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アベノミクスで完全雇用なのに賃金が伸びない理由

2017年09月06日 06時00分更新

文● 森田京平(ダイヤモンド・オンライン

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写真:首相官邸HPより

 しばしばアベノミクスについては、雇用を改善させたことが成果とされてきた。本当にそうだろうか。確かに一部の業種では人手不足が問題になり、雇用統計は完全雇用に近いが、賃金は伸びていない。まずはアベノミクス下の労働市場で何が起きているかを見極めることが重要だ。その際の焦点は労働生産性である。労働生産性が上がれば、企業にとって賃金を上げやすくなるからだ。

労働生産性の伸びを伴わない
雇用増では賃金は伸びない

 雇用増と賃金の伸びの関係はどうなっているのかを見てみよう。

 企業にとって、賃金を上げることがメリットと認識されれば、放っておいても賃金は上がるはずだ。ところが賃金の上昇ペースは鈍い。実際、失業率(ここでは構造的な失業を除いた循環的失業を用いる)の水準に対応する賃金の上昇率はアベノミクスの前と比べると、後の方が明らかに低い(図表1参照)。

◆図表1:下方シフトした賃金版フィリップス曲線

 なぜならば、労働生産性を念頭に置いたとき、雇用の増え方には2通りあることにを留意する必要があるからだ(図表2参照)。

◆図表2:雇用の増え方には2通りある

 1つ目が、経済成長あるいは景気回復を背景とする雇用の増加である。

 この場合は、実質GDP(国民総生産)、つまり経済活動で生み出される付加価値自体が増える中での雇用増であるため、労働生産性の改善を伴いやすい。

 2つ目が、経済の軸が労働集約的な産業(例えば非製造業)に移る場合だ。

 この場合は、一定のGDPを創出する上で必要となる労働量が増えるため、GDPが増えていなくても雇用は増える。ただし、GDPの伸びを伴わないため、一定の雇用量が生み出すGDP、すなわち労働生産性は伸びない。

 結局、雇用の増え方には、(1)経済成長を背景とする雇用の増加(=労働生産性の改善を伴いやすい雇用の増加)、(2)労働集約的な産業へのシフトを背景とする雇用の増加(=労働生産性の改善を伴いにくい雇用の増加)、という2通りがある。

アベノミクス下で伸び悩む労働生産性
雇用が増えたのは労働集約型産業

 このように整理した時、アベノミクス下の雇用の増加はどちらのタイプだろうか。

 労働生産性を就業者1人当たりの実質GDPと定義すると、アベノミクスが始まった2012年末以降、労働生産性の伸びがピタリと止まっていることが分かる(図表3参照)。

◆図表3:アベノミクス下で伸び悩む労働生産性

 ここから、アベノミクス下の雇用の増加が2つ目のタイプ、つまり産業構造の軸が非製造業など労働集約的な産業に移ったことを背景とする、労働生産性の改善を伴いにくい雇用の増加だと、分析できる。

 経済成長を裏付けとする第1のタイプとは異なるわけだ。

 これほどまでに労働生産性の伸びが欠けている中では、企業にとってベースアップという形で固定費を増やすことのハードルは依然、高いということだろう。これが雇用と賃金の関係、つまり「賃金版フィリップス曲線」(前出図表1)の形状や切片(y軸切片)の位置を変えたと考えられる。

 アベノミクス下での雇用の増加が、非製造業という労働集約的な産業への軸足のシフトを背景としたものだとすれば、そもそも賃金の伸びを失業率の改善などをもとに考えること自体に疑問が生じる。

 なぜならば、非製造業の雇用形態は実に多様であり、「就業」(employment)と「失業」(unemployment:就業を希望しながらも就業できていない状態)という単純な二分法では、賃金の増勢を推し量ることはできなくなるからだ。

 雇用の軸が非製造業に移り、就業形態が多様化する中では、むしろ就業と失業の間にある「不完全雇用」(underemployment:正社員を希望しながらもパートでの就業を余儀なくされるなど、希望する形での就業に至っていない状態)が賃金の趨勢を見極める上でも重要性を増す。

宿泊・飲食サービス業で働く人は
400万人か、480万人か?

 就業形態の多様化が顕著に進んでいる業種の一例として、「宿泊・飲食サービス業」に注目してみよう。

 業種ごとの就業者数を捉える際、総務省『労働力調査』あるいは厚労省『毎月勤労統計』がしばしば参照される。

 そこで、これら2つの統計を用いて宿泊・飲食サービス業の就業者数を捉えると、実に不思議な現象が浮かび上がる。

 総務省『労働力調査』によると、2010年頃に400万人弱であった宿泊・飲食サービス業の就業者数は、足元でもほぼ同水準にとどまっている(図表4参照)。

◆図表4:宿泊・飲食サービス業で働く人は400万人か、480万人か?

 ところが、厚労省『毎月勤労統計』によると、宿泊・飲食サービス業の就業者数(常用労働者数)は、2010年は約370万人と労働力調査に近い水準だったが、足元では480万人と、労働力調査(400万人)よりも20%も多くなっている。

 これは何を意味するのだろうか。

 ポイントは、『労働力調査』が家計(働く側)の調査であるのに対して、『毎月勤労統計』は事業所(雇う側)の調査だということにある。

 例えば、Aさんは、午前中はレストランBで働き、午後はホテルCで働いているとしよう 。このとき、家計(働く側)を対象とする労働力調査では、あくまで宿泊・飲食サービス業で働いている人としてはAさん1人が計上される。ところが事業所(雇う側)を対象とする毎月勤労統計では、レストランBで1人、ホテルCで1人、合わせて2人が宿泊・飲食サービス業で働いていると計上される。

 その結果、同じ宿泊・飲食サービス業の就業者でも、労働力調査では1人、毎月勤労統計では2人として表れる。これが前出図表4に見る両統計の大幅な乖離の主因だ。

 ただし、これは単なる統計上の問題ではない。それは、いわゆる「プチ勤務」などに代表される雇用形態の多様化を如実に映し出す経済現象そのものだからだ。

「就業」と失業」の二分法は単純すぎる
賃金の鍵を握る「不完全雇用」の動向

 宿泊・飲食サービス業など非製造業では、このように雇用形態が多様化しており、就業か失業かという単純な二分法では賃金の趨勢を捉えられない。

 これは、労働市場において非製造業の存在感が高まっている中では、従来の失業率と賃金の関係を表した「賃金版フィリップス曲線」では、十分な分析ができないということと同義である。

 今後は、賃金の趨勢を見定める上で、就業と失業の間に位置する「不完全雇用」水準や実態により注目する必要がある。

(クレディ・アグリコル証券チーフエコノミスト 森田京平)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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