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イニエスタがJリーグにかけた魔法、なぜ相手チームまで魅了するのか

2018年07月28日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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イニエスタの日本デビュー戦
写真:YUTAKA/アフロスポーツ

ヴィッセル神戸に加入したスペインの至宝、アンドレス・イニエスタ(34)が早くも眩い存在感を放っている。後半途中から注目のデビューを果たした7月22日の湘南ベルマーレとの明治安田生命J1リーグ第17節では、残念ながらリードを許していた悪い流れを引き戻せずに完敗を喫した。しかし、ホームのノエビアスタジアム神戸で見せた一挙手一投足を介して、チームメイトだけでなく対峙したベルマーレにもさまざまな魔法をかけた。ラ・リーガ1部の名門FCバルセロナと無敵艦隊と畏怖され、スペイン代表で一時代を築いた稀代のプレーメーカーは、猛暑の中でコンディションをさらに上げ、日本中のサッカーファンを魔法にかけようと腕ならぬ脚を撫す。(ノンフィクションライター 藤江直人)

志願して炎天下のピッチで練習する姿も
滲み出る「強い気持ち」と「謙虚さ」

 初めて覚えた日本語は「アツイ」だった。ヴィッセル神戸の全体練習に初めて合流した7月20日。日本列島を襲っていた歴史的な猛暑の中で、新しい仲間たちが異口同音に繰り返した「暑い」に興味を抱いたアンドレス・イニエスタは、さっそく通訳を介して「アツイ」の意味を知った。

 トップチームの練習は原則として午前中に行われるが、それでも容赦なく太陽光線が肌を焦がし、ちょっと動いただけでも汗が噴き出してくる。まさに逃げ場のない神戸市内の練習場のピッチへ、スペインの至宝はすすんで飛び出していった。新天地でのデビューから一夜が明けた7月23日のことだ。

「一日でも早くいいコンディションにしようという、強い気持ちと謙虚さを感じますよね」

 イニエスタに「8番」を譲り、新たに「7番」を背負ったMF三田啓貴が、感銘の表情を浮かべながらイニエスタの行動を振り返る。ホームのノエビアスタジアム神戸で湘南ベルマーレに0‐3で敗れた、22日の明治安田生命J1リーグ第17節で出場した選手たちは、実は23日の練習で室内調整を言い渡されていた。

 暑さによって身心に蓄積したダメージが考慮されたためで、後半14分から投入されていたイニエスタも室内トレーニング組の対象だった。しかし、志願する形で炎天下のピッチに立ち、試合に出なかった選手たちと約1時間、ミニゲームを含めたすべてのメニューを積極的に消化した。

 脳裏には前夜に味わった感動と興奮、そして悔しさが駆け巡っていたはずだ。イニエスタが準備を始めただけで歓声が上がり始め、実際にピッチへ足を踏み入れた瞬間、そして約3分後に最初にボールを触った瞬間と今シーズン最多、2001年10月の開場以来の歴代でも3位となる2万6146人で埋まったスタンドから耳をつんざくような大歓声が沸きあがった。

「僕個人としては今日デビューできたこと、観客の皆さんに温かく迎え入れられたことに対して、すごく喜ばしい日になったと思っています」

 ベルマーレ戦後に特別に設けられた記者会見の席で、イニエスタは一瞬だけ笑顔を浮かべた。ヴィッセルの運営会社、楽天ヴィッセル神戸株式会社の三木谷浩史代表取締役会長のプライベートジェット機で関西国際空港へ来日したのが18日。おそらくは時差ぼけも抱えていた中で、わずか2度の練習を経ただけでデビューできたことに、安堵の思いを抱いたのだろう。

 前出の初練習後には、ロッカールームで「フォト!」という言葉を連発。スマートフォンを握りながらチームメイトのほとんどと記念撮影を行い、新天地で弾む心を表すかのように、2400万人を超えるフォロワー数を誇る自身のインスタグラムに次々と投稿した。

“魔法使い”と形容された高度なプレーに
神戸の選手は「レベルを上げないといけない」

 青森山田高校(青森県)から加入したルーキーで、同じ中盤のプレーヤーとして、FCバルセロナ及びスペイン代表でいぶし銀の輝きを放つイニエスタを映像越しに追いかけてきた郷家友太は、憧れのレジェンドの飾らない人柄に一発で魅せられた一人だ。

「ものすごく心が広いというか、穏やかで優しいし、積極的にコミュニケーションも取ってくる。人間として本当に素晴らしい人だし、まさか同じチームでプレーできるとは思ってもいなかった」

 もっとも、12歳だった1996年に「カンテラ」と呼ばれる下部組織に入団し、2002年にトップチームへ昇格。以来、昨シーズンまでバルセロナひと筋でプレーし、歴代1位となる32個ものタイトルを獲得してきたイニエスタは、黒星という二文字に拒絶反応を示すDNAも宿している。

 投入された時点ですでに2点のビハインドを背負い、自身が流れを作り出す前にダメ押しとなる3点目を失った。文字通りの完敗を喫したことが悔しくないはずがない。通訳を介して伝わってきたのは、抑揚のない静かなスペイン語に込められた例えようのない悔しさだった。

「チームとしては、負けてしまったことが非常に残念です。僕は負けることが好きではないので」

 それでも、歴代最高の年俸32億5000万円を誇るスーパースターは、大きなインパクトをピッチに刻んだ。柔らかいボールタッチ。簡単なように映っても、恐らくは高度なテクニックが凝縮されていたのだろう。対峙したベルマーレの選手たちがアプローチを仕掛けられない。緩急を駆使しながらボールを前へ運んだかと思えば、味方にはギリギリで合わなかったものの、急所を突くようなスルーパスを3度放った。

 イニエスタに続いて、後半20分に投入された郷家は憧れの存在の一挙手一投足を必死に観察した。ペナルティーエリア付近でボールをキープするイニエスタとイメージを共有できた同34分には、ヒールパスをあうんの呼吸で受け取ってゴールに迫った。

 虚を突かれた相手がたまらずファウルを犯し、直接フリーキックを獲得したシーンに「ちょっとですけど練習から一緒にやってきたことで、彼のリズムもわかってきた」と手応えを垣間見せた。

「イニエスタはすごく分かりやすいボールの持ち方をするんです。リズムを作りたいのか、あるいは裏に抜けてほしいのか、と。スピードを上げなくていい時は、例えフリーでもそんなに前を向かずに横パスでリズムを作って、相手が取りに来たら縦パスでスピードアップして緩急をつける。ちょっとボールを離したら蹴る素振りをするので、そういう時は(裏に)抜けてほしいのかなという感じで。僕たちにとってはすごく動きやすいですし、パスをつなぎやすいのかなと思います」

 実はイニエスタとロッカーが近かった。試合後には通訳も一緒にいたことがあり、勇気を振り絞ってイニエスタへ話しかけた。「左と右、どちらがいいんですか」と。

 イニエスタが投入されると同時に、ヴィッセルはシステムをそれまでの[4‐4‐2]から[4‐3‐3]に変えている。中盤はイニエスタの背後に2人のボランチをすえる配置となり、郷家もその一角を担った。しかし、しばらくするとイニエスタがゼスチャーを介して「前にいていいよ」と伝えてきた。

 マイボールになった時はそれまでの正三角形型から、藤田直之をアンカーにすえる逆三角形型に変える。藤田の前方で左右対の形で並ぶ際に、どちらの方がプレーしやすいのかを今後へ向けて郷家は知りたかった。返ってきたのは「左の方が好き」という言葉だったと、郷家は続ける。

「僕もまだ知らない部分があるので、どんどん知ってプレーしていきたい。やっぱり基礎技術がしっかりしているし、プレッシャーがある中でもまるで何事もなかったかのようにプレーする。間近にいる彼から日々、いろいろなことを貪欲に吸収していきたい」

 創造性あふれるパスと高度なボールコントロール、数手先のプレーを瞬時に読む高度な洞察力で試合を動かすイニエスタのプレースタイルは、いつしか「魔法使い」と形容された。ただ、ベルマーレ戦の結果だけを見れば、魔法をかけることはできなかった。

 一方で同じピッチに立った味方の感性を高め、知ろうとする欲求を引き出した存在感もまた、イニエスタがヴィッセルにかけた魔法と言っていい。右サイドハーフで先発し、イニエスタの投入後は右ウイングにポジションを移してフル出場した大槻周平は、パスを出す直前のイニエスタがほとんど首を左右に振らないことに気がついたという。

「間接視野で僕らの位置を見ていて、相手に予測がつかないような感じでパスを出してくる。だからこそ、僕たちもイニエスタが見ているスペースをしっかりと感じ取らないといけない。彼ほどのクラスになると自然と僕たちに合わせてくれると思うんですけど、そこは僕たちが合わせないと。イニエスタのパスに遅れれば得点にもつながらないので、僕たちがレベルを上げなきゃいけない」

ベルマーレの選手・監督も発奮
イニエスタ投入で「次元の異なる空間」に

 イニエスタが大きな影響を与えたのは、何も味方に対してだけではない。対峙したベルマーレの選手たちもまた、ある意味で魔法にかけられていた。敵地のスタジアムだけでなく、日本全体から注目を集めている。そう思うだけで、アドレナリンがさらに分泌されてくる。

「どのチームも多分、イニエスタ選手がいることによって、さらに力を出してくると思います」

 相手チームをも発奮させる、と指摘したのはボランチで先発フル出場した19歳の齊藤未月だ。後半開始直後。中盤のこぼれ球に165cm、64kgの小さな体を必死に宙へ舞わせてヘディングを一閃。ワントップの山崎凌吾に預けた瞬間からスプリントを開始し、山崎を追い抜き、ペナルティーエリア内へ侵入したところで抜群のタイミングでスルーパスを受け取った。

「チームとしてやろうとしていたことが出た。今までは入らなかったことが多かったので、やっぱり嬉しいですね。こういうシーンを、どんどん増やしていきたい」

 右足で押し込まれたボールが、ゆっくりと相手ゴールへ吸い込まれていく光景をはにかみながら振り返った。ユースの最上級生だった2016年5月に「飛び級」でプロ契約を結んでから、J1で出場すること9試合目にしてマークしたリーグ戦初ゴールが事実上勝負を決めた。

 J2を戦った昨シーズンも、30試合に出場しながら無得点だった。小さな体に搭載された無尽蔵のスタミナと、猟犬をほうふつとさせる獰猛なボール奪取術は、曹貴裁(チョウ・キジェ)監督をして「J1でもトップクラス」と言わしめるほど高く評価されてきた。

 同時にボールを持った後が課題と指摘され続けてきただけに、図らずも注目を集めた一戦で日本中へ名前を知らしめた活躍ぶりが嬉しくないはずがない。小学生のジュニアからベルマーレひと筋で育ってきた、クラブのDNAを色濃く受け継ぐホープはこんな言葉を紡いだ。

「むしろ神戸さんの方にやりづらさが出てくるんじゃないかと思いましたし、恐らくはそれが今日の試合だったのかなと。どちらかと言えば、今日はウチに分があった。ものすごく大きな歓声を浴びましたけど、僕たちにとっては逆にやりやすい形になりましたし、その分だけ神戸さんにはプレッシャーとなったと思います。イニエスタ選手が上手いのも、ああいうパスを出してくるのも分かっていたので、慌てることはなかったですね」

 イニエスタの神戸加入が確実視されていた5月中旬。海外のサッカーに造詣が深く、録画したものを含めて頻繁に試合をテレビ越しに観戦する曹監督は、スケジュール的に自分たちがデビュー戦の相手になると分かった瞬間に「本当に?」と笑顔で歓声を上げている。

 果たして、Jリーグへの登録も問題なく完了し、ヴィッセルの吉田孝行監督が「どこかのタイミングで必ず起用する」と明言した一戦を前にして、曹監督は特別なイニエスタ対策を講じることなく選手たちをピッチへ送り出した。

「特別な試合でも何でもなく、勝ち点3獲得を目指す大事な試合のひとつとして位置づけていました。イニエスタ選手に引きずられる形で、ふわふわしてしまうのが最もよくないので。クオリティーが高いのは当然だし、ビデオを一日見せて解決できるようであれば、あれほどの選手にはなっていない。だからこそ、イニエスタ選手についてはほとんど話をしていません」

 試合中はもちろん勝負に徹して采配を振るった。もっとも、日本人とほとんど変わらない171cm、68kgのサイズを持つイニエスタが投入された瞬間から、その周囲に次元の異なる空間が生まれたと感じずにはいられなかった。

「彼がピッチに出た時のボール周りの空気感というか、ウチの選手たちが飛び込めないような間というのは、彼が小さな頃から積み上げてきた、技術と呼ぶにはおこがましいくらいの、本当に類稀な状況判断力があるから。だからこそ、あのレベルでずっとやって来られたのだと思いました」

 ベルマーレを率いて7年目となる曹監督は2001年から3年間、川崎フロンターレのジュニアユース監督を務めた。2005年にベルマーレ入りしてからもジュニアユース、ユースの監督を4年間務めた。今も時間があればアカデミーの練習に顔を出す。育成年代の子どもたちに対する指導が、その後に大きな影響を与えると身を持って経験しているからこそ、未来への思いを込めて決意を新たにしている。

「イニエスタ選手のような能力は、11歳、12歳、13歳の時に何を教えるか、何を言われるかで変わってくるものだと思っている。僕自身、今はたまたまトップチームの指導に携わっているけど、例えば『背が小さい』『足が遅い』『体が弱い』という理由で子どもたちを排除しないような文化が育成のカテゴリーで出来上がらないと、イニエスタ選手に近づくような選手を輩出できないだろうと個人的には思いました」

試合の指定席は完売が続出、
イニエスタの魔法にかかる人は増え続ける

 対戦相手の選手や監督に特別な思いを抱かせる点も、イニエスタが放つ存在感は「魔法」の類と言っていい。そして、体の切れを取り戻し、コンディションを上げて、プレーする時間が長くなるほどに、魔法に魅せられる人数も増してくるはずだ。

「具体的に何パーセントかという数字は分かりませんが、自分がまだトップの状態には達していないと感じています。今は適応していく時期ですが、次の試合へ向けて1週間準備することができるし、次はできるだけ長い時間、そして今日よりもいいプレーができるはずです」

 デビュー戦をこう総括した稀代のプレーメーカーはこの瞬間から、一夜明けた練習を屋内調整ではなく、炎天下のピッチ上で汗を流しながら体を絞る作業にあてることを決めていたのだろう。だからこそ、完敗によるスタートをこんな言葉で位置づけた。

「これから始まる素晴らしい物語の第一歩になることを確信しています」

 28日の明治安田生命J1リーグ第18節では、柏レイソルを再びホームに迎える。すでに一部の指定席などは完売し、今後にビジターで訪れる敵地のスタジアムでも完売が続出している。真夏の夜の夢とばかりに、イニエスタに魔法をかけられる瞬間を誰もが待ち焦がれている。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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