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松村太郎の「西海岸から見る"it"トレンド」 第237回

社会はどこまで効率化にあらがえるか?

2018年10月30日 19時00分更新

文● 松村太郎(@taromatsumura) 編集● ASCII編集部

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効率化と最適化は正義なのか

 米国で暮らしていると、効率的であることは非常に支持を得やすいのです。特にコストの面で、同じクオリティのサービスを低コストで、あるいは同じコストでより質の高いサービスを提供できることは成果として認められやすいのです。

 その一方で、お店や飲食店のセルフチェックアウトの仕組みを見ると、複雑な気持ちになります。

 たとえば、米国のマクドナルドやスターバックスでは、モバイルアプリを通じて店に入る前にオーダーと支払いを済ませることで、レジ待ちの長い列に並ぶことも、商品を受け取るまでの待ち時間も回避できるようになります。

 確かにこれは快適な店舗利用の上では不可欠になりつつありますが、一方で店頭でのレジサービスの迅速化や人員の増強を放棄していることの裏返しでもあります。レジがネックになって売上が増えないのであれば、レジ以外の手段を提供すれば良い。後はキッチンをフル稼動させて、売上を最大化する。そういうロジックです。これを追究すればするほど、ファストフード店のレジから人がいなくなりますよ。

 また、Uberが始めた「Uber Pool Express」は、乗り合いの車のルートを邪魔しないところまで利用者が歩くことで、利用者は料金が割り引かれ、他の乗り合いの利用者は所要時間が5分単位で削減される最適化を実現しています。しかし、利用者が歩くことで効率的になっているのは、実は営業運転をしているドライバーの方だということを見逃してはなりません。

 こうした効率化、最適化は、人手不足が叫ばれる日本こそ、どんどん導入していくべきなのでしょうが、日本の文化はもっと、こう、手触りやプロセスを重んじており、そこが海外から楽しまれている点でもあります。ただ「ビジネスとして成り立っているうちは」という条件がついていることも確かです。

 もしもそういう人が介するサービスを維持したいと思うのであれば、サービスと人件費の値上げを受け入れなければならないと思います。しかしデフレ圧力が強い日本、八方塞がりになってしまいそうな予感もまた強く感じているのです。


筆者紹介――松村太郎

 1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。

公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura

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