このページの本文へ

四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第156回

QUEENブライアン・メイのギターを日本人製作家が作るまで

2016年10月29日 12時00分更新

文● 四本淑三

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

レッド・スペシャルの秘密はこうして

―― そんな風にゼロから始めて、オフィシャル・シグネチャー・モデルを任されるまでにいたるというのは、かなりすごいですね。

伊集院 あれは運が良かったですね。工房立ち上げの2001年に、ブライアンのマネージメントにメールを送ったんです。レッド・スペシャルを作りたいから許可をくれと。そのときは「許可はあげられない。でも、ブライアン・メイの名前を使わないんだったら禁止はしない」という話で。それで試作を始めて、ようやく2本試作ができた頃に、グレッグ・フライヤーというオーストラリアのギター製作家に見せに行ったんです。

―― レッド・スペシャルを最初に修復した有名な方ですよね。

伊集院 彼もレッド・スペシャルのレプリカを作りたいと、ブライアンに手紙を書いたそうです。それで現物を見せてもらった。ものすごく細かい仕事をする人で、ネジひとつ外すのもブライアンの許可を得てやったそうです。それで信頼されたみたいですね。

Image from Amazon.co.jp
そのブライアン・メイとグレッグ・フライヤーのやり取りは「レッド・スペシャル・メカニズム」(ブライアン・メイ、サイモン・ブラッドリー 著/坂本信 訳 DU BOOKS刊)の76-79Pに写真付きで語られている

 その後、2年かけて「ジョン」「ポール」「ジョージ・バーンズ」と名前の付いたレプリカを3本を作った。そのうち2本はブライアンが所有していて、98年に出たソロアルバムの「アナザー・ワールド」はそれでレコーディングしている。自分のレッド・スペシャルを使わずにね。なぜかと言うと、その時期に、ブライアンからレッド・スペシャルのリペアを手伝って欲しいと言われて、グレッグ・フライヤーが修復しているんです。

―― オリジナルはドック入りしていたと。

伊集院 グレッグ・フライヤーはブライアンの家へ行って、2ヵ月か3ヵ月、泊まり込みでリペアしたそうです。そのときに、プロのギター製作家が初めてレッド・スペシャルを分解して計測し、構造を分析した。それで、いままでわからなかったことや、より正確なデータが出てきたわけです。

―― そのグレッグ・フライヤー氏に、試作を見せた反応はどうでしたか。

伊集院 まずレッド・スペシャルが作りたくて、ギターを作るようになったと言ったら「そんなヤツは初めて見た」と言われました。僕のギターも気に入ってくれて「将来、一緒にレッド・スペシャルを作ろう」と。そのときに、彼がブライアンに橋渡しをしてくれて、そこからずっとグレッグとはやり取りがあります。

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン