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元・日銀マンがフィンテック企業に転身、安定人生を捨てた理由 神田潤一(マネーフォワード渉外・事業開発責任者)特別インタビュー

2017年09月19日 06時00分更新

文● 週刊ダイヤモンド編集部(ダイヤモンド・オンライン

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かんだ・じゅんいち/1994年、東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行し、金融機構局で銀行の考査などを担当。2015年8月から17年7月まで金融庁に出向し、フィンテック関連の政策を担当。17年9月より現職。 Photo by Takahisa Suzuki

9月1日、ある人事に金融業界は騒然とした。直近は出向先の金融庁で、金融とテクノロジーの融合である「フィンテック」の関連政策を担当した名物官僚が、23年間在籍した日本銀行を退職。フィンテック企業に移籍を果たしたのだ。本人にその異例の転身の真意を聞いた。(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木崇久)

──官僚という政策の世界から、有力フィンテックベンチャーであるマネーフォワードというビジネスの世界へと異例の転身。その決断に至った経緯を教えてください。

 この2年、日本銀行から金融庁に出向して、黎明期のフィンテック業界の推進に携わってきました。その間、多くの人の尽力でフィンテック業界が盛り上がり、その発展の後押しとなる銀行法改正が2年連続で決まった。しかし、いよいよ今からビジネスが花開くという大事な時期で出向期間が終わり、日銀に戻ることになりました。

 そのときは日銀で普通に仕事をすると思っていました。ただ、このタイミングで離れてしまうことに寂しさもあった。そんな思いをフィンテック業界でお世話になった人たちに打ち明けると、「戻ってきて一緒にやりましょう」という話を幾つか頂きました。

 これはもしかしたら、フィンテックの世界に戻れるかもしれない。そこで初めて日銀を辞めるという選択肢が出てきました。それからは、激変の時代において、この大事で面白い時期を1日も逃したくないという思いが強くなった。

──数あるフィンテック企業の中で、マネーフォワードを転職先に選んだ理由は何だったのですか。

 民間企業でありながら、業界全体を盛り上げていく仕事ができる会社を探していました。

 その点、マネーフォワードは個人向けの家計簿・個人資産管理アプリでも、法人向けのクラウド会計ソフトでも実績がある。さらに、(マネーフォワードの創業者で社長の)辻(庸介)さんと話をする中で、もっと新しいビジネスもやりたいという話を伺いました。

 その辻さんの人柄も理由の一つです。自分たちも日本のフィンテックもまだまだこんなものじゃない。もっと金融サービスを便利にしたい。業界でトップを走るような会社なのに、そうしたハングリー精神を失わず、ベンチャーとしてチャレンジしていきたいという辻さんの熱さに心が動きました。

──金融庁への出向でフィンテックと出会ったそうですが、そこで人生が変わったのでしょうか。

 そうですね。フィンテック関連の勉強や仕事をする中で、金融が大きく変わる局面に立ち会える、そこで自分が主体的に働き掛けられると思いました。金融も自分の人生も変わるかもしれない。そう気合を入れたのは確かです。

 金融庁に出向して携帯電話をiPhoneに変えたときに、その思いを数字に込めたパスコードを設定したんです。ホーム画面のロックを解除するたびに初心に帰って、日本の金融を変えるんだという思いを持ち続けてきました。

──東京大学卒・日銀という神田さんのようなキャリアの方は、一般的に保守的なイメージが強いですが、今回の転職は大胆でした。

「ここでチャレンジしないと後悔する」という場面ではリスクを取ってきたように思います。

 大学時代に陸上競技の長距離走をやっていたのですが、東大って箱根駅伝の本大会に1度だけ出場したことがあるんです(1984年第60回大会)。そして、私の代では「10年ぶり、2度目の出場を果たす」というスローガンを掲げて練習を重ねてきました。

 ただ、実は東大初出場の10年後に当たるのは、本来であれば私が卒業した翌年に開催される大会でした。それでも、私は当時チームのエースでキャプテンだったこともあって、大学を留年して箱根駅伝出場にチャレンジしました。

東京大学にとって「10年ぶり、2度目」となる箱根駅伝の本大会出場にチャレンジするために、大学を留年したという Photo by Takahisa Suzuki

 結果は、チームの成績は伸びたものの、予選突破はかないませんでした。しかし、この挑戦は自分の人生に大きな影響を与えました。

 転職のときも、「今決断しないとずっと後悔する」という予感があって、大学の留年を決めたときとすごく似ていました。

 転職では悩みましたし、家族の反対もありました。何かを変えるには勇気が要るし、失敗のリスクも当然ある。日銀に23年勤めて、このままいけば安泰で85~90点という人生が固まりつつありました。それでも十分合格点だったかもしれません。ただ、お金や安定のためではなく、やるべきことに突き進むフィンテック業界の人を見ているうちに、自分も熱い思いを持ってチャレンジして、120点を目指したいと思ったんです。

──ご家族の説得は大変でしたか。

 大変でした。熱い気持ちを語る私と冷静な妻では、「安定を捨ててリスクを取る」という決断に対して議論がかみ合わない。

 最終的にお互い冷静になろうと、転職に対する私の考えを紙にまとめることになり、2日ほど徹夜して16ページくらいのレポートを書いて、妻にメールで送りました。そこで私の気持ちが変わらないと悟ったのか、妻も仕方がないと諦めてくれました。

──最後に、今後マネーフォワードでやるべき仕事の優先順位について教えてください。

 転職を決めた後に知ったのですが、マネーフォワードが(東京証券取引所マザーズに)上場するというタイミングでの入社となりました(9月29日上場予定)。上場で調達した資金をどこに振り向けるか。投資家やユーザーに訴求するためにも、このタイミングだからできることを考えたいです。

 (米国の)シリコンバレーでは、面白そうな分野にさまざまな業界の人材が流れ込むという事例を見てきました。日本では今までそうした事例は少なかったかもしれませんが、フィンテックのような成長分野に異業種の人材が流入して市場を拡大していけば、日本全体の経済や金融の活力になると思います。

 だから、私のような転身が続いてほしいし、そのためにも私は成功しなければいけません(笑)。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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