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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第19回

自慢消費は終わる、テクノロジーがもたらす「物欲なき世界」

2016年04月12日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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花粉症のように、徐々に物欲が消えた

高橋 菅付さんが最初に“物欲なき世界”への予兆というか萌芽を感じたのはいつ頃ですか? なにか「これは!」というような具体的なきっかけのようなものはあったんでしょうか?

菅付 僕だけでなく多くの人たちにとってもそうなんでしょうけど、徐々に顕在化してきたというのが正直なところではないでしょうか。たとえて言うなら花粉症みたいなもので(笑)、蓄積されてきたものが閾値を超えたというか、あたかもダムが決壊するようにここ数年で世界にあふれ出してきたというイメージですね。

Image from Amazon.co.jp
2008年に映画版が公開され話題を呼んだ「セックス・アンド・ザ・シティ」。もともとは1998年から2004年まで断続的に放映されたテレビドラマであり、ニューヨーク在住の30代独身女性たちが謳歌する20世紀的幸福をこれでもかとばかりに凝縮した作品

 強いて言えば、2008年のリーマンショックは大きかったと思います。あれをきっかけに価値観や幸福感をシフトしたアメリカの知識層は少なからず存在しますから。皮肉なことに2008年は『セックス・アンド・ザ・シティ』の映画版が公開された年でもあるんですが、リーマンショックを契機にあの作品の世界のような、派手で華美な“誇示的な消費”の時代が収束に向かっていったということは言えるかもしれません。

高橋 いまやあまりにラグジュアリーな人を見るとちょっと引いてしまうところがありますもんね。

菅付 主演女優であるサラ・ジェシカ・パーカー自身が、映画の直後に自分が演じた役のキャラクター性を否定するような発言をいろいろなメディアでしています。彼女もすっかりシンプル志向になっているようですよ。モノに自身の価値を投影する生き方を悔い改めたんですね。

インターネットが破壊力を見せたのは2000年代後半

高橋 僕の感覚で言うと、日本では1992年にインターネットの商用利用が始まって、これまでの世界とはまったく違う新しい世界が到来するというヴィジョンがまことしやかに語られたわけですけれども、1990年代の中盤から後半にかけてはインターネットが既存の産業をより便利にしただけのように見えた時期があったと思うんです。ネット経由でモノが買えるようになったり、飛行機のチケットが予約ができるようになったり……。

菅付 そうですね、初期の理念が後景に退いた時期はありましたよね。ハワード・ラインゴールドの『バーチャル・コミュニティ――コンピューター・ネットワークが創る新しい社会』(三田出版会刊)などで語られたような、エンパワーメントされた「個人」同士がバーチャル空間で繋がり合って、まったく新しいコミュニティーが出現するというようなヴィジョンですよね。

高橋 しかし、2000年代後半くらいからインターネットが本来持っていた圧倒的な破壊力のようなものがあらわになり始めて、既存の産業に携わっていた人たちからするとあたかも“飼い犬に手を噛まれた”というようなことが次々に起こってきた。インターネット黎明期のヴィジョンが現実のものになってしまったという……。

菅付 音楽業界なんかまさに“飼い犬に手を噛まれた”典型ですよね。ダウンロード販売などで販路が広がったと思って喜んでいたら、インターネットがもたらした「シェア」という新しいユーザーの行動原理に足元をすくわれてしまった。

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