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乾貴士はなぜ30歳を超えてから大ブレークを果たせたのか

2018年07月18日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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乾貴士
乾はFIFAのロシアW杯で「サプライズを与えた5人の選手」にも選ばれた Photo:AFP/AFLO

フランス代表の20年ぶり2度目の戴冠とともに、約1ヵ月にわたって世界中を熱狂させたワールドカップ・ロシア大会が幕を閉じた。興奮の余韻が残る中で、さらに評価を上げているのが2ゴールをあげて西野ジャパンのベスト16進出に貢献したMF乾貴士だ。国際サッカー連盟(FIFA)の公式サイトが選ぶ、今大会で「サプライズを与えた5人」にも選出された小柄なドリブラーは、30歳を超えてなぜ大ブレークを果たしたのか。開幕前に決断したラ・リーガ1部の古豪レアル・ベティスへの移籍を含めて、波乱万丈に富んだサッカー人生の軌跡を振り返った時に、乾が常に追い求めてきた、サッカーを「楽しむ」というキーワードが浮かび上がってくる。(ノンフィクションライター 藤江直人)

「サプライズを与えた5人の選手」に選出
日本代表入り当落線上からの名誉

 4年に一度のサッカー界最大の祭典が閉幕しても、称賛する声は収まるどころか、ますます高まっている。20年ぶり2度目となる世界制覇の雄叫びを、フランス代表がモスクワの夜空へとどろかせてから一夜明けた16日、乾貴士に日本人選手として初めての勲章が加わった。

 国際サッカー連盟(FIFA)の公式サイトが、ワールドカップ・ロシア大会で「サプライズを与えた5人の選手」を発表。イングランド代表DFキーラン・トリッピアー(トッテナム・ホットスパー)、開催国ロシア代表MFデニス・チェリシェフ(ビジャレアル)らとともに乾が選出された。

 下馬評を覆す快進撃を演じた西野ジャパンで、全4試合に出場して2ゴールをマーク。セネガル代表とのグループリーグ第2戦で決めた芸術的な一撃と、敗れはしたものの、ベルギー代表との決勝トーナメント1回戦で突き刺した無回転のミドルシュートは、今も世界中のメディアから絶賛されている。

 開幕前はほとんど無名の存在だったからこそ、FIFAも驚きを隠せなかったのだろう。フィールドプレーヤーではただ一人、30歳に達している乾をリストの中に加えた理由をこう説明している。

「素早いパスと止まらないダイナミズムは、まさに古典的なサムライブルーの象徴となった。サイドで見せた創造性、鮮やかなゴール、予測不可能な閃きでまばゆい輝きを見せた」

 一躍世界から注目される存在となった乾だが、右太ももに負ったけがの影響で、2ヵ月前は代表メンバー入りへの当落線上にいた。何よりも日本代表に継続的に名前を連ねるようになったのは、昨年5月以降のこと。ベテランの域に差しかかっていた、小柄なドリブラーはなぜ大ブレークを果たしたのか。

 波瀾万丈に富んだサッカー人生を振り返ってみると、乾がキーワードとして掲げてきた「哲学」が浮かび上がってくる。それは、サッカーを楽しめているかどうか――。原点は滋賀県近江八幡市で生まれ育った乾が兄に憧れる形でボールを追いかけ始めた、小学校1年生の時に抱いた初心にある。

セレッソ大阪では香川と黄金コンビに
ドイツへ移籍も「楽しさを見失う」日々

「多分わがままでやんちゃな子どもだったと思います。好きなことはとことんやるけれども、逆に嫌いなことは絶対にやらないと勝手に決めつけていたというか。頑固なタイプでしたよね」

 好きなこととは、とにかくボールに触りまくり、大好きなドリブルを駆使して相手を抜いてゴールするプレー。トリッキーで予測不可能な「セクシーフットボール」を全員が追い求めた滋賀県立野洲高校時代は、2年次だった2005年度の全国高校サッカー選手権を制覇。楽しさに結果を伴わせた。

 対照的にプロの世界へ足を踏み入れた横浜F・マリノスでの日々は、厚い選手層に阻まれる形で出場機会を得られなかった状況と相まって、なかなか楽しさを感じることができなかった。加入から1年半が過ぎた2008年6月。乾に最初のターニングポイントが訪れる。

 出場機会を求めて、当時J2を戦っていたセレッソ大阪へ期限付き移籍した乾は運命的な出会いを果たす。本来のカテゴリーであるU-19代表だけでなく、北京五輪に出場したU-23代表、そして岡田武史監督に率いられるA代表でもデビューしていた、同じ学年のMF香川真司がまさに輝きを放とうとしていた。

「あの時のような感じで、一緒にプレーできれば理想的ですね。ただ、あそこまで上手くいくとは限らないんですけど」

 今現在の乾をして「あの時」と言わしめるのは、2位に入ってJ1昇格を勝ち取った2009シーズン。1トップの選手の背後で攻撃的MFとして左右対で並んだ香川と乾は、人気サッカー漫画『キャプテン翼』の主人公・大空翼と、永遠のパートナー・岬太郎を彷彿とさせる黄金コンビを結成する。

 歴代のミスターセレッソが背負う「8番」をこの年から託された香川は翼であり、セレッソへ完全移籍するともに「7番」になった乾が岬となるだろうか。香川が27ゴールをあげて得点王を獲得すれば、乾も20ゴールをマーク。テクニックと創造性を融合させたプレーで、J2戦線を席巻した。

 もっとも、至福の時間は長くは続かない。2010年7月に香川はブンデスリーガ1部の強豪ボルシア・ドルトムントへ移籍し、瞬く間にトップ下のポジションをゲット。胸のすくような大活躍を演じたことが乾を刺激したのか。約1年後の2011年8月に、乾も旅立ちを決意する。

 新天地に選んだのはブンデスリーガ2部のボーフム。トップ下として30試合に出場し、チーム最多の7ゴールを決めた活躍ぶりが評価されて、2012年6月には同1部への復帰を果たしたアイントラハト・フランクフルトへ完全移籍。ドイツの地でステップアップを果たした。

 しかし、フランクフルトでプレーする時間が長くなるほど、追い求めてきた楽しさを感じる時間が減っていく。1年目こそ6ゴールをあげたが、2年目は無得点。3年目もわずか1ゴールに終わった日々を、乾は「ストレスを感じながらプレーしていた」と振り返ったことがある。

「人に何か言われながらプレーする時って、楽しくないと思うんですよ。自分から何かをやっていかなきゃいけないし、その中で自分のプレーを出せた時が一番楽しいはずなので」

 精彩を欠いていく一方の乾を、古巣のセレッソも気にかけていた。柿谷曜一朗に続いて杉本健勇や山口蛍、そして清武弘嗣とヨーロッパや別のJクラブへ新天地を求めたクラブOBを復帰させる道も築いてきた中で、玉田稔代表取締役社長からこんな言葉を聞いたことがある。

「ウチから出ていった選手の中では、乾が一番早く戻ってくるのかな、と思っていたんですけどね」

 おそらくは2013-14シーズン、あるいは2014-15シーズンあたりを指していたのだろう。しかし、乾は自分の意思でサッカー人生の風向きを変えた。2015-16シーズンのブンデスリーガが開幕した直後の2015年8月下旬に、直訴する形でラ・リーガ1部のSDエイバルへ電撃的に移籍した。

憧れのスペイン移籍がターニングポイントに
2年のブランクを経て日本代表へ復帰

 実は乾にとって、スペインはサッカーを始めた小学生時代から憧憬の思いを抱き続けた国だった。いつしか忘れかけていた楽しさを、時間の経過とともに思い出していったのだろう。エイバル移籍が2度目のターニングポイントとなったことは、乾の言葉を聞けばはっきりと分かる。

「スペインでプレーしたいと、小さなころからずっと夢見てきた。本当に憧れていた通りだったというか、上手い選手が大勢いるし、ものすごく楽しくプレーできている。何の不満もないし、ここで長くサッカーができたら、自分のサッカー人生のなかで最高の宝物になると思っています」

 エイバルが周囲を山々に囲まれた、人口わずか2万7000人のスペイン北部の小さな町をホームタウンとしていたことも乾にはプラスに働いた。町中には日本食のレストランなど一軒もない。本拠地エスタディオ・ムニシパル・デ・イプルーアは、わずか6200人しか収容できない。

 それでも1940年に創設され、2014-15シーズンからは悲願のラ・リーガ1部を戦う小さなクラブを、エイバルに住む誰もが愛してやまなかった。クラブ史上で初めて移籍金を支払って獲得した、乾の小気味いいプレースタイルへ喝采が送られるようになるまで、それほど多くの時間は要さなかった。

 最愛の夫人と一粒種の長男を日本へ残し、単身赴任の形でプレーしていた乾は、クラブに関わるすべての人々が強い絆で結ばれているエイバルでの日々を心の底から満喫していた。

「スペインの中でも特に珍しいと言われるほどファミリー感のある、すごく雰囲気のいいチーム。チームメイトたちとよくご飯も食べに行くし、よく絡んでくるし、ホントにいいやつらばかりなので」

 スペイン独特の個人による守備戦術を頭と体に叩き込む作業も、中堅からベテランに差しかかろうとしていた自身を成長させると思えば苦にならなかった。ポジショニングひとつで相手のパスコースを消す。それもひとつではなく、複数をケアすることで守りながら素早く攻めに転じる姿勢も貫く。

「ボールを失う回数も減ったし、ディフェンスの部分での戦術理解度も高まったことで、攻撃の部分での特徴も出せている。いろいろなところが変わっていったと思います」

 エイバルでの2年目となる2016-17シーズンには、乾は大いなる手応えを感じていた。敵地カンプノウで名門FCバルセロナから2ゴールを奪った、このシーズンの最終節で魅せた大活躍は必然的に導かれたものだったと言っていい。

「自分のサッカー人生の中では、一番楽しい時期を過ごせている。楽しくできることが、サッカー選手にとってはベストだと思うので」

 輝きを増すばかりの存在感は、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督をも振り向かせた。約2年間に及んだブランクをへて、日本代表への復帰を果たしたのは昨年5月下旬。もっとも、乾本人は居場所を築きかけた代表から遠ざかった期間を、深刻にとらえてはいなかった。

「代表に選ばれるかどうかは監督次第なので、呼ばれていなかったことは特に気にしていなかった。まずはチームで結果を出す、ということだけを考えていたので」

 むしろともに代表へ招集されながら、ピッチ上ですれ違いが続いた香川とのコンビ再結成を願ってやまなかった。なかなか共演がかなわない状況に、苦笑いしながらこんな言葉を残したこともある。

「ホンマに真司と一緒にやりたいんですけどね。ちょっとハリルさんにお願いしてみますわ」

 夢がかない、約3年2ヵ月ぶりに先発としてそろい踏みを果たしたのは体制が西野ジャパンに変わり、ロシア大会の開幕前における最後のテストマッチとなった6月12日のパラグアイ代表とのテストマッチ。1点を追う後半に入って、乾は2発を相手ゴールに見舞った。アシストしたのは、ともに香川だった。

 3試合目における西野ジャパンの初ゴールおよび初勝利が、ロシア大会で演じられた快進撃の呼び水になった。乾の体に宿る決定力とチャンスメーク術、そして特異な守備能力を高く評価し、右太ももの怪我からの回復を信じて待った西野朗監督が描く序列の中で、左MFのファーストチョイスが宇佐美貴史(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)から乾に変わった瞬間でもあった。

ベティスへの入団を決意したのも
「楽しさ」を追い求めた結果だった

 サッカー人生のなかで積み重ねてきたすべてを、初めて臨むワールドカップの舞台で追い風に変えた乾は、2017-18シーズンの終盤に大きな決断を下している。エイバルから契約延長のオファーをもらっていた中で、来シーズンから同じラ・リーガ1部のレアル・ベティスへの完全移籍を決めた。

 今も深い愛着があり、楽しみを取り戻させてくれた日々への感謝の思いも忘れないエイバルから去ることを、悩まなかったと言えば嘘になる。一方で敵として何度も対峙してきた、ベティスの華麗なパスサッカーに魅力も感じていた。最終的には後者の方が、乾の胸中で上回った。

「今年で30歳になりましたし、おそらくこれが最後の(海外での)移籍になるんじゃないかと思って。そのなかでベティスのサッカーは、自分自身がすごくやりたかったサッカーだったので、挑戦したいという思いが込みあげてきたので決めました。今は楽しみでしかたがありません」

 東京・港区のスペイン大使館を会場として、今月12日に行われた入団会見の席上で、乾は移籍に至った経緯をこう説明した。スペイン第4の都市セビリアに本拠地を置き、1907年に創設されたベティスは昨シーズンのラ・リーガ1部で6位に食い込んだ古豪だ。

 ホームのエスタディオ・ベニート・ビジャマリンの収容人員は約6万人。第2次世界大戦前に黄金時代を迎え、1934-35シーズンにはラ・リーガ1部を制している。経営規模もチーム力もエイバルを上回るベティスを選んだキーワードもまた、乾が追い求めてきた楽しさだった。

「乾は基本的にはサッカー小僧ですから。だからこそFCバルセロナやレアル・マドリードに勝てるような、より高いレベルのチームであるベティスを最終的には選んだと思います。エイバルも非常にいいチームですけれども、乾が2ゴールを決めてもバルセロナには勝てませんでしたから」

 ラ・リーガ1部が誇る世界的なビッグクラブ、FCバルセロナとレアル・マドリードに勝てる確率を追い求めた末の決断だったと、乾の関係者が明かしてくれた。前述した2016-17シーズンの最終節では、乾の2ゴールでバルセロナからリードを奪った直後から猛攻を食らい、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシの2発を含めた怒涛の4連続ゴールを喫して敗れ去っている。

 結局、エイバルでプレーした3年間におけるバルセロナ、レアル・マドリードとの対戦成績は1分け11敗。唯一のドローは2016-17シーズンのレアル・マドリード戦で、昨シーズンに限っては両ビッグクラブに4戦4敗、得点2に対して失点13と粉砕された。

 翻って昨シーズンのベティスは、無類の強さで優勝したバルセロナには2戦2敗だったが、レアル・マドリードからは敵地で1‐0の勝利をもぎ取っている。真っ向勝負を挑んだホームでの一戦では3‐5と逆転負けを喫したものの、前半を2-1と1点リードで折り返している。

 とにかく強い相手に勝ちたい。最後は強豪ベルギーの底力に屈したものの、ロシア大会でも純粋無垢に追い求めたアスリートのロマンをスペインの地でも貫き通す。ベティスが来シーズンのヨーロッパリーグへの出場権を獲得していることも、乾の背中を押した要素のひとつになったはずだ。

 永遠のサッカー小僧であり続けたいという思いを、30歳を超えた今も成長への糧に変えている乾の素顔がひしひしと伝わってくる。ロシア大会に登録された総勢736人の選手の中で、最軽量だった59kgの乾は胸を張って未来を担う子どもたちへエールを送っている。

「僕みたいな体の小さな選手が海外でプレーすることは、子どもたちに大きな勇気を与えることができると思う。子どもたちにはサッカーを含めて、好きなことを心から楽しんでやってほしい。そのためにも、僕自身も楽しくサッカーをしている姿を子どもたちに見せられればと思う」

 ベティスでも単身赴任を続ける乾は、最愛の家族と過ごす時間を満喫した後の今月26日に新天地へ合流する。自ら希望した「14番」は西野ジャパンでお馴染みになった背番号であると同時に、楽しさの頂点を最初に極めた野洲高校の2年次に背負った番号でもある。プロになって6チーム目で初めて背負う、自身の原点とも言えるラッキーナンバーからも乾の熱き思いが伝わってくる。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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