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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第369回

業界に痕跡を残して消えたメーカー フロッピーディスクを業界標準化したShugart Associates

2016年08月15日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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今度はFDDの開発に携わる
Alan Shugart氏

 さてHDDの話はこのあたりにしておこう。当然ながら競合メーカーが争ってHDDに手を出すようになるし、ディスクパックも互換メーカーの製品が出てきたりした。

 加えて、IBM自身ももう少し低価格かつ手ごろなリムーバブルメディアを欲していた。これはIBM 370のICPL(Initial Control Program Loader:ブートストラップローダーのこと)に利用するためのものである。これまではテープドライブを利用していたが、ドライブは大型で速度も遅かった。そこで、もう少し高速かつ安価なメディアが必要とされた。

 こうした状況を鑑みてか、IBMは1967年からフロッピードライブの開発を始める。この開発の指揮を取ったのもShugart氏であった。最終的にこれはIBM 3330と言うディスクシステム(DASD:Direct Access Storage Device)に内蔵される形で登場することになる。世界最初の8インチFDDである。

これはIBM 3330のプロトタイプであるIBM 23FDだそうである

 容量はわずかに80KBでしかなかったが、なにしろディスクパックやテープよりもはるかに廉価(当時の目標が1枚5ドル程度)だったから、これは十分許容された。

 ここでまた横道に逸れるが、フロッピーディスクというとドクター中松こと中松義郎氏の取得した特許の話が有名である。ただIBMはフロッピーディスク(特許での名称はMagnetic record disk cover)そのものはUS Patent 3668658、フロッピードライブはUS Patent 3678481としてそれぞれ特許を取得済で、中松義郎氏からいつかの特許のライセンスは受けているが、フロッピーディスクそのものではないとしている。

それぞれの特許の付属画像をまとめたもの。フロッピードライブはずいぶん縦長になっている

自身で立ち上げた会社が
5インチFDDを開発

 さて話を戻すと、Shugart氏はこのIBM 3330が完成に近づいた1969年にIBMを退社したわけだが、その次に行ったのがMemorexである。

 Memorexももうすでに存在しない(2006年にImation Corporationに買収された)のだが、古いユーザーはまだ記憶にあるかもしれない。

 アメリカ製のフロッピーディスクといえば、3MかMemorexと言う時代は確かに存在した。たしか、まだ筆者がFDだけ自分で買って、パソコンショップにPC-8001を使いに行ってた時代だから、1970年代末~1980年代初頭あたりではないかと思う。

 この時代はまだフロッピーというよりはストレージメーカーであり、実際Shugart氏はMemorexでEquipment Divisionの副社長として、IBM 2314やIBM 3330の互換製品であるMemorex 3660やMemorex 3670の開発に携わるという、自分のビジネスを繰り返す仕事に就いていた。

 これだけではなく、Memorex 650という世界初の読み書きが可能なフロッピードライブと、これに対応したフロッピーディスクを1972年に開発している。

 ただ、やはりIBMで作ってきた自分の製品の互換機を作る、というビジネスにはなにかしらの不満があったのだろうか? 1973年にベンチャーキャピタルから資金提供を受け、Shugart氏はMemorexを退社、自身の会社であるShugart Associatesを立ち上げる。

 そのShugart Associatesが1976年に発表し、1977年に発売開始した最初の製品が、SA400という5インチのミニフロッピードライブである。

SA400を上から見た図。制御基板にデバッグ用と思しきピンがまだ立っているのが不思議だ

底面。黄色い基板はモーター制御用と思われる

 ドライブの価格は1977年当時で425ドル、フロッピーディスクの価格は10枚で45ドルだった。容量は未フォーマット時に最大109.4KB、転送速度は125Kbit/秒となっている。

 ちなみにヘッド1つの、いわゆる1S(Single Head, Standard Density)のご先祖様と言って良い。このSA400は、ちょうど立ち上がり始めのマイコンブームとうまく噛み合うことになった。

 マイコンというのは、最初はそれこそMITSのAltair 8800だったりIMSAIのIMSAI 8080だったりするわけだが、これらのマシンを使うユーザーも、せっかく打ち込んだプログラムが電源を切るとパー、というのはさすがにやるせない。

 廉価な保存手段としてカセットレコーダー(*2)に記録という手段はあったが、遅いうえにエラーも多く、またランダムアクセスができないといった制約もあったので、もっと容易かつ高速に保存や読み出しできるフロッピードライブはたちまち人気になった。

 Apple ComputerがApple II用に1978年に投入したDisk II自身、SA400のカスタム版である。発売当初は毎日4000台が出荷されていたという数字もある。

アップルのDisk II。アップルの場合、Steve Wozniakが独自のカスタマイズを施した回路が搭載されている関係で、他のSA400に比べると容量が増えていた。この結果、ドライブのメカニカル部はSA400そのものながら、コントローラーはアップル独自のものだった

 同社はこれ以外に、IBM 3741/3742/3540といった型番の8インチフロッピードライブの互換品であるSA900/901/902や、その後継製品であるSA800/801といった製品も手がけていたが、こちらはあまり大きなビジネスにはならなかったようだ。

 なおSA400の寸法は、“Double Height”として業界標準になる。今の5インチベイ2つ分の寸法である。

 Shugart以外のメーカーもこの後大量にドライブをリリースすることになるが、ShugartがSA400で大きなシェアを取り、さまざまなメーカーがこれにあわせて筐体や製品を作った結果として業界標準化したという形だ。

 また1979年には、同社のドライブとホスト(マイコン側)のI/Fを“Shugart Associates System Interface”として公開する。いわゆるSASIである。こちらも業界標準として幅広く利用されることになった。

※お詫びと訂正:SA400が発売された年号に誤りがありました。記事を訂正してお詫びします。(2016年8月15日)

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