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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第495回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー 新CEOのもと部門を切り売りして復活したIBM

2019年01月28日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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PS/2を捨てた途端に黒字決算
UNIXワークステーションの出遅れが決算に響く

 Akers氏に不利だったのは、IBMのメインフレーム部門がダウンサイジングの波にうまく対応できなかったこともさることながら、その後継製品に恵まれなかったことも挙げられる。

 1987年から投入したPS/2は市場の支持を得られず、1988年から大幅に市場占有率を落とし始める。1990年台も後半になると、IBMのシェアはだいたい3位前後まで復活する。シェアの数字そのものは8%台であるが、例えば1995年では全世界でのPCの出荷台数が7010万台、売上が1550億ドルほどで、ここでIBMのシェアは8%で3位である。

 単純に計算するとおおよそ560万台ほど出荷し、124億ドルという計算になるから、1988年の4倍以上の売上が実現している計算になる。

 ここで「もし」を言っても仕方ないのだろうが、IBMがMCA路線に走らずに1990年のPS/1(ビジネス向けであるPS/2の下位シリーズで、個人向けのパソコン)路線をこの時点で取っていれば、ESDの売上はもっと伸びており、Bill Lowe氏も辞任せずに済み、そして1993年の赤字が埋められたとは思えないにせよ、もう少しマシな決算報告が出せたのではないかと思う。

 1994年にPS/2(MCA路線)を捨てた途端に黒字決算に戻った、というのは単なる偶然というかそこまでIBMのPCビジネスはIBM全体に大きな影響は与えていないが、象徴的ではある。

 またAkers氏はPOWERにもずいぶん肩入れしていた。ほかの部門についてはコスト削減や売却の検討対象になっていたにも関わらず、AES IBUについてはこの対象外であり、逆に優先的に資金やリソースが投入されるように配慮していたという話もある(これも最後の方になると結構厳しかったらしいが)。

 ただ最初のPOWER 1(RIOS-1)ベースのRS/6000が投入されたのは1990年のことで、この時点ですでにSun-4の3年遅れである。1990年といえばSun MicrosystemsはSPARCstation 2を投入していた時期であり、結構な顧客がUNIXワークステーションとしてSunMicrosystemsのシステムを入れ始めていた。

 この後IBMはじりじりと盛り返していくが、それでも最初の3年の遅れは最後まで埋まらなかった。そう考えると、Akers氏は本当に一番悪いタイミングでCEO職を引き受けた感がひしひしとする。決してAkers氏が無能だったというわけではないはずだ。

 POWER/PowerPCもそうだし、まだ説明していないAS/400シリーズも1988年からの投入で、やはりAkers氏の時代が起源である。こうした種まきをしつつ、その成果を見ないままに氏はIBMを退任することになったあたりは本人的にも不本意な部分はあったと思われる。

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