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こうして僕は作曲家になった、DTMと景山将太の出会い

2017年10月09日 09時00分更新

文● 編集● 貝塚/ASCII.jp

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学生時代からCDを自主制作していた

夢中で自主制作音源を作った青春時代

ーー音楽に触れたのは、いつがはじめですか?

「幼稚園のときに、先生がピアノを弾いているのを横でじっと見ていたらしいんですよ。それで、幼稚園の先生が『ピアノに興味があるみたいですよ』と親に報告したみたいで。

 『ピアノ弾きたいの?』って親が僕にきいたんですね。4歳のとき。それで『ピアノを弾きたい』って、そういう風に言いました。いや、言ったそうです(笑)。

 それから、小学生の頃は、楽譜をアレンジして弾くのが好きでした。譜面通りに弾くより、『譜面をアレンジすること』が楽しかったんです。その頃から『作りたい』の方向に興味が傾倒していたと思いますね。小学校4年生くらいでしたかね。譜面書いて、音楽室にある楽器で友達と一緒に合奏したりとか」

ーー小学校4年生で作曲ですか!

「そう、初めて作曲したのは小学校4年生のとき。中学になってからは、はじめてCDを作ったんですよ。その時代は、いまみたいにCDドライブが付いているPCはありませんでしたから、自宅でCDを簡単に焼くわけにはいかなかった。だから、CDを制作してくれる業者があったんですよ。1枚何千円とかかけたんじゃないかな(笑)。これがまた笑えるんですけど、僕は、松江城をバックにして撮った写真をジャケ写にしていたんですね(笑)」

ーー面影があまりないですね(笑)

「(笑)。このCDは、打ち込み……打ち込みというより、伴奏機能をうまく駆使して作った曲と、ピアノソロ曲を組み合わせた作品でした。で、そのあと中学3年生の時に、DTMとの運命の出会いを果たすんですよ」

ーーDTMとの出会いも早いですね。

「選択音楽の授業のときに、PCに強い数学の先生が、MIDIの仕組みを、みんなに見せてくれたんですね。

 すごく衝撃を受けたんですよ。目の前で、MIDIで組んだオーケストラが鳴っていることに。それで『すごい、こんなのがひとりで作れるんだ!』『これを一生の仕事にしたい。DTMを絶対極めたい』って思ったんですね。高校に入ってからは『マルチメディア部』という、PCを使ってゲーム、Web、CGやプログラミングなどいろいろととクリエイティブな制作ができるクラブに入って、DTMを触っていましたね」

実はずっとヤマハユーザー

ーーちなみにどんな環境でしたか?

「プライベートではじめて買ったシーケンサーがヤマハの『XGworks』ってやつ。そのあと『XGworks V3.0』にして、そのあとが『SOL』でしょ。

 次に、スタインバーグ時代の『Cubase』にいってるんですよ。なので、Cubaseの関係した連載だから媚を売るわけじゃないけど、気がつけばずっと制作環境はヤマハなんですよね」

作曲に使っているデスクトップマシン

ーーCubaseは気に入っていますか。

「当時オーディオ編集にも強くて、MIDIの編集もできて、UIも使いやすくてわかりやすいっていうと、Cubaseという印象がありました。今日まで幾度のバージョンアップを重ねて、より使い勝手も向上していて。やっぱり安心して使えますね。人にDAWソフトを勧めるときも、まずCubaseを勧めていますね」

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