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まつもとあつしの「メディア維新を行く」 第58回

「セルルックCG+手描き=ハイブリッドアニメ」の可能性

『正解するカド』野口Pが探ったCGアニメの「正解」とは?

2017年06月24日 17時00分更新

文● まつもとあつし 編集●村山剛史

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―― CGだからといって特別扱いはしない?

野口 その上で「通常のテレビシリーズと同じように回るラインが組めるように」と言うのが第2命題でした。

 『正解するカド』は最初、背景以外はすべてフルCGで制作する予定でしたが、制作部と検討したところ予算内に収まりませんでした。そこで選んだのが手描きとのハイブリッド。フルCGよりもコストを軽減できるはずだ、と。

―― “主要なキャラクターはCG、サブキャラは手描き”という選択も、従来よく見られる方法とは逆ですね。この点もユニークです。

野口 普通は逆ですよね(笑) おそらく世界で初めてではないでしょうか。これだけCGと作画キャラが複雑に絡み合うというのもこれまで例がないと思います。サブとはいえ、群衆のようなモブキャラではなく、CGで描く主要キャラとカットの中で、一緒に芝居をするのですから。

CGと手描きのハイブリッドでは、これまでと異なる制作工程が求められた

 ハイブリッドになると、CGで流すラインと作画で流すラインがまったく異なります。

 ワークフローが分断され、ブック(レイヤーでの手前・奥といった指定)も異なってきます。CGと作画がハイブリッドであるために、そのレイヤー構造は複雑になります。さらに、何か――例えばワムを手渡しする、というシーンではそれをCGで描くのか、手描きで行くのかで、工程がまた変わってくるわけです。1話でパスポートを手渡しするシーンはその取っ掛かりで、現場はとても混乱しました。

野口氏が例に挙げた、パスポートを手渡しする場面(PVより)。© TOEI ANIMATION,KINOSHITA GROUP,TOEI

 手描きキャラ(空港のグランドスタッフ)がパスポートを渡す、CGキャラ(真道幸路朗)がパスポートを受け取る。では手描きとCG、どちらがパスポートの作画を担当するのか? 結果的にはパスポートはCGで描く方向でまとまりましたが、こういった混乱はなくしていかないといけない、ということがPVを制作していくなかでも見えてきました。

 第1話では僕もその状況を見ていて、「これは大変だから、こうしよう」という意思決定の打ち合わせに加わっています。3話目くらいからは演出家も差配が分かってきて、自発的に描き分け始めました。シリーズディレクターの渡辺正樹さんもCGアニメは初めてということもあり、第2話まではCGと手描きの棲み分けについては、CG作品への参加経験の豊富なりょーちもさんと一緒に時間を掛けつつ試行錯誤の連続でしたね。

 現在では、シリーズディレクターの渡辺さんと、CGディレクターのカトウヤスヒロさんとの間で、CGと手描きの割合を判断しています。

―― 先日の放送(7話)で主要キャラが浴衣を着て現われるお祭りのシーンは、ほぼ手描きでしたね。

野口 そうですね。第0話もガジェットがないほぼドラマだけの話なのですべて作画です。7話は浴衣がCGでは描けないからです。とはいえ、ザシュニナの最初の登場シーンの顔はCGです。顔だけをCGにしたり、逆に顔のクローズアップは手描きにしたり、ということも行なっています。

第7話の浴衣姿の場面。© TOEI ANIMATION,KINOSHITA GROUP,TOEI

―― 面白いことをやっているなあ、と初見ではそこが気になって話が頭に入ってこなかったです(笑)

野口 (笑) 顔だけ手描きというのはある程度狙ってやっています。CGで身体を作り、表情は微妙な芝居をするので、そこは手描きでというシーンは結構ありますね。

 一方で、手描きが怖いのは、そのカットがキャラ崩れしていると判明したときです。作画監督が修正して、もう一度リテイクするか、それともCGではめ変えるかの二択があるので。場合によってはCGでということもカドでは起こっていますが、これはアニメ業界のこれまでのルールから言えばあまりよろしくない、ということになります。

―― 『SHIROBAKO』でも描かれていた、対立にもつながってしまいます。

「ハイブリッドで制作する際のルールを新たに決めたい」と野口Pは語る

野口 そうなんですよ。こういったケースは少ないのですが、監督やプロデューサー判断で『ここはCGでやって欲しい』という場合もあります。

 僕はCG出身なので、手描きアニメの作り方のルールを実体験としては知りません。だから、結構地雷を踏んでいるのです。「これってこうならないの?」「シナリオのときにこう思っていたのだけれど」と言い出して、「今さら、それを言うの!?」ってびっくりされています。

 アニメのこれまでの作り方では、シナリオがあり、コンテの決定稿が決まれば、その後の修正は難しくて、そのまま流れていってしまうものなのです。また、作画監督、美術監督、撮影監督それぞれに決定権があるので彼らと同じ立ち位置に立てていないのです。これを守ることがクオリティとスケジュールの担保であり予算が成立しているように感じました。

 脈々と培われてきた手描きアニメのルールというものはあります。だから、それはそれで守りつつも、新しいやり方を作っていかなければ、と思っています。そこで、「CGアニメーションありきの作画=ハイブリッドのルール化を考えませんか?」とあちこちで話をしています。例えばCG制作では行なうのですが、絵コンテの後にプレビズ(アニマティクス)を入れ議論するようなこととかです。

 CG制作と比べて、手描きアニメの世界はワークフローが確立していると思うのです。アメリカでCGクリエイターとして現場にいた経験からすると、モノを作るときには様々な議論をするのです。職位にかかわらず、誰もがそこに自由に参加する。もちろん最終的にまとめるのは決定権のあるディレクターたちですが、誰もが参加できる議論がその過程にあることはクリエイティブにも大きな影響を与えていると思います。

 こういった「議論をしながらモノを作る」に対して、日本では「作家主義」が根強いと思います。

 作家主義そのものは良いとは思います。ただ、そうではないプロデューサー主導の作品もあると思っています。モノ=プロダクトを作るというアプローチを取ろうというときには、多角的に議論しながら、「こういうやり方もあるんじゃないか?」といった進め方があるべきではないかと。

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