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松村太郎の「アップル時評」ニュース解説・戦略分析 第32回

ジョブズ時代から変わらずに続けてきたことがある:

アップルが「GAFA」から抜けたがる理由

2019年03月08日 16時00分更新

文● 松村太郎 @taromatsumura

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 日本では「GAFA」というキーワードが流行っています。Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字をとって「ガーファ」と発音するこの言葉は、デジタルの世界を支配する巨大プラットフォーマーに対して、若干ネガティブな意味を込めて束ねているわけです。

 ただ、米国にいると、どうもこの「GAFA」というくくりにピンと来ません。ウォール街にはテック株を束ねて「FAANG」という言葉はあります。GAFAにNetflixを加えていますが、Netflixがそこまで影響力を発揮しない日本だと、むしろFAANGの方がピンと来ないかもしれませんね。

 さて、GAFAに対しては「我々の生活に欠かせなくなったテクノロジーを支配しており、あらゆる面で影響力を発揮している」という実際に即した評価が下されています。確かにiPhoneやAndroidスマートフォンなしの生活はもはや想像しにくいですし、友人とつながるツールとしてのFacebookは仕事での活用も目立ちます。Amazonがなかったら、我々はいつ買い物をするのでしょうか。

 GAFAなしの世界に戻る、つまり再びモバイル以前の生活に戻れば良いじゃないか、GAFA支配と不便さを天秤にかければいいと思われるかもしれません。ただし、既に世の中そのものが変わってしまって、後戻りはできません。たとえばスマートフォンなしでも生活はできますが、出先で連絡を取ろうとすると、すでに公衆電話の数は激減してしまっています。Amazonの代わりに商店街の専門店で買い物しようとしても、そこに店は既にないのです。

 人々はGAFAの製品やサービスを消費し、彼らにデータを預けてAIの成長に強制的に協力させられながら生活しなければならない。ディストピアとまでは言いませんが、テクノロジーに対してそんなイメージを持ちながら逃れられなくなっている状況は存在しています。

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