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消えゆく産業遺跡「廃墟」が私たちに教えてくれること

2013年04月25日 06時00分更新

文● 筒井健二(ダイヤモンド・オンライン

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炭鉱の町に残る大規模な学校から、生徒数が一桁の山奥の分校まで、廃校には地域の気候や風土、社会背景が色濃く反映されている

 第2次「廃墟」ブームが到来しているという。

 2012年10月には『産業遺産の記録』(三才ムック)、12月には『廃校遺産』(ミリオン出版)が発売され、廃れゆく建造物の魅力やその痕跡を残そうとする動きが盛んだ。現代に生きる人間は、廃墟のどういったところに魅力を感じるのか──。

 廃墟ブームの第一波は、1998年ごろに訪れた。インターネットの普及に伴い、個人の趣味嗜好が他人にも広く受け入れられ始めたことで、廃墟の価値と歴史性の魅力に気づいたファンがウェブサイトを開設。彼らの濃密な情報交換にメディアが注目し、雑誌や写真集を通じて、廃墟の神秘性や世界観を広めていった。

「廃墟に興味がある人は、以前から一定数いたと思います。ただ、心ない人たちに“いい廃墟”を傷つけられるのを恐れ、限られた輪の中でしかつながりを作りませんでした。そんな閉鎖性を壊したのがインターネットです。SNSを通じて廃墟好きが出会い、写真や文章でその美しさ、産業遺跡としての価値を伝えようとする人が、いまなお増えています」

 このように語るのは、10年以上にわたり、廃墟をテーマとした撮影活動を続けている芝公園公太郎さん。芝公園さんが写真を提供した写真集『廃校遺産』(ミリオン出版)が出版されたばかりだ。

「廃墟をテーマに創作活動をしている人は、数多くいらっしゃいます。そうした方々から写真を提供してもらい、1冊にまとめたのが今回の『廃校遺産』です。さまざまな理由で閉校してしまった学校の歴史を追っています」(芝公園さん)

町が輝いていたころの
“過去の栄光”が廃校に宿る

 廃墟は時代や地域性を投影した存在だ。たとえば炭鉱街。人が集まり、商店ができ、町が広がり、産業が発展する。その後、自然資源の枯渇につれて“ヤマの灯”が消え、人が減り、そして…。

「炭鉱のように一財を成した町の学校には、ハッと息をのむほど美しいものが多く、いまなおしつらえや建築様式の素晴らしさが伝わってきます。華麗で調和がとれていた当時の佇まいと現在の姿とのギャップが、時代の変遷を物語っていて魅力的ですね」(芝公園さん)

小・中・高校のうち、廃校となるのが圧倒的に多いのは小学校。少子化の現実がここでも見える(出所:文部科学省)
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 文部科学省によれば、2011年度に廃校となった公立小・中・高校は全国で474校。2000年代に入ってからは、実に5200校以上が廃校に追い込まれている。

 少子高齢化の波が押し寄せるなか、ベビーブーム後に設立された多くの学校は、徐々に定員を割り込み、学生・生徒数が一定数を下回れば廃校に追い込まれる。加えて、地域経済を支えた産業の衰退、自治体の合併・再編の影響で消えていった学校も多い。

廃校を別の用途で
利用する動きもわずかにあるが…

2012年4月時点、建物が現存する廃校4222校のうち、利用予定がない学校は1000校。「地域等からの要望がない」「建物自体の老朽化」という理由が挙げられる。
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 ただ、学校としての役目を終えた後に、さまざまな用途で新たな役割を与えられている廃校もある。有名なところでは、吉本興業本社(東京都新宿区)、世田谷ものづくり学校(世田谷区)など、店舗や学習施設、美術館に形態を変えて存続している。

「子どもたちのかつての学び舎が、大人たちによって再利用されるのはとてもユニークですね。とはいえ保存やリニューアルをされる学校は全体の一部。耐震性や老朽化の問題で転用できずに廃校、そして解体される学校は多い。役目を終え、一線から身を引く学校の姿を、人々の記憶と写真に焼き付けられればと思っています」(芝公園さん)

 廃墟とは過去の遺物であり、私たちが暮らす社会の未来像でもある。大量生産・大量消費社会が行き着く象徴として、人は無意識のうちに廃墟に教えを乞うているのかもしれない。

(筒井健二/5時から作家塾(R)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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