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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第428回

業界に痕跡を残して消えたメーカー ライバル同士の合併で崩壊したStardent Computers

2017年10月09日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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Ardentに非常によく似た会社
Stellar Computer

 さて、ここで2社目のプレイヤーをご紹介する。連載425回に出てきたJohn William Poduska Sr.博士が、Apollo Computer Inc.の後に興したStellar Computerである。

 こちらも創業は1985年と、Ardentと同時期である。創業場所は、Apolloと同じくマサチューセッツ州。そしてまた、こちらが開発していたマシンも非常によく似た構成であった。

 GS1000と名づけられた最初の製品は、4つのMSP(Multi-Stream Processor)とVFP(Vector/Floating Point Processor)を搭載。MSPそのものはMIPSのR3000(20MIPSとあるので、25MHz駆動だったと思われる)だが、VFPはピーク性能で40MIPS、実効性能で32~34MIPSとされた。

 StellarはこのVFPを含めて全部で61個ものASICをGS1000のために製造しており、トータルで200万ゲートに達したとする。ほとんどはCMOSで製造されたが、ビデオ周りに関してはCMOSやTTLでは速度が追いつかないということで、ECLが使われたそうだ。

 このGS1000のASICの製造はLSI Logicが行ない、全ASICのプロトタイプをStellarが受け取ったのは1987年末(本当に12月31日だったらしい)、そしてGS1000のプロトタイプでUNIXが起動し、TCP/IPネットワークの上でNFSが動いたのが1998年1月8日だそうで、ほぼTitanと同時期ということになる。

農機メーカーのクボタが
Ardentに投資

 話をArdentに戻す。1986年頃から同社はベンチャーキャピタル廻りを行なってさらなる資金調達に努めたが、ここで同社の前に出現したのが3社目のプレイヤーであるクボタである。

 農機や水環境事業で知られるクボタは当時主力事業が伸び悩んでおり、成長分野に投資することで新たな事業の柱を立てようと画策する。

 どういう経緯でクボタがArdentを選んで投資をしたのかは定かではないが、クボタは1986年7月にArdentに1900万ドルを投資し、株式の22%を取得した。この後も追加で投資があり、Ardentに対してトータルで5000万ドル投資、44%の株式を取得するに至る。

 1987年10月にはMIPS Computerにも2500万ドルを投資、株式の18%を取得した。これに加えてクボタは山梨にArdent用の生産設備も設けている。ただこの頃になると、StellaのGS1000がもっと安価かつ競争力がありそうだ、という話はArdentにも伝わってきた。

 最終的にTitanは1988年2月に完成するが、この前にBaby TitanことStilettoの開発を開始している。こちらはメインプロセッサーをR3000+R3010にするとともに、ベクトルユニットをインテルのi860×4に置き換えたものだ。

 問題は、競合がStellaだけではなかったことだ。Silicon GraphicsやSunも同じ市場に殴り込みをかけてきた。特にSilicon Graphicsは思いっきり競合している部分もあり、これとどう戦うかを考えなければいけなかった。

 この結果が、StellarとArdentの合併である。この合併、Cleve Moler氏(現MathworksのChief Mathematician:当時はArdentでGordon Bell氏の下でシステムの開発に携わっていた)の言葉を借りると“Shotgun Marriage”である。

 本来は「できちゃった婚」(妊娠した娘の親が、彼氏に散弾銃を突きつけて「結婚しろ」と強制した)の意味であるが、この場合は親ではなく2つの会社に投資したベンチャーキャピタルとクボタが、赤ん坊ではなくその投資を保護するために、両社を無理やり合併させた形だ。

 新しい競合が続々登場する中で、似たような製品を2社で争っていると共倒れになる。であれば、合併させれば存続の可能性が高まる、といういかにも銀行家の論理である。合併そのものは対等合併という、これまた遺恨を残しそうなものである。

合併で会社を強くするはずが
内部で開発陣が対立して崩壊

 新会社は、両社の名前をつなぎ合わせてStardent Computersとなり、CEOにはStellarのPoduska氏が、Chief ScientistにはArdentのBell氏がそれぞれ就いた。ただそもそも東海岸(Stellar)と西海岸(Ardent)では文化が異なるから、そうでなくても難しい企業統合に拍車がかかった形だ。

 おまけに、次期製品の開発をめぐって、旧Ardentと旧Stellarの開発陣は見事に対立した。Stellarでは両社の従来製品のプロモーションや開発製造を中断し、新しい製品に注力するというところまでは合意した。

 ただその新製品のアーキテクチャーは、MIPSベースを主張する旧Stellarと、インテルベースへの移行を主張する旧Ardentで完全に対立する。当時大株主であったクボタがすでにMIPS Computerに少なからぬ投資をしていたこともあり、次期製品もMIPSベースという旧Stellar派の勢力が強くなっていった。

 この状況に嫌気がさした旧Ardentの従業員はStardentから大挙離脱してしまう。おまけに1990年、Stardentは本社をマサチューセッツに移すと発表。これを受けてStellarの取締役会の共同議長に留任していたMichels氏とSanders氏は、クボタを相手取り2500万ドルの損害賠償を請求する。

 理由は、クボタがその財力を使い、Ardentのエンジニアと技術を不正に移転させることで旧Ardentの資産を毀損した、というものだ。これが大きく評判になることを恐れたStardentとクボタは和解を提案、2人はStardentの取締役会から離脱する代わりに、2人の保有する株式をクボタが6000万ドルで買収することで決着がついた。

 ただこうなると、旧Ardentの従業員の流出は止められない。この本社移転の直前に、旧Ardentが開発していたStilettoは完成直前であったが、残りの開発を旧Stellarの開発陣ではまかなえないことが発覚。あわててCometというスピンオフ会社を西海岸に設立し、ここでStilettoの開発を継続させようとしたものの、旧Ardentの従業員は誰も参加せず、幻に終わる。

 仕方なくクボタは、KPC(Kubota Pacific Computer)という拠点を新たに設立したが、旧Ardentの資産はStardentが保有していたため、KPCが実際に開発に入れるのはもう少し後になる。

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