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日本のW杯グループリーグ突破のカギは岡崎慎司が握っている

2018年06月16日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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パラグアイ戦の岡崎慎司
パラグアイとの親善試合でプレーする岡崎慎司 Photo:AFLO

4年に一度のサッカー界最大の祭典、ワールドカップがついに開幕。日本時間15日未明の開幕戦では開催国ロシア代表が5‐0でサウジアラビア代表を一蹴し、首都モスクワのルジニキスタジアムを埋めた約7万8000人の大観衆を熱狂させた。19日に強敵コロンビア代表とのグループリーグ初戦(サランスク)を迎える日本代表は、いかにして戦うべきか。西野朗監督(63)の就任3試合目にして待望の初勝利となった12日のパラグアイとの大会前最後のテストマッチで、約9ヵ月ぶりに先発した32歳のベテランFW岡崎慎司(レスター・シティ)が見せた献身的かつ泥臭いパフォーマンスが、グループリーグでの勝ち点獲得へのヒントを示してくれた。(ノンフィクションライター 藤江直人)

2010年W杯の岡田ジャパンを
彷彿とさせた「一人の侍」の姿

 日本代表監督としてワールドカップの2大会で指揮を執り、2度目だった2010年の南アフリカ大会ではチームをグループリーグ突破に導いた岡田武史氏(現JFL・FC今治オーナー)が残した名言の中で、強く印象に残っているものがある。

「運は誰に対しても、普通に目の前に流れている。それをつかみ損ねたくないからベストを尽くす。一本のダッシュに、一本のシュートに、常にベストを尽くすんです」

 岡田氏が横浜F・マリノスを率いた2003シーズン。指揮官が飛ばしたこの檄の下、いっさいの甘えや妥協が排除されたチームは、ファースト、セカンド両ステージを制覇。史上2チーム目の完全優勝を達成すると、2004シーズンのファーストステージでも頂点に立つ。さらにはセカンドステージ覇者、浦和レッズとのチャンピオンシップを制して連覇を果たしている。

 テクニックを駆使した華麗な勝利というよりは、泥臭さと献身でもぎ取った白星が目立った2年間の戦いぶりは、そのまま南アフリカ大会を戦った岡田ジャパンへと受け継がれる。

 極度の不振もあって開幕直前に大黒柱が中村俊輔から本田圭佑へ、ゲームキャプテンが中澤佑二から長谷部誠へ、守護神が楢崎正剛から川島永嗣へ、システムが[4‐2‐3‐1]から[4‐1‐4‐1]へ、そして戦い方がボールポゼッション型から堅守速攻型へと、それぞれ大きく変更された。

 岡田氏の決断は半ば開き直ったかのように見えて、実は目の前に流れている運を強引につかみ取るための方策だった。果たして、カメルーン代表とのグループリーグ初戦を本田のゴールで制した岡田ジャパンは、デンマーク代表との最終戦でも快勝。開幕前に浴びせられていたブーイングを、称賛の嵐に一変させた。

 ワールドカップ・ロシア大会が開幕した今になって、なぜ15年も前の岡田氏の言葉を思い出したのか。くしくも南アフリカ大会前と同じく、未曽有の逆風にさらされていた西野ジャパンを一本のダッシュでも絶対に手を抜かない、例えるなら「侍」をダブらせる選手が奮い立たせたからだ。

 直前合宿地のオーストリア・インスブルックのチボリ・スタジアムに、パラグアイ代表を迎えた12日の国際親善試合。MF乾貴士の連続ゴールで、日本が2‐1と逆転した直後の後半22分に訪れたシーンに思わず目を奪われた。

 パラグアイのディフェンダーが、背後にいたゴールキーパーへバックパスを送った刹那だった。ディフェンダーの背後にいたFW岡崎慎司が猛然とダッシュを開始。ボールとの距離を瞬く間に詰め、最後は伸ばした右足を投げ出すようにジャンプした。

 岡崎の突進に気がついた相手キーパーが、とっさに前方へ蹴り出したことで、実際には何事も起こらなかった。実は岡崎が何度も見せてきてはそのほぼすべてで徒労に終わり、無駄に体力を消耗しているだけではないか、と指摘されたことも少なくないプレーだった。

 岡崎本人にも聞いたことがある。相手キーパーに蹴られるたびに、空しさを覚えることはないのでしょうか、と。即座に返ってきた言葉には、岡崎が貫いてきた生き様そのものが凝縮されていた。

「自分はそれを常に、どんな時でも実践してきたので、もう体に染みついている。それを繰り返したことで体力が持たないようなら、もっと走り込めばいいだけのこと。しんどいと思ったことがないというか、そういう心境に至ったこともない。必ず報われることがあると信じているし、そこで手を抜いてしまえば今の自分は存在しないと思っているので」

 キーパーのキックが体のどこかに当たれば、ゴールになるかもしれない。あるいは、チャンスが生まれるかもしれない。代表同士の一戦、それもワールドカップ級のレベルになれば確率的にもゼロに近いが、それでも万にひとつの可能性をむざむざ捨て去りたくない、という執念が岡崎を突き動かした。

岡崎の運動量とストライカーとしての役割を
西野監督は「献身的なプレー」と評価

 岡崎にこの話を聞いたのは2010年5月。兵庫県の名門・滝川二高から清水エスパルスに加入して6年目の岡崎は当時24歳で、初めて臨むワールドカップ・南アフリカ大会を前に岡田監督が下した決断によって、1トップのレギュラーを中盤が本職だった本田に奪われようとしていた。

 ストライカーを自負するがゆえに、ワールドカップイヤーに入ってからの低空飛行に対する責任を誰よりも強く感じていた。レギュラー剥奪に至った理由を、その時点における本田との差に帰結させながら、岡崎は「個の力で何とかできる選手が先発する」と結論づけた。

「このままJリーグでプレーしていても、次のワールドカップでは結果を出せないと思う。海外の厳しい環境の中でサッカーができるかどうかで、これからの4年間で世界を味わえるかどうかで違ってくると思っている」

 言葉通りに2011年2月にブンデスリーガのシュツットガルトへ、2013年6月に同じくブンデスリーガのマインツへ、そして2015年6月にはプレミアリーグのレスター・シティへ移籍。活躍の場を海外に移して7年半になるが、本質的な部分は変わっていないことがパラグアイ戦で証明された。

 もっとも、慌ただしく船出した西野ジャパンにおいて、岡崎に対しては懐疑的な視線が向けられていた。左足首を痛めた岡崎は4月14日のバーンリーFC戦を最後に、プレミアリーグのピッチに立てないまま5月13日のシーズン閉幕を迎えた。

 帰国後はつかの間のオフを取って患部を治療し、5月21日から千葉県内で行われた代表合宿に参加した。しかし、別メニュー調整を余儀なくされる時間が大半を占め、戦術的なトレーニングが始まってからも部分的な合流にとどまった。合宿の前半に、岡崎はこんな言葉を残している。

「上手くタイミングを見ながら、という感じですね。いきなりではなくて、だんだんやっていけたら、という話はしています」

 ガーナ代表とのワールドカップ壮行試合へ向けて代表合宿に招集された27人からは、早々にMF青山敏弘が故障で離脱した。次は岡崎になるのではないか。こうした声も上がる中で、西野朗監督が岡崎に寄せる期待は変わらなかった。

「プレミアリーグの非常にタイトで厳しいゲームの中で、あれだけ体を動かしてチームへ貢献して、ストライカーとしての役割も果たしていく。総合的に見ても彼の役割は代えが利かないと評価している。ただ単に運動量が多いだけではなく、常に2つ先、3つ先を読んで献身的にプレーする姿は絶対にチームに欠かせないし、1ヵ月の猶予があれば間違いなくいい状態へ持っていける」

 ガーナ戦に向けたメンバー発表会見で発した同じ言葉を、西野監督はゴールデンウイーク中に行ったヨーロッパ遠征で岡崎を訪ねた時に直接伝えている。意気に感じると同時に、心の底から日本代表を愛するがゆえに、岡崎の心にはこんな思いが頭をもたげてきた。

「100%の状態でなければ、ワールドカップに行く意味はないと思っている。年齢的にも行くだけの選手にはなりたくない。世界を相手にする舞台で状態が悪ければ、それだけチームが犠牲になるので」

自らを「下手くそ」と呼ぶストライカーは
今やゴール数が歴代3位の選手に

 岡崎は今でも自分自身を「下手くそ」と呼ぶ。174cm、70kgとサイズにも恵まれていないし、50m走でかろうじて7秒を切るスピードは鈍足の部類に入る。だからこそ常に全身全霊をピッチで体現する。バックパスに対して繰り返すダッシュは、魂をほとばしらせるプレーのひとつにすぎない。

 全国から猛者が集う滝川二高への進学を口にした時には、絶対に通用しないと周囲から猛反対された。それでも初志を貫いて入学すると、当時の黒田和生監督から「3年生になっても、試合に出られないかもしれないぞ」と忠告されても歯を食いしばって努力を積み重ね、成長を続けた。

 地元のチームだと甘えが出る、という理由でヴィッセル神戸からのオファーを固辞。あえて選手層の厚いエスパルスを選んだものの、8人を数えたフォワードにおける序列は8番目。長谷川健太監督(現FC東京監督)から、サイドバックへのコンバートを打診されたこともある。

「ホントに負けず嫌いなので、はい上がっていく環境にいた方が自分には合っている。目標が高いほど気合が入る。そこへ向かう過程が大事だと思っていますから」

 エスパルスでレギュラーをもぎ取り、U-23日本代表として2008年の北京五輪に出場。直後の9月には日本代表に初めて選出され、以来、10年近い歳月の中で積み重ねてきた出場キャップ数はパラグアイ戦で「113」に、ゴール数は「50」に達した。

 いずれもロシア大会に臨む西野ジャパンの中では最多の数字であり、特にゴール数は往年の名ストライカー釜本邦茂、51歳の今も現役でプレーする三浦知良に次ぐ歴代3位にランクされている。

 世界最高峰とされるプレミアリーグで優勝を経験したのも、もちろん2015-16シーズンの岡崎しかいない。ゴール数ではイングランド代表FWジェイミー・ヴァーディーに遠く及ばなかったが、群を抜く運動量の多さと献身的な姿勢は、地元のメディアをして岡崎を「影のヒーロー」と言わしめた。

 ゆえに同じ1986年生まれの盟友・本田、平成生まれの選手で初めてA代表に選出された香川真司とともに、いつしか攻撃陣の『ビッグ3』と呼ばれるようになった。もっとも、岡崎本人は「誰が考えたんですかね」と、謙遜しながら苦笑いを繰り返した。

「いやいや、たまたまでしょう。2人のついで、という感じで」

 実るほど頭を垂れる稲穂かな――物事を成し遂げた人間ほど謙虚になる、という意味の故事を地で行く岡崎のプレースタイルを最も端的に表現するのは、北京五輪でU-23代表の指揮を執り、今現在はJ2の松本山雅FCを率いる反町康治監督が残したこの言葉となる。

「手を抜かないのではなく、手の抜き方というものを知らない選手でした」

劣勢でもあきらめない「侍」のマインドで
目の前に流れる運を掴みとれるか

 必然的に小さな体のさまざまな箇所に、ダメージが蓄積してきたはずだ。左足首痛の回復が遅れたのもその影響なのか。こう懸念された時期もあった岡崎はしかし、ガーナ戦の後半14分から、日本代表戦に限れば昨年9月のサウジアラビア代表戦以来の復帰を果たした。

 一夜明けた5月31日に発表された、ロシア大会に臨む23人の代表メンバーの中に名前を連ねたことからも、岡崎自身、100%に近い状態に戻りつつあると実感しているのだろう。実際、千葉合宿の終盤にはこんな言葉を残している。

「この1ヵ月ちょっとプレーできなかったと言っても、自分がこれまで積み重ねてきたもののすべてがなくなるわけじゃない。自分がこのチームにいる意味、存在価値というものを出したい」

 迎えたパラグアイ戦。攻守ともに後塵を拝し、0‐2のスコアで完敗した現地時間8日のスイス代表との国際親善試合から、西野監督は先発メンバーを一挙に10人も変更。[4‐2‐3‐1]システムの中で、岡崎を1トップとしてピッチへ送り出した。

 相手ボールになれば、トップ下の香川と実質的な2トップを形成。パラグアイの守備陣へ執拗に、何度でもプレッシャーをかけ続けた。もちろん単独で、闇雲に敵陣を走る回るわけではない。香川とあうんの呼吸で連動し、2列目の乾や武藤嘉紀とも意思をシンクロさせた。

 前線からの守備がしっかりとハマったからこそ、最終ラインとの距離もコンパクトに保てる時間帯が続いた。ロシア大会への出場を逃しているパラグアイが、コンディションやモチベーション的に整っていなかった点を差し引いても、攻守でスイッチを入れ続けた岡崎のプレーは高く評価されていい。

 肝心の攻撃面ではシュートを1本も放てないまま、後半29分に原口元気との交代でベンチへ下がった。しかし、ボランチの柴崎岳がボールを持ち、前を向いた瞬間には何度も相手の最終ラインの裏を狙い、オフサイドぎりぎりのタイミングで飛びそうとしていた。

 自ら囮になるフリーランニングで、2列目以下の選手にスペースも作っていた。交代を告げられた直後に、何人もの選手たちから労をねぎらわれたのは、それだけ攻守両面で味方のために、途中でスタミナ切れ状態になるのを厭うことなく走り続けたからに他ならない。

 南アフリカ大会の快進撃を導いたのは、岡田監督が下した一連の決断だけではない。選手だけのミーテイングでDF田中マルクス闘莉王が発した「オレたちは下手くそなんだから、下手くそなりにもっと泥臭く戦わないと」という檄との相乗効果にあった。

 そして、8年もの時空を越えて、下手くそを自負する岡崎の背中を介して闘莉王の言葉が蘇った。大会2ヵ月前の電撃的な監督交代。圧倒的に足りない準備時間。テストマッチで喫した連続完封負け。西野ジャパンを取り巻く不安が、岡崎に牽引された戦いで一掃された。故障の回復が長引いていることを承知の上で、西野監督が岡崎の招集にこだわった理由もここにある。

 パラグアイ戦の反動が出たのか。両ふくらはぎの張りを訴えた岡崎は、ロシア国内のベースキャンプ地カザンで14日に行われた初練習で、途中から別メニューに切り替えた。目の前の一戦へ常に100%で臨むことをモットーとしてきた岡崎にとっては、ある意味で勲章と言えるかもしれない。

 今でこそ『SAMURAI BLUE』の愛称で呼ばれる日本代表だが、岡崎は14年も前に「侍」なる言葉を好んで使っている。滝川二高はその時々の最上級生が、年間のテーマを漢字一文字で表す決まりがあった。2004年度はキャプテンを拝命した岡崎の提案で、全会一致で「侍」に決まった。

「劣勢に立たされても絶対にあきらめず、最後まで勝利を信じて戦う強さが好きだったので。サッカーにおける『侍』になれれば、と思ったんです」

 ロシアの地で対峙するコロンビア、セネガル、ポーランドはすべて格上であり、日本は苦しい戦いを強いられるだろう。だからこそ、少年時代から「侍」のマインドを心に宿す岡崎がパラグアイ戦で見せた頼れる背中が、労を惜しまない一挙手一投足が、目の前に流れる運をつかみ取る上で西野ジャパンの羅針盤になる。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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