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浦和レッズ阿部勇樹が天皇杯優勝で図らずも涙を流した3つの理由

2018年12月14日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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阿部勇樹
天皇杯決勝で勝利した浦和レッズの優勝を喜ぶ阿部勇樹 写真:JFA/アフロ

浦和レッズの12大会ぶり7度目の天皇杯全日本サッカー選手権制覇とともに、2018年の国内サッカーシーンが終幕を迎えた。ベガルタ仙台を1-0で振り切った9日の決勝戦に残ったのは、3バックの中央で先発フル出場して完封勝利に貢献した37歳の大ベテラン、阿部勇樹が試合終了直後に感極まらせた姿だ。これまでも幾度となく涙を流してきた元日本代表DFが、勝利の余韻が残る埼玉スタジアムのピッチで人目をはばかることなく涙腺を決壊させた3つの理由に迫った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

寡黙で恥ずかしがり屋の阿部が
サポーターの目の前で見せた3度の涙

 輝く笑顔と歓喜の雄叫びがピッチの上で交錯していたからこそ、頬を伝う涙が異彩を放った。約5万人が詰めかけた埼玉スタジアムの夜空に、12大会ぶり7度目の天皇杯優勝を告げる主審のホイッスルが鳴り響いた直後から、浦和レッズの阿部勇樹の涙腺は決壊しかけていた。

 先発メンバーだけでなく、ベンチ入りした18人の中でも最年長となる37歳。ひとたびピッチを離れれば驚くほど寡黙で、極度の恥ずかしがり屋と自負するベテランの涙を公の舞台で見るのは、この4年間で実は3度目になる。場所はすべてホームの埼玉スタジアム。最初は2015年3月4日の夜だった。

「まず勝たなきゃダメなんだよ!オレたちやるから!だから一緒に戦ってよ!」

 何かに駆りたてられるかのように、真っ赤に染まったゴール裏のスタンド前へ阿部は迫っていった。拡声器越しの声が届かないと感じるや、スポンサーボードを乗り越えてスタンドの真下まで移動。右手の人さし指を突き上げながら、思いの丈を訴えるその目は涙でにじんでいた。

 当時のレッズは公式戦で3連敗を喫した直後だった。2014シーズンもJ1制覇に王手をかけながら、最後の3試合でまさかの大失速。ガンバ大阪に逆転優勝をさらわれていた。2年越しの失望感を募らせたサポーターからは、激しいブーイングに混じって怒声を浴びせられていた。

「とにかく、1勝しなきゃ何も始まらないんだよ!次は絶対に勝つから!」

 3日後の3月7日にはJ1が開幕する。試合後の挨拶を終え、ロッカールームに戻りかけていた選手たちから離れ、一人でスタンド前へ駆けつけた阿部が突き立てた人さし指には「まずはひとつ勝つ」ことと、レッズに関わるすべての人間が「ひとつになる」という2つの決意が込められていた。

 阿部の叫びが言霊と化したのか。湘南ベルマーレとの開幕戦を3-1の逆転で制したレッズは破竹の快進撃を開始。最終的には12勝5分けの無敗でファーストステージを制している。ターニングポイントとなった涙の訴えを、阿部は後に照れくさそうに振り返っている。

「あそこでバラバラになるのが嫌だった。サポーターと喧嘩したとよく言われるけど、そんなことはないんです。熱くなっちゃった部分はもちろんあるけど、正直な意見をぶつけてくれた彼らに対して、これ(ファーストステージ優勝)で少しは返せたかなと」

 次に見た涙は2017年11月25日の夜。アル・ヒラル(サウジアラビア)とのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦を1-0で制し、アウェイでの第1戦との合計スコア2-1で10年ぶり2度目のアジア王者を勝ち取った直後だった。

 ピッチ上にできあがった歓喜の輪の中に、阿部の姿だけが見当たらない。目を凝らしてみると、スタンドの間近にまで駆け寄った「22番」は右手で何度もガッツポーズを繰り出し、何度も何度も目頭を拭いながら、狂喜乱舞するファンやサポーターと万感の思いを分かち合っていた。

「やっぱり嬉しかったですよ。スタンドでみんなが喜んでいる姿が見えたから。選手たちの笑顔ももちろんですけど、真っ赤に染まったサポーターの笑顔を見るのが一番心に響くから」

 涙の理由を、阿部はサポーターへの感謝の思いに凝縮させている。ならば、3度目にして直近の涙は何を意味していたのか。ベガルタ仙台を1-0で振り切った決勝戦後の取材エリア。選手たちの最後に姿を現した阿部は、アスリートとしての率直な思いにまず駆られたと明かした。

「天皇杯は前回決勝に行った時に、下から優勝チームが喜ぶところを見ていたので。今回自分たちが優勝して、あの時の悔しさというものをリベンジすることができたので」

最高のサポーターの応援で一体化
2大会ぶりの天皇杯リベンジへ

 2016年の元日。味の素スタジアムで行われた決勝戦で、レッズは宿敵ガンバにまたもや苦杯をなめさせられていた。FW興梠慎三のゴールで前半のうちに同点に追いつくも、先制点を決められていたFWパトリック(現サンフレッチェ広島)に、後半開始直後にまたもやゴールネットを揺らされた。

 迎えた2016シーズン。YBCルヴァンカップこそ制したレッズだったが、年間総合勝ち点1位でシードされ、決勝戦から登場した明治安田生命Jリーグチャンピオンシップでは、鹿島アントラーズが劇的な下克上優勝を果たす上での引き立て役となってしまった。

 続く2017シーズンも快調なスタートを切るも、ゴールデンウィーク前から未曾有の不振に突入。7月下旬には、指揮を執って6年目に入っていたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ監督)が解任された。堀孝史監督のもとでACLは制したが、J1は7位に終わった。

 ディフェンディング王者でありながら、ACLの舞台に立てない不甲斐なさとも戦ってきた今シーズン。開幕から波に乗れないまま堀監督が解任され、アントラーズを前人未踏のリーグ戦3連覇に導いた名将、オズワルド・オリヴェイラ監督が4月下旬に就任するもJ1は5位に終わった。

 YBCルヴァンカップも、J2のヴァンフォーレ甲府の前にプレーオフステージで敗退。残されたタイトルの天皇杯を、何がなんでも手にしようとサポーターが決起する。5日のアントラーズとの準決勝前日。そして、9日のベガルタ仙台との決勝前日。練習拠点となる大原サッカー場の雰囲気が一変した。

 午前中に行われた公開練習へ臨んだ選手たちを、フェンスに貼られた無数の横断幕が出迎えた。決勝前日には、実に800人ものサポーターが集結してエールを送った。レッズに関わるすべての人間の一体化を事あるごとに訴えてきた阿部は、魂を揺さぶられずにはいられなかった。

「ここは本当に日本なのか、というくらいの雰囲気を出してくれて。以前から言っていることですけど、サポーターの方々と浦和レッズが一緒になったら、どんどん抑えきれないくらいの大きなチームになる可能性があると思っているので。その意味でも今日の結果は大事でしたし、お互いにとって最高の結果が出て、喜び合えたのは本当によかった」

 天皇杯制覇後に流した涙には、2大会前のリベンジを果たした喜びに加えて、日本一と呼ばれるサポーターへ注ぎ続ける熱き思いも込められていた。そしてもうひとつ。レッズひと筋で17年間プレーしてきたレジェンド、平川忠亮にとって現役最後の試合が天皇杯決勝だった。

 清水商業高から筑波大学をへて2002年に加入した39歳の平川は、左右のサイドバック及びアウトサイドで活躍。今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを、11月下旬に表明していた。中学生年代のジュニアユースから心技体を磨いたジェフユナイテッド千葉から、阿部がレッズに移籍したのは2007年1月。当時のチームメイトでただ一人、今シーズンもプレーしていたのが平川だった。

「寂しい思いはありますけど、最後の試合でヒラさん(平川)のトロフィーの数を、しっかりとひとつ増やすことができたのはよかったと思っています」

 2003シーズンのヤマザキナビスコカップを皮切りに、平川がレッズ在籍中に手にしたタイトルは8つ。阿部はそのうち半分をともに味わった。喜怒哀楽を共有してきた2歳年上の先輩を、最高の形で送り出せたフィナーレもまた、阿部の涙腺を緩ませた理由だったはずだ。

レッズ再建に粉骨砕身してきた
阿部勇樹のキャプテンシーとは

 レッズにおける阿部の軌跡には、約1年半の空白期間がある。アンカーとして全4試合にフル出場し、岡田ジャパンの決勝トーナメント進出に貢献したワールドカップ南アフリカ大会直後の2010年8月。当時はイングランド2部のレスター・シティーへ移籍した。

 契約期間は3年だったが、阿部自身の強い希望が受け入れられる形で2012年1月に解除され、レッズへの復帰を果たしている。サンフレッチェ広島の監督を辞任し、この年からレッズを率いることが決まった、親しみを込めて愛称の「ミシャ」で呼ばれるペトロヴィッチ監督の存在が阿部を動かした。

「ミシャと一緒にサッカーがやりたい、という思いで向こう(イギリス)から帰ってきた」

 すぐにキャプテンに指名された阿部はペトロヴィッチ監督のもとで、前年にはJ1で残留争いを強いられていたレッズの再建へ向けて粉骨砕身する。ジェフと日本代表でイビチャ・オシム監督に、続けて岡田ジャパンでも重用された阿部を、ペトロヴィッチ監督はこんな言葉で賞賛したことがある。

「私が選手を評価する時、まずはその人間性を、その上で選手としての資質を見る。阿部のような選手がいることは浦和のサポーターにとって誇りであり、幸せなことだ」

 託される信頼感は堀前監督のもとでも、そしてオリヴェイラ監督のもとでも変わらない。前述したように寡黙かつシャイで、集団の中で常に一歩引いた存在で、進んで目立とうともしない男はどのようなキャプテンシーを発揮してきたのか。日本代表DF槙野智章が、こんな言葉を残したことがある。

「決して悪い意味ではなくて、キャプテンらしくないキャプテンだと思います。キャプテンは嫌われ者にならないといけないし、先頭に立って物事を発することも求められますけど、阿部さんは浦和レッズというチームの個性を生かすために、まず僕たちが好きなことをやらせてくれる。それでいてチームがよくない時、マイナスの時こそ先頭に立ってすべてを背負い、悪い気を吸い取ってくれるんです」

 槙野が言及した「マイナスな時」の象徴が2015年3月であり、一方で「好きなこと」のひとつに直接フリーキックがある。往年の名手デビッド・ベッカムになぞらえて「アベッカム」と呼ばれたほど、高精度のキックを右足に宿らせながらも、阿部は進んで蹴ろうとしない。理由を聞くと、予想通りに「他の人が蹴ってくれるので」と返ってきたことがある。

 もちろん、本当に必要とされる場面では伝家の宝刀を抜く。2016年7月の柏レイソル戦、そして今年8月の清水エスパルスで、阿部の右足から放たれた美しい軌跡がゴールネットを揺らしている。直接フリーキックからのゴールは、ジェフ時代から通算して「10」の大台に到達している。

 キャプテンをMF柏木陽介に託した今シーズンは、リーグ戦の先発回数が「33」から「12」に、プレー時間が2950分から1353分にそれぞれ激減した。それでも常に万全の心技体を整えてきた阿部の存在感は、けが人が続出した終盤戦で代役の利かない域に達していた。

 天皇杯決勝もDFマウリシオの回復が間に合わない緊急事態を受けて、3バックの中央で先発。準決勝まで3試合連続ゴールを決めて、ベガルタをけん引してきたルーキー、FWジャーメイン良をシュート0本に封じるなど、老獪な守備を何度も見せつけた。それでも、阿部は謙虚にこう語る。

「レッズの選手は、全員がキャプテンだと思ってプレーしなければダメだと思うので。その意味では、やるべきことも、見ていかなければいけないところも、それほど変わっていないですね」

 ロイヤルボックス内の表彰台に上がるのも最後ならば、天皇杯を掲げる歓喜のシーンでも後列の左隅にひっそりと立つ。目立つことを避ける姿勢は変わらない。それでも、天皇杯制覇で出場権を手にした来シーズンのACLを含めて、タイトル獲得を義務づけられたレッズの中で、阿部はいぶし銀の輝きを放ち続ける。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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