手たちで骨格を固める。その上で足りない部分に、オーバーエイジの力を借りる形になる。異例となる本田の立候補はしかし、立ち居振る舞いに不思議な力を宿らせ、現実のものに導く言霊にも聞こえる。

「もちろんプレーファーストで。確実に満足のいく形で、ピッチに立てていないと意味がないと思っているので、ノンストップでいきますよ」

 パフォーマンスを介して森保監督を振り向かせたい、と笑顔を浮かべる本田へ質問が飛んだ。濃密すぎる経験を誇る大ベテランと面識のない若手とがチームメイトになることで、必要以上にリスペクトされるとは思わないのか――。豪快に笑い飛ばしながら、本田は再び首を横に振った。

「後輩に怖がられた経験なんて、僕の人生ではないですよ。いろいろな後輩に聞いてみてください」

 これまでのサッカー人生を振り返れば、思わず眉をひそめられるようなビッグマウスを連発。退路を断つことで自らへプレッシャーをかけ、浴びせられる批判を前へ進む糧に変えてきた。サンフレッチェ戦後に残した言葉の数々には、実は本田の生き様が凝縮されている。

 嗅覚鋭いビジネスマンとして。今も世界へ挑み続ける先駆者の一人として。そして、貪欲に成長と夢を追い求めるアスリートとして。さまざまな顔を凱旋先の広島に刻み込んだ本田は、夏の終わりを迎えたオーストラリアへ再び戻り、連敗スタートを喫したACLの巻き返しと連覇がかかったリーグ終盤戦の正念場へ集中力を研ぎ澄ませていく。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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