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次の景気後退に備えた「利下げできる余地」作りは必要か

2018年06月27日 06時00分更新

文● 井上哲也(ダイヤモンド・オンライン

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景気後退に備えて利下げの余地を確保しておく必要があるのでしょうか

 欧州中央銀行(ECB)が14日、量的緩和政策の「年内終了」を決め、米国連邦準備制度理事会(FRB)も13日、今年2回目の利上げに踏み切った。

 こうした欧米の中央銀行の政策対応はどういう思惑にもとずくのだろうか。直後の18ー20日、ポルトガルのシントラで開かれたECBのコンフェランスで、背景にある「意図」が明らかになった。

静かな「シントラ・ショック」
欧米中銀の問題意識が明らかに

 シントラ会議は、ECBが毎年6月、主要国の中央銀行の幹部や研究者を招待して開催している金融政策に関する会議だ。米国のカンサス連邦準備銀行が8月にジャクソン・ホールで開催する会議の欧州版ともいうべき会合だ。

 昨年の会合では、ドラギECB総裁が量的緩和の見直しに初めて具体的に言及したことで、ユーロ相場と長期金利が急騰する「シントラ・ショック」を招いたことが記憶に新しい。

 今年も、「先進国経済における価格や賃金の設定」という興味深いテーマで開催され、ドラギ総裁のほか パウエルFRB議長や黒田日銀総裁も出席した。

 昨年のように市場インパクトを与えることはなかったが、金融正常化を進める欧米中央銀行総裁の注目すべき問題意識が吐露された。

「静かなシントラ・ショック」というべきものだ。

 会合では、FRBのパウエル議長は過去の経験則に頼ることは難しいとした上で、現在の米国では物価上昇リスクをある程度、許容すべきとの考え方を示唆した。

 つまり、景気をやや過熱気味にしても、(1)自然失業率の推計やインフレと賃金の関係を示すフィリップスカーブの傾きに不確実性が存在するので、本当にインフレが加速するかどうかは不透明なこと(2)銀行や資本市場での過剰な信用膨張といった金融システムの“過熱”という副作用も現時点で抑制されていること(3)むしろ労働参加率の引き上げといったメリットも存在する、といった点で、このことは正当化されると主張した。

 この考え方は、年初来の連邦公開市場委員会(FOMC)の議事要旨で度々示された「インフレのオーバーシュート論」、つまりFRBはインフレ率の上昇を抑え込むのでなく、インフレ率が目標をやや上回るように利上げを緩やかに進めるべきという考え方と整合的だった。

 そのため、市場にサプライズを生むことにはならなかった。

 一方、ECBのドラギ総裁は、6月の政策理事会で量的緩和の縮小(10月以降)と停止(来年初以降)を決めた理由を説明。

 この中で、(1)インフレが目標に向けて収斂する見通しが得られたことに加え、(2)基調的インフレ率の状況などからインフレ目標の達成に対する自信を強め、(3)インフレ期待の状況などから様々なショックの下でもインフレ率を目標近辺に維持し得るという判断に至ったと述べた。

 この考え方も、6月の政策理事会直後の記者会見でドラギ総裁が既に説明したものと基本的に同じで、量的緩和を縮小、停止しても、ECBが直ちに利上げやバランスシートの縮小に進むわけではないという慎重なスタンスも含めて、市場にとってサプライズではなかった。

 しかし、注目する必要があるのは、パウエル議長とドラギ総裁に共通する問題意識だ。

 つまり、米国は利上げスピードの減速、ユーロ圏は量的緩和の縮小と停止という一見、方向が逆向きに見える金融政策が示すメッセージは、ともに次の景気後退への対応に関する懸念に基づいている。

 パウエル議長は、利上げを緩やかにして景気拡大を長持ちさせるとともに、インフレ期待を着実に定着させることで、次の景気後退の際にマイナスの実質金利を実現させやすくしようとしている。

 またドラギ総裁は、量的緩和の縮小や停止が将来の政策対応力の確保のためであることを明確に認めている。

 実際、ECBは利上げ開始は早くて2019年の夏以降と宣言しており、今回の景気拡大局面の間に政策金利の「のりしろ」を確保し得る可能性は低い。だからこそ、次の景気後退に備えて量的緩和の面で発動余地を残す趣旨と見られる。

日本の経験、参考になるか
インフレ期待の安定性で違い

 欧米の中央銀行が、足許の景気が堅調な現時点で、既に数年先の景気後退に対する懸念を持っているとすれば、昨年の「シントラ・ショック」ほどのインパクトを与えるものでないとしても、市場にとっては心配な話である。

 ただし、こうした懸念が合理的かどうかは冷静な検討が必要だ。

 パウエル議長やドラギ総裁がしばしば言及するように、金融政策が利下げの「のりしろ」を確保できないまま景気後退に陥った場合の問題を考える上では、日本の経験が先進国ではほぼ唯一の貴重な実例だ(図表1)。

 したがって日本の例が欧米中央銀行に影響を与えていることは間違いない。だが果たしてそれが適切かどうかという問題が残る。

 経済構造に相応の類似性を持つ先進国同士が政策運営に関する経験や教訓を共有しあうことは、同じ失敗を繰り返さないためにも、政策のイノベーションを進める上でも一般論としては有用だ。

 しかし筆者は、欧米中央銀行が抱くこの問題に関する懸念に対しては、過度に日本の経験が影響を与えているようにも感ずる。

 確かに、日本銀行は「量的・質的金融緩和」を5年以上続けたにもかかわらず、インフレ期待を引き上げ、インフレ率を意図した水準に引き上げることには成功していない。

 しかし、米欧の場合には、因果関係はともかく、世界金融危機や欧州債務危機によっていったん低下したインフレ期待は着実に回復している。特に中長期についてはそうだ。

 つまり、日銀が最も苦戦しているインフレ期待の安定性という問題は欧米中銀の場合は深刻ではない(図表2)。

循環的な景気後退なら
財政金融政策で対応できる

 しかも、インフレ期待が高まらない日本でも景気は徐々に拡大し、足元では需給ギャップもプラスに転じている。

 また名目賃金の伸びは抑制的だが、労働市場は極めてタイトで、実質賃金も基調としては緩やかに増加しており、いわばマクロの経済厚生は着実に改善しているといえる状況だ。

 これら全てを金融政策の効果だと考えるのは不適切であり、機動的な財政運営の効果も大きかった。それでも、日本経済の現状は、金融・財政の双方の面で先進国が有する政策手段を活用すれば、各々の金融経済構造に照らして十分に良好な状況を回復し得ることを示している。

 この点を欧米の中央銀行もきちんと理解すべきである。

 一方で、世界金融危機後、その震源地でもない日本で成長率が急激に低下したことが示すように、政策の発動余地が少ない中で何らかのショックに見舞われた場合には、経済運営の脆弱さが露呈すること自体は否定できない(図表3)。

 しかし、この問題にも全くなすすべがないという訳でもない。

 1990年代以降に日米欧が直面したケースを振り返って、改めて理解すべき点は次のことだ。

 金融不安などを引き金に実体経済と金融システムが相互に悪循環に陥るような本格的な危機になると、金融・財政政策の効果が低下し、結果として経済活動に深刻な打撃を与え、かつ回復に長い時間を要した。

 だが逆に言えば、事態がそこまで深刻化しなければ、つまり循環的な景気後退の局面では、金融・財政政策の成果は相応に期待されるわけだ。

 こうしたことを考えるとむしろ重要なのは、景気後退自体を避けることよりも、それが同時に金融システムの不安定化を併発しないようにすることがむしろ重要なのだ。

 実際、金融システムに関しては、現時点で深刻な問題ではないとしても、米国ではシャドーバンキングの復活、ユーロ圏では一部の国での企業や政府の過剰債務のように潜在的に問題を起こし得る要素もある。

 これらを、景気後退が来る前に健全化しておくことは可能であり、かつ必要なことだ。

 このように、欧米の中央銀行にとっては、次の景気後退に直面しても、その影響を抑制したり、そこから脱出したりするための手立ては、他の政策当局との協力も含めてきちんと残されており、決して「この世の終わり」という訳ではない。

「のりしろ」の確保を優先する結果、むしろ足許の政策運営に失敗するといった本末転倒の事態を防ぐ上でも、日本の経験や教訓が欧米の間でもより正しく共有されるべきだ。

(野村総合研究所金融ITイノベーション研究部長 井上哲也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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