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J2ゼルビア町田をサイバーエージェントが買収、藤田社長が驚いた「質実剛健」

2018年10月06日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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サイバーエージェントとゼルビアによる記者会見
記者会見に臨んだサイバーエージェントの藤田晋代表取締役社長(左)、株式会社ゼルビアの下川浩之代表取締役会長(中)、株式会社ゼルビアの大友健寿取締役社長 Photo by Naoto Fujie

インターネット広告事業やメディア事業を展開するIT大手、株式会社サイバーエージェント(本社・東京都渋谷区)が10年ぶりにサッカー界へ参入した。J2のFC町田ゼルビアの筆頭株主となって経営権を取得した藤田晋代表取締役社長(45)は「東京・町田から世界へと通じる、ビッグクラブへの成長をサポートしていきたい」と長期的視野に立った青写真を描く。今シーズンのJ2で優勝してもハード面の不備でJ1へ昇格できないゼルビアとの接点を探っていくと、生き馬の目を抜くIT業界を勝ち抜いてきた億万長者をして「驚くほど質実剛健に見えた」と言わしめた、クラブの黎明期から決してぶれず、日本サッカー界の中で異彩を放ち続けたゼルビアのアイデンティティーに行き着く。(ノンフィクションライター 藤江直人)

錚々たるチームに囲まれた
町田で平成元年に産声を上げる

 東側に隣接する神奈川県川崎市麻生区にある川崎フロンターレの練習グラウンドには、2016年2月に瀟洒なクラブハウスが完成。環境がさらに整った中で、決着が最終節にもつれ込んだ昨シーズンのJ1を奇跡の大逆転劇で制し、悲願の初タイトルを掲げながら歓喜の涙を流した。

 南側に広がる神奈川県横浜市はJ1で3度の優勝を誇る名門、横浜F・マリノスのホームタウン。1999年に創設された横浜FCは永遠のレジェンド、FWカズを擁してともにJ2を戦う。2014シーズンにスタートしたJ3の舞台ではY.S.C.C.横浜が戦っている。

 北部に広がる東京都下の多摩地域はFC東京と、Jリーグの黎明期に黄金時代を迎えた東京ヴェルディのホームタウン。境川をはさんで西に位置する神奈川県相模原市ではSC相模原が活動し、さらに神奈川県西部の広大なエリアへ湘南ベルマーレがホームタウンを拡大している。

 東西南北のすべてを実に8つのJクラブに囲まれ、全国でも特異な環境に映る東京都町田市をホームタウンとするFC町田ゼルビアが産声を上げたのは、元号が昭和から平成に移った1989年。当時のFC町田トップと呼ばれた時代から、どんな状況でも守り抜いてきたアイデンティティーが存在する。

「元々は育成クラブからスタートした歴史があるので、そこはまったくぶれることはありません。むしろトップチームがなかったがゆえに、子どもたちが他のJクラブへ移っていった現実がある。それを考えれば、今回一緒にやらせていただくことで、いろいろな部分で集客もできるんじゃないかと考えています」

 胸を張ったのはゼルビアを運営する、株式会社ゼルビアの下川浩之代表取締役会長(57)だ。そして、右隣にはゼルビアが第三者割当増資で発行する2万2960株を11億4800億円を出資して取得。全株式の80%を保有する筆頭株主となった、株式会社サイバーエージェントの藤田晋代表取締役社長がいる。

 今月1日に東京・渋谷区内で行われた、サイバーエージェントとゼルビアによる記者会見。しっかりと地に足を着け、決して背伸びすることなく、時には強烈な逆風にさらされながらもファイティングポーズを失わなかったゼルビアの挑戦の軌跡が、新たなステージへと突入した。

源流は小学生チームのFC町田
トップチーム結成までの苦難の歴史

 ゼルビアが刻んできた系譜には、実は「前史」にあたる部分がある。幕を開けたのは1977年。静岡県清水市(現静岡市清水区)の背中を追いかける形で、町田サッカー協会に所属する小学生たちの中から優秀な選手を選りすぐって結成されたFC町田に行き着く。

 当時の少年サッカーはひたすら大きく前へ蹴り出し、必死に走る勝利至上主義的な戦い方が全盛だった。その中でFC町田が実践した「パスをつないで、自分たちで考えて、走りながらプレーする」スタイルは、翌1978年夏に開催された全日本少年サッカー大会で準優勝という快挙を導く。

 決勝戦で歴史に残る熱戦を繰り広げた相手は、目標としていた清水FC。再び苦杯をなめさせられたものの、1982年夏にも清水FCと頂点をかけて戦ったFC町田の戦いぶりはサッカー界に共感を与え、いつしか町田市は「少年サッカーの町」として全国区の知名度を得る。

 必然的に「町田のDNA」を小学生年代で絶やしてはいけない、という声が大きくなってくる。1985年に中学生年代のFC町田ジュニアユースが発足し、高校生年代のFC町田ユースも続いた。しかし、ピラミッドの頂点で輝きを放ち、地域の象徴となるトップチームだけが生まれない。

 後に横浜フリューゲルスとしてJリーグに参戦する全日空横浜サッカークラブの誘致が破談となり、FC東京の前身である東京ガスや、後にフロンターレとなる富士通との交渉も、進展のないまま立ち消えになった。最後の手段として、自前のチームをJクラブへ育て上げる、という壮大な夢が掲げられた。

 結成から2年後の1991年に、FC町田トップは東京都の最下層となる4部リーグからの挑戦をスタートさせる。活動実態は同好会レベルとほとんど変わらなかったが、1997年には東京都リーグの1部にまでステップアップ。同時に名称を今現在に至る「ゼルビア」に変えた。

 町田市の樹・けやき(ゼルコヴァ)と花・ザルビアを合わせた造語を発案したのは、かつてFC町田の結成を提唱した重田貞夫氏(故人)だった。トップチームの設立にも奔走し、長く「町田サッカー界の父」として誰からも畏敬の念を抱かれてきた重田氏にはある口癖があった。

「地域から信頼されなければ、夢は実現できない」

地域と寄り添うための施策が
やがて大輪の花を咲かせる

 東京都1部リーグの壁をようやく乗り越え、関東サッカーリーグ2部に戦いの場を移した2006年。ホームスタジアムの町田市立陸上競技場での試合後に、現在では定員150名がすぐに埋まる人気イベントへと成長を遂げた「ふれあいサッカー」がスタートする。

 試合が終わったばかりの芝生のピッチで、時には直前までプレーしていた選手たちも混じって、観戦に訪れていた子どもたちと一緒にボールを追う。選手の体調管理を重視し、異を唱えた監督もいた。それでも継続してきた理由を、スタート当時の監督で今現在は相談役を務める守屋実氏はこう語ってくれた。

「ネームバリューもお金もない私たちが地域から必要とされるにはどうしたらいいか、町田市の財産になるにはどうしたらいいかを考えた結果、やってみようと。負けた試合の後などは確かに辛い時もありましたけど、今頑張らなければ10年後のゼルビアがダメになる、という思いで続けてきました。Jリーグが開幕した1993年の盛り上がりは私自身もこの目で見ていましたけど、華々しいだけで終わってはいけない。長く地域に根差し、町田にゼルビアがあってよかったと言われるようにならないといけないんです」

 時間をかけること12年。まき続けてきた種が大輪の花を咲かせた。小学生の時に「ふれあいサッカー」で楽しさを覚え、ゼルビアのスクールからジュニアユース、ユースと心技体を磨き、U-17日本代表にも選出されたFW橋村龍ジョセフが、来シーズンからトップチームへ昇格することが9月に決まった。

 アカデミーからトップチームへプロ選手を輩出すること自体も初めて。決してぶれなかったベクトルが生み出した希望であり、財産でもある。一方でフロントに目を移せば小学生時代にFC町田でプレーし、大学卒業後の2000年からゼルビアに加入した大友健寿氏(41)が今年5月に取締役社長に就任した。

サイバーエージェント
藤田社長との縁と共感

 ちょっとした大河ドラマを思わせるゼルビアの歩みだが、ビジネスチャンスが目まぐるしく変化する、まさに生き馬の目を抜くようなIT業界の中でサイバーエージェントを急成長させてきた藤田社長の目には「驚くほど質実剛健に見えた」という。

「僕がいた頃のヴェルディはJ2でしたけど、選手の補強費が断トツでした。それでもなかなか勝てず、サッカーとは不思議だと当時は思っていたんですけど、その意味でも町田は作り上げてきたサッカーチームとしての文化や、経営陣や監督の優秀さがある。それらを尊重しながら世界的なクラブへと持っていくところで、この先にどのような絵を描いていくかを今は考えています」

 藤田社長が言及したのは2006年。ヴェルディを運営する株式会社日本テレビフットボールクラブ(当時)と資本・業務提携を結び、発行済株式総数の48.1%を取得。筆頭株主の日本テレビ放送網に次ぐ大株主となり、自身は副社長を務めながら、2008年1月に撤退した理由を藤田社長はこう説明する。

「東京ヴェルディでは筆頭株主ではありませんでしたので、なかなか思うような経営ができませんでした。加えて、(当時の我々の)企業規模的にも支えきれないと限界を感じて断念しました」

 実際、J2を戦った2006年度のチーム人件費は15億6000万円。J1の中でも7位に相当する金額であり、J1復帰を果たした2008年度には日本代表経験者を続々と獲得。チーム人件費はJ1でも断トツの26億2200万円に達し、経営破綻後に乱脈経営だったと批判されている。

 対照的にその後のサイバーエージェントは、著名人ブログの『アメーバブログ』やインターネットテレビ局の『AbemaTV』など、時代の変化へ敏感に応じるソーシャルメディアサービスを次々に提供。2017年9月期のグループの連結売上高約3700億円、同営業利益約300億円を計上する企業へ成長した。

 そして、一度はサッカー界と距離を置いた藤田社長は、Jリーグの動向を注視し続けていた。世界的な経済誌『フォーブス』で、日本の億万長者の一人として認定されるまでに自身と会社とを導いた嗅覚は、Jリーグを「マーケットの規模が拡大しそうなフェーズに来ている」と再認識させる。

「マーケティングが上手くいけば世界に通じるし、世界の代表的な選手がアジアのマーケットでキャリアを考える流れもできている。マネタイズも放映権を地上波に売るという一本やりではなくなってきたし、ファン獲得などのコミュニティー作りも含めてやれることが非常に多いと考えています」

 膨らんだのは「東京発のビッグクラブを生み出せるのではないか」という壮大な夢。ヴェルディと再び交渉を持った藤田社長は今春、共通の知人を介して下川氏を紹介される。福井県鯖江市で生まれ育ち、青山学院大学経営学部で学んだ青春時代。藤田社長と町田市はちょっとした縁があった。

「最初に東京へ出てきた時は(隣町の)相模大野に住んでいて、遊びに行く時はだいたい町田でした。自分的にもホームタウンとして、町田は非常にしっくり来るんです」

 そして、交渉を重ねる度にゼルビアのぶれない哲学、DNAを大切にする姿勢に感銘を受けた。サイバーエージェントで培ってきた財産を融合させれば、理想だけでは乗り越えられなかったハードルをともに乗り越え、新たな世界を見ることができる、という確かなる手応えもつかんだ。

着々と進むハード面の充実
町田から世界を目指す

 ゼルビアが初めてJリーグの舞台に挑んだのが2012シーズン。一度はJFLへ降格するもJ3をへて、再びJ2へ挑む日々の中で、資金的な問題に何度も跳ね返された。J1を戦うために必要な天然芝のピッチを1面以上有する専用の練習場と、設備基準を満たしたクラブハウスを確保できなかったからだ。

 同じくJ1基準のクリアへ向けて、町田市立陸上競技場の入場可能数を規定の1万5000人以上に改修する計画は町田市主導で今秋から動き始めた。残されたハード面のクリアはクラブマターであり、だからこそサイバーエージェントの子会社となったことで取り巻く状況は劇的に変わる。

 J1クラブライセンスが交付されなかったことで、今シーズンのJ2で例え2位以内に入っても自動昇格はかなわない。しかし、再びJ2を戦う来シーズンから練習場とクラブハウスの整備に着手すると、藤田社長は記者会見の席で力強く宣言している。

 経営権を取得する上で、株式の100%保有も一時は検討した。最終的に80%としたのは、長く苦しい時代を支え続けた少数株主の思いを尊重したからに他ならない。聖域として守り抜いてきたクラブのアイデンティティーと藤田社長のリーダーシップ、そしてサイバーエージェントグループのノウハウと豊富な資金力が化学反応を起こした時、町田から世界を目指すドラマが幕を開ける。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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