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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第489回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー 互換機市場を形成したIBM-PC

2018年12月17日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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PC Jr.の惨敗で倒産しなかったのは
IBM-PCのおかげ

 結果として、PC Jr.の売れ行きは壊滅的であった。1984年6月には370ドルもの割引キャンペーンまで始まったものの、それでも売れ行きが改善されるわけではなかった。ちなみに同時期に一番売れたのはApple ComputerのApple IIeだったらしい。

 同年7月にはキーボードを従来のメカニカルキータイプに無償交換するなどしたが、その時点で無償交換に応じたのは6万台程度だったとされる。この中には販売店の在庫も含まれているはずで、実売はもっと少なかっただろう。

 1984年後半には価格改定に加え512K RAMカートリッジの発表、さらにPC Jr.用Lotus 1-2-3を同梱したパッケージを提供といったキャンペーンも用意されて多少売れ行きは改善したが、根本的にはこうした割引がないと販売は難しい代物でしかなかった。しかもこのキャンペーンが終わると、売れ行きは以前にもまして低迷した。

 総生産台数は25万台程度と推定されるが、このうち20万台はキャンペーン期間に発売されたとみられる。ちなみに日本でも、このPC Jr.を日本語化したIBM JX(IBM 5511)がまず発売され、1985年にはCPUの動作周波数を7.2MHzまで引き上げた改良版(IBM 5510)もリリースされたが、こちらも散々な売れ行きであった。

 総生産台数は4万台ほどだそうだが、うち1.5万台は日本IBM社員に配ったという。IBM JXは1987年まで販売を継続したが、本家のPC Jr.は1985年3月に早々と販売終了する。

 普通では、ここまで大失敗すれば経営が傾きそうなもので、いかに巨大なIBMといえどもEDSの存続に係わりそうなものだが、そうならなかったのはIBM-PCやIBM-PC/XTに加え、1984年にはIBM-PC/ATも発売され、これの売れ行きが絶好調だったためだ。(以下次回)

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