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トーレスを口説き落とした鳥栖社長の凄い「交渉力と経営力」

2018年07月22日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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トーレス、竹原稔社長
フェルナンド・トーレスのサガン鳥栖入団会見にて、トーレス(左)とサガン鳥栖・竹原稔社長 Photo:AP/AFLO

J1のサガン鳥栖に加入した元スペイン代表のスーパースター、FWフェルナンド・トーレス(34)がホームにベガルタ仙台を迎える22日のJ1第17節でデビューする。類稀なスピードと得点感覚を武器に一時代を築き上げ、ファンやサポーターから「エル・ニーニョ(神の子)」の愛称で親しまれるストライカーが、54を数えるJクラブのホームタウンの中で最も人口が少ない佐賀県鳥栖市になぜ降り立ったのか。アメリカや中国、オーストラリアを巻き込んだ争奪戦を制した舞台裏を探っていくと、常にチャレンジ精神と熱意を抱きながら成長を続けてきたサガンと竹原稔・代表取締役社長(57)が抱く、壮大な夢が浮かび上がってくる。(ノンフィクションライター 藤江直人)

「交渉決裂」の報道から電撃的入団へ
サガン鳥栖が「最初に関心を示してくれた」

 人口およそ7万3000人。J3までを含めて54を数えるJクラブのホームタウンの中で、最も人口の少ない佐賀県鳥栖市が沸き返っている。ファンやサポーターから熱い視線を浴びているのは、スペイン代表のエースストライカーとして一時代を築いた超大物フェルナンド・トーレスだ。

 ラ・リーガ1部の強豪アトレティコ・マドリードを、昨シーズン限りで退団すると表明していたトーレスのサガン鳥栖への加入が決まったのは今月10日。一時は交渉決裂、あるいは破談というネガティブなニュースが報じられていた状況下での、まさに電撃的な発表だった。

 15日に来日して、羽田空港からそのまま向かった東京・千代田区の帝国ホテルで入団会見に臨んだトーレスは、新天地にサガンを選んだ最大の理由として、サガンを運営する株式会社サガン・ドリームスの竹原稔代表取締役社長からひしひしと伝わってきた熱意をあげている。

「この数ヵ月間、いろいろな国からオファーをもらいました。その中で最初に私へ関心を示してくれたのが、竹原社長とサガン鳥栖でした。私にとってこれは非常に重要なことです。数ヵ月にわたって話をすることができたし、時間が欲しいとお願いした時には私の考えを尊重してくれた。私や家族が必要なことをカバーすべく、いろいろと尽力もしてくれたので」

 アトレティコの下部組織で心技体を磨いたトーレスは、17歳だった2001年5月にトップチームでデビュー。リヴァプール、チェルシー、ACミランをへて2015年1月に古巣へ復帰し、下部組織から数えて16年目となる2017-18シーズンの開幕を前に秘かに決意を固めた。

「昨シーズンをもって、アトレティコをやめようと決めました。同時にヨーロッパに残る選択肢もなくなった。新しい挑戦をどこで始めようかと考えた時に、日本という選択肢が浮上してきたんです」

 アトレティコからの退団を表明したのが4月9日。直後に届いた電光石火のオファーがトーレスの胸を打ち、年俸を含めた条件でははるかに上回るアメリカのシカゴ・ファイアー、中国の北京人和、オーストラリアのシドニーFCなどと繰り広げられた争奪戦を制する最大の決め手となった。

現在、チームはJ1で17位と不振
トーレスに起爆剤としての役割を託す

「ずっとアタッカーを探していた中で、プレーだけでなく人柄を含めたすべてが1を1.1に、いや、1.2にできる選手として、強化部とも話してすぐにリストの中でナンバーワンにしました」

 トーレスへ熱いラブコールを送った理由を、竹原社長は笑顔を浮かべながらこう説明する。スペイン代表として110試合に出場して、38ゴールをあげたトーレスは端正なマスクとピッチ外での紳士的な振る舞いで万人から愛され、いつしか「エル・ニーニョ(神の子)」と呼ばれるようになった。

 3月で34歳になったが、相手の最終ラインの裏へ抜け出すスピードは衰えていない。多彩なフィニッシュのパターンも持ち合わせていて、昨シーズンもラ・リーガ1部、スペイン国王杯、そしてチームが頂点に立ったヨーロッパリーグの公式戦で計10ゴールをあげている。

 一方でJ1を戦って7年目になるサガンは、J2への降格圏となる17位でワールドカップ・ロシア大会に伴う中断期間を迎えた。不振の原因は得点力不足に尽きる。中断前の15試合であげた14ゴールはリーグワースト3位タイ。元コロンビア代表FWのビクトル・イバルボがコンディション不良に悩まされていたこともあり、3ゴール以上をマークした選手が不在だった。

 第6節からは泥沼の7連敗を喫した。この間に開催されたサポーターとの対話集会の席で、竹原社長は「少し背伸びをしてでも補強する」と宣言。まさに有言実行の形で、2010年のワールドカップ・南アフリカ大会の優勝メンバーでもあるビッグネームをチームに迎え入れた。

「今の順位は不本意ですが、クラブとしてのポテンシャルは決して悪くない。彼が来てくれることによって、他の選手たちがよりクオリティーやモチベーションを高めて一段高みを目指せる。チームの推進力を上げ、強いチームを作るトライアルをするためにも絶対に必要な選手でした」

 ファンやサポーターに不完全燃焼の思いを募らせてきた軌跡を右肩上がりに転じさせる、起爆剤としての役割を竹原社長はトーレスに託す。同時にサガンだけでなく、日本サッカー界の未来を担う若手や子どもたちの羅針盤にもなってほしいという願いも託されている。竹原社長が続ける。

「チャレンジしていくクラブであり続けるためのステップとして、プレーヤーとしてだけでなく人間的にも素晴らしい選手が目の前にいる。若手や子どもたちが彼を目標にして、スポンジのように吸収していくことを夢見ている。トーレス選手に期待することは、本当に多岐にわたります」

 サガンはアトレティコ、セリエAのユベントス、オランダの名門アヤックスと懇意にしている。2年前にはアカデミーの子どもたちをスペインへ遠征させて、トーレスと面会させる場も設けている。長年にわたって積み重ねられてきた努力も、今回の移籍決定につながったと言っていい。

「地方の田舎チームとして、J1で戦う難しさを財源的にも人材的にも考えさせられる中で、早い期間でユースの成長を促したかった。特にセンターフォワードを育てることは、私たちのユースにとっての最大の課題だと思ってきたので」

 今シーズンを戦う選手で言えば19歳のFW田川亨介。サガンのユースが初めて輩出した2年目のホープは年代別の日本代表に名前を連ね、2年後の東京オリンピック出場を視野に入れる。このタイミングでクラブがトーレスを獲得した意義を、感じずにはいられないと表情を引き締める。

「めちゃ真面目に練習へ取り組んでいる姿勢を、ずっと見てしまいました。自分はそこが疎かになっていたと、彼の真面目さを見てそういう気持ちにさせられました。自分が(クラブから)期待されているのは感じているし、何年か後には(トーレスを)超えられるような存在になりたい」

 来日翌日の16日からサガンの練習に合流したトーレスの一挙手一投足から、当たり前のことを黙々と消化することの大切さを田川は早くも学び取った。自らの存在が未来への投資となることも、サガンへの移籍を後押しさせたのか。トーレス自身もこんなメッセージを発信している。

「若い世代にできるだけのことを伝えたい。サッカーにおいて大切なのは情熱と夢を持つことだと、子どもたちには常に言ってきた。情熱や夢を教えることはできない。自分で夢を見つけて、前へ進んでいってほしい」

「クラブとして彼に恋をした」と
名言を残した竹原社長の交渉力

 サガンの参戦がメディアで報じられたのが5月上旬。争奪戦の行方が世界中の注目を集めていた5月30日には、予想外の事態が発生する。トーレスのサガン移籍決定を見越して事前に用意されていた記事を、Jリーグの公式サイトが誤って掲載してしまったからだ。

 すぐに削除されたものの、情報がすぐに世界中へ伝播する今現在において、各方面へ与えた影響は決して小さくなかったはずだ。このことが、その後の破談報道につながったと容易に察することができるが、竹原社長は否定も肯定でもせず、トーレス側からの返答を待ち続けた。

「情報が錯綜する中で僕らも振られるところもありましたけど、彼や代理人とは一定の距離感でずっと話ができていましたし、そういう関係がないがしろにされるような状況ではなかった。日付を切らなきゃいけない、という焦りはありましたけど、それでも安心して話をすることができたと思う。ウチとしては、いわゆるマネーゲーム的な話をしなかったことが、かえってよかったのかもしれない。フットボールに対する考え方や鳥栖の未来、これからの彼の人生だけでなく、日本という国が彼の家族にとっても安全で、もっともっとサッカーを強くしていきたいと望んでいることを伝えたかったので」

 交渉の過程で、トーレスの誠実な人柄に魅せられたのか。竹原社長は「クラブとして彼に恋をしました」という名言も残した。竹原社長を介して、トーレス自身も日本へ好印象を抱いたのだろう。入団会見では笑顔でこう語っている。

「私に関していろいろなニュースが報じられていることは知っていたが、竹原社長は常に明快な形で、素晴らしい交渉をしてくれた。私に対する信頼感がすごく感じられたし、私や家族にとって日本は素晴らしい次の目的地であり、新しい文化、新しい言語、新しい国について学ぶことができ、幸福な生活を送れるだろうと考えるようになった」

たった6年で収益は5倍の33億円超に
Cygamesとのスポンサー契約にも成功

 ここまでの過程を振り返っても、一連の交渉で竹原社長がキーマンを担ってきたことが分かる。兵庫県伊丹市で生まれ育ち、大阪・北陽高校ではサッカー部でインターハイを制した経験を持つ竹原社長は現在57歳。俳優の吉田鋼太郎をほうふつとさせるワイルドなルックスの持ち主は、実は意外な経歴を持つ。

「僕は大学を卒業していないんですよ。頭が悪くてダメ組で、中退してしまったので。なので、Jリーグでは珍しい高卒の社長になりますね」

 24歳で佐賀県に移り、36歳になる1996年に株式会社ナチュラルライフを設立。九州だけでなく北陸、関西、関東で「らいふ薬局」を展開している。見知らぬ土地で裸一貫の状況から事業を立ち上げ、県外にも乗り出していく過程では計り知れないほどの苦労を強いられたはずだ。

「僕は攻撃型の経営者なんですよ。だから守りの時には向いていないけど、今は乱世だと思っていますからね。今現在だけでなく5年後、10年後を考えて、しっかりとした目標を常に定めていく。例えば10年後にどのようなチームになっていれば鳥栖が生き残り、Jリーグの中で魅力あるチームになっているのかを考えれば、まったく違う世界が見えてくる。同時に夢も追いかけ続けます。いつまでも子どものような心をもった経営者でありたい、と思っているので」

 タフな生き様は株式会社サガン・ドリームスの非常勤取締役をへて、現職の代表取締役社長に就任した2011年5月以降のサガンの変化にも色濃く反映されている。地方の小クラブが毎年のように業績を拡大させてきた軌跡に、他のJクラブのトップが脱帽の言葉を残したことがある。

「竹原さんのお金の集め方はすごすぎる」

 Jリーグが開示している経営情報を見れば、竹原社長の就任1年目だった2011年度の営業収益は6億8900万円だった。翌年から戦いの舞台をJ1へ移し、今現在に至る中で、最新の2017年度の営業収益は33億5000万円に到達。実に5倍近い急成長を遂げている。

 サガンの前身、鳥栖フューチャーズは1997年1月に解散した。実質的な破産であり、存続を求める約5万筆の署名を受けて任意団体のサガン鳥栖FCとして継続したが、2003年と2004年にも財政難から消滅危機に直面した。Jリーグの鈴木昌チェアマン(当時)がこんな警告も発したこともある。

「このままの経営が続けば、Jリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」

 冒頭で触れたようにホームタウンである鳥栖市の人口がJクラブにおいて最少で、ゆえにマーケティングも限られてくる。親会社を持たない地方クラブが背負う十字架を力強くはねのけ、J1で3度の優勝を誇るサンフレッチェ広島を営業収益で抜いた理由を、竹原社長はこう明かす。

「クラブの能力的に数多くのことはできないので、今年はこれだと選択した売り上げに対して徹底かつ集中的に取り組む。そうした努力をシンプルに積み重ねてきただけなんですよ」

 例えば2015年7月にスマートフォンゲームの大手、株式会社Cygames(サイゲームス)と結んだスポンサー契約は、入場料収入と並ぶ営業収益の2本柱、広告料収入を大きく伸ばした。2011年5月の設立ながら急成長を遂げていたCygames社は、東京都渋谷区に本社を置く。同社の渡邊耕一・代表取締役社長が佐賀県伊万里市の出身であることが縁になったと、竹原社長が説明してくれたことがある。

「毎年帰省される度に『佐賀県に元気がない』と感じられていたようなので。実際、佐賀県の中でも、もっと小さな田舎へ行くとさらに元気がなくなるような状況でした。その意味では、何とか佐賀を元気にできるものはないかと。サガン鳥栖というサッカークラブを通じてならば、いろいろな意味で子どもたちにも夢を与えられるのではないかと考えられて、お付き合いを始めさせていただきました」

 Cygames社の渡邊社長を感銘させた熱意は、過去にはバイエルン・ミュンヘンなどを率いてブンデスリーガ1部を制した名将、フェリックス・マガト氏へも伝わり、2015シーズンのオフには監督として正式契約寸前にまでこぎつけたことがある。

 2016シーズンのオフにはイタリア代表の守護神を長く務めたレジェンド、GKジャンルイジ・ブッフォン(当時ユベントス、現パリ・サンジェルマン)の獲得に動いたと報じられたこともある。

「それ(オファー)に近い形といいますか。正式なレターまでは出していないので、先方からの回答うんぬんはないんですけどね。とにかく、やれるところは全部やろうと、熱意と意思を持ってずっと動いてきたので」

金曜ナイトゲームでも約2万人を集客
「地方の田舎クラブ」のチャレンジは続く

 チャレンジする姿勢を失わない竹原社長に、Jリーグの村井満チェアマンも全幅の信頼を寄せる。例えば今シーズンから導入したフライデーナイトJリーグ。新たなファン層を開拓するために、集客に苦しむことを覚悟の上で金曜日のナイトゲーム開催をリーグ全体で展開していく。その先鞭をつけるためにも、サガンに2月23日に1試合だけ行われたシーズン開幕戦を務めてほしいと要望した。村井チェアマンが言う。

「成功体験を積み上げたいという意味でも、私たちの方から鳥栖さんにやってもらいたいという思いはありました。社長の竹原さんも『やります』と言っていただいた。そういう覚悟を持っている社長の方々がいることが、やはり大事な要素ですよね」

 サガンの本拠地、ベストアメニティスタジアムはJR鳥栖駅から徒歩で約5分と間近にあり、博多駅から快速に乗れば30分ほどで到着する。群を抜く利便性の良さは午後8時のキックオフを可能にし、そこへ気温の冷え込みに備えて来場者全員に特製の防寒用マントを配布し、JR九州と協議して試合終了後の電車も増発させるサガンの集客努力も加わる。

 さらには元東方神起のメンバーで、日本でも根強い人気を持つ韓流スター、ジェジュンさんによるミニライブをハーフタイムに開催。数多くの女性ファンの足をスタジアムへ運ばせた結果、スタンドは1万9633人の大観衆で埋まった。もっとも、ジェジュンさんに関しては電話一本で呼び寄せたと、今年度からJリーグの理事(非常勤)も務める竹原社長は屈託なく笑う。

「そういうネットワークは、けっこう強いんですよ。なので、ミニライブの開催に関しては苦労しませんでした。理事へのお声がけを(村井チェアマンから)いただいた時は、まだ早いかなと思いましたけど、やっぱりチャレンジしたいので。そのためにはいろいろな情報を知りたいと思い、中央に出て行こうと思った次第です」

 そして今、壮大な夢を託し、熱意をもって射止めたトーレスの存在を、地方の田舎クラブによるチャレンジの象徴として竹原社長は位置づける。日本円で5億とも7億とも伝えられる年俸はスポンサーに頼らず、今後の営業活動の中で集中して工面していく方針も固めている。

「クラブとしてのフィロソフィーを応援していただく、ということにもっと集中していくためにも、トーレスのような選手に来てもらえるという夢を、田舎のクラブでも見られるのは非常に大事なこと。大都市のビッグクラブに試合でも勝ちたいけど、クラブとしても勝ちたいというチャレンジの中でのステップなんです。僕は悪い経営者ですよ。絶対に満足しないから。選手に対しても監督に対しても、もっとできるんじゃないの、と思っちゃうので。その中で近づきすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない距離感を、しっかりと保っていきたい」

 すでにイタリア人のマッシモ・フィッカデンティ監督は、登録の規約上で22日のJ1第17節から出場が可能になるトーレスの起用を明言している。ホームにベガルタ仙台を迎える一戦から、長く象徴としてきた「9番」を背負うトーレスの勇姿とともに、サガンの新たなチャレンジが始まる。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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