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なぜ「量より質」で経済成長するようになると賃金が増えないのか

2018年08月01日 06時00分更新

文● 鈴木明彦(ダイヤモンド・オンライン

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質での成長になると賃金が増えなくなりました
Photo:PIXTA

「量より質」というのは使い古された言葉かもしれない。日本でも「量」の拡大による成長から「質」の向上による成長ということが言われてきた。このことは当たり前すぎることなのだが、一方で「質」の向上による成長の時代になると、なぜ低成長が続き、また賃金が上がらなくなったのかについては、腑に落ちないところがある。その「謎」を解いてみよう。

「量」の拡大では
成長が難しくなった日本経済

 戦後の食料不足の時代にはまずは食べ物の確保という「量」の問題が重要だったが、飽食の時代になると味のよしあし、レストランの雰囲気といった「質」の重要性が増してきた。高度成長期には「大きいことはいいことだ」というチョコレートのCMがあったが、今の時代にはあまりアピールしそうにない。

 人々の嗜好が量から質に変わってくれば、企業経営でも量(売り上げシェア)の拡大を追い求めるのではなく、収益性に軸足を置いた品質重視、高級品へのシフトといった流れが生まれてくる。いわゆる高付加価値化だ。

「消費者の財布のひもは固いが、本当にいいと思ったものは高くても買ってくれる」という企業経営者のコメントもよく耳にする。そうなのだろうか。

 消費者や企業の経済活動で「量より質」という意識や行動様式が広がってくると、経済成長の仕方でも量から質へのシフトが始まる。

 経済成長は量の拡大によってもたらされるのが基本だが、質の向上も成長に貢献する。図表1はそれを整理したものだ。

 まず、300万円の車を年間100万台生産していたとしよう。この自動車の生産は3兆円(300万円×100万台)の価値を生み出す。実際には自動車を生産するために材料や部品を投入しており、そうした中間投入を差し引いた実際の付加価値は3兆円より小さくなるが、ここでは単純化のために中間投入をゼロとして3兆円の付加価値を生み出したと考える。

 次の年に同じ300万円の車を110万台生産すると、生み出される価値は3兆3000億円に増加する。10%の「量の拡大」が10%の成長(付加価値の増加)をもたらしたことになる。

 これに対して、生産台数は100万台のままだが、生産する車の価格を330万円に高めた場合も、生み出される価値は3兆3000億円に増える。こちらは10%の「質の向上」が10%の成長をもたらしたことになる。

 実際には量の拡大と質の向上は二者択一の問題ではなく、同時に起こり、相互に働きかける関係にある。

 高度成長期には、量の拡大と質の向上が両輪となって経済成長率を高めていたと考えられる。

 しかし、国内では少子高齢化が続き、先進国を中心とした経済の成長力が鈍化するにつれて、高度成長を支えた内外の需要の拡大という前提条件が崩れ、日本経済が量の拡大で成長することが難しくなってきた。

 量の拡大が難しくなり、質の向上が経済成長の主たるエンジンになってくると、経済成長率もかつてのようには伸びなくなってくる。

増えるGDP
増えない生産

 経済成長率が低下し、景気の変動が小さくなってくると、そもそも景気がよくなっているのか、悪くなっているのか、それすらも分かりにくくなる。どの経済指標を見るかによって、日本経済の印象が変わってくる。

 まず、景気に敏感な鉱工業生産指数の推移を見てみよう(図表2)。

 政府が景気の「谷」と認定している2012年11月をボトムに生産は増加していたが、14年1月をピークに減少基調に転じた。その後16年に入ると再び増加傾向が続いていたが、18年に入ると再び増加が一服してきている。生産の動きからは、政府が言うような長期の景気拡大が続いているという印象は受けない。

 一方、四半期ごとに発表される経済成長率は今年1~3月期は9四半期ぶりのマイナス成長になったものの、それまではプラス成長を続けていた。こちらは景気が良くなっているという印象を持たせる指標である。

 もっとも、マイナス成長を回避しているだけであって、高い成長が続いているというわけではない。低い成長ではあるが安定的な成長が続いているという程度だが、それでも生産動向よりは明るい材料ではある。

 増えるGDPと増えない生産、どちらを信じればよいのか。

 実はどちらも日本経済の一面を伝えている。ここで実質GDPと生産の推移をリーマンショック前の2005年から比較してみると面白い発見がある(図表3)。

 上の図のように、リーマンショック前は戦後最長の景気回復が続く中、GDPも生産も増えていた。リーマンショックによって両者とも大きく落ち込んだが、その後はどちらも回復してきた。

 そこまでは足並みが揃っているのだが、2011年以降は対照的な動きを示している。図表2では増減を繰り返しているように見えた生産が、長い期間を取ってみると実はほぼ横ばいで推移している一方、GDPは拡大を続けている。

「質」の向上で成長する経済に
バブル崩壊がその始まり

 鉱工業生産指数は生産数量、つまり「量」の変化を示す指標であるのに対して、実質GDPは「量」と「質」両方の変化を反映している。実際のところ、実質GDPに質の変化がすべて反映されているわけではなく、質の変化の一部が反映されていると言った方が正確だろう。

 実質GDPと鉱工業生産ではカバーしている範囲が違うので、両者を1つのグラフで比較するのは適当ではないかもしれない。しかし、2つの指標の方向の乖離から推測すると、日本経済は「量の拡大」で成長することが難しくなる一方で「質の向上」によって安定した成長を実現するようになっている。

 実は、実質GDPと鉱工業生産の乖離はリーマンショック前から見られる現象で、バブル崩壊がその始まりと考えられる(図表4)。

 70年代前半に高度成長期が終わると、「量の拡大」によって成長することが徐々に難しくなってきたと考えられるが、輸出の拡大や低金利政策によるバブル形成などが量の拡大を支えてきたと推測できる。

 そのバブルが崩壊することによって、いよいよ量の拡大が難しくなり、質の向上による成長にシフトしてきたと考えられる。

 なお、リーマンショック前までの戦後最長の景気拡大局面では、世界経済のバブル的好況に乗って、量の拡大が再び始まったようにも見えたが、これは一時的な動きにとどまり、リーマンショック後は量より質で成長する状態に戻った。

低下した労働分配率
賃金の増加には結びつかず

 量の拡大による成長が難しくなる中、質の向上によって低いながらも安定的な成長を続けているということは、成熟した日本経済にふさわしい成長メカニズムを実現しているということだ。

 これは前向きに評価できるのだが、残された課題がある。賃金が伸びないということだ。

 労働分配率は過去最低水準にまで低下している。

 労働分配率とは、生み出された付加価値のうち、働いている人に支払われる金額(人件費)の割合だが、労働分配率が低下したのは、もっぱら営業利益を中心とする企業の取り分が増えたことによるものだ。

 企業の業績が良くなって利益が増えても、賃金の変動は小さく利益ほどには拡大しないからだ。

 労働分配率の分子となる人件費と、分母となる付加価値から人件費を引いた企業の取り分、それぞれの推移を見たのが図表5である。

 これを見ると、人件費は90年代後半以降ほぼ横ばいで推移しており、横ばいに転じるタイミングの違いはあるものの、鉱工業生産と同じような動きを示している。つまり、量の拡大が止まってしまうと、人件費も伸びなくなるようだ。

 これに対して、企業の取り分はバブル崩壊後しばらく低迷が続いたが、コスト削減や高付加価値戦略が功を奏して、変動しながらも拡大するようになった。

 質の向上による成長は企業の利益を拡大させるが、賃金の向上には結びつきにくいようだ。なぜそうなるのか。

改良型の質向上では
価格転嫁が難しい

「質の向上」は賃金拡大につながりにくい。

 図表6は、図表1の「量の拡大」と「質の向上」による成長の概念図を賃金に与える影響と結び付けて拡大したものだ。

 まず、量の拡大による成長では、価値の増加に連動して売り上げも3兆3000億円に拡大する。量が拡大しているということは労働投入量も拡大しており、雇用を一定とすれば賃金が上昇する。

 これに対して、質の向上によって成長した場合は、「質の向上が価値を増加させた」と、きちんと認識されるかという問題がある。

 つまり、これまでより30万円分付加価値の高い車を作ったとしても、それが価格に転嫁できなければ、売り上げは3兆円のままであり賃金は増えない。

 実際、改良型の質の向上は頻繁に行われているのだが、それを価格に転嫁することはかなり難しいようだ。

 仮に、価格に転嫁して売り上げが3兆3000億円に増えたとしよう。この場合も、賃金が増えるかというと難しい。生産数量が変わっていないので、高価格の車であっても生産のための労働投入量は同じだ。賃金は据え置かれることになろう。

 新製品を開発するための貢献を考慮して一部の人にボーナスが支払われることはありそうだが、賃金全体が必ず増えるというわけではない。

 このように、質の向上による成長は賃金の増加に結び付きにくい。質が向上すれば、それを評価して購入しようという人が増えるはずだが、改良型の質の向上では難しい。

 量の拡大に結び付くような質の向上を実現することが重要だ。

 ただこのことを言うのは簡単だが、量より質への流れは日本だけの話ではない。

 今、米中貿易戦争で話題の「中国製造2025」では、「イノベーションによる駆動(製造から創造へ)」、「品質優先(製造の速さではなく品質で勝つ)」といった基本方針が掲げられ、戦略の任務と重点として「品質・ブランド力の強化」が挙げられている。

 質を巡るグローバルな競争が激しくなっており、この面からも残念ながら賃金を上げるというのは簡単ではない。

(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部研究主幹 鈴木明彦)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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