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ITと東日本大震災、グーグルはいま何をしているか 第2回

震災前の日常風景と震災の爪痕、復興がデジタルアーカイブ化

Googleストリートビューが被災地を撮影し続ける理由

2016年03月11日 14時30分更新

文● 西田宗千佳 編集●飯島恵里子/ASCII.jp

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2013年03月03日に公開されたグーグルによる告知動画。福島県双葉郡浪江町内のストリートビューの撮影の様子が紹介されている

避難した人々に「町の今」を伝える

 被災地でのストリートビュー撮影の中でも、特に世界的に関心を呼んだのが、2013年3月28日に公開された、福島県双葉郡浪江町のものだ。浪江町は、福島第一原発の事故に伴う避難指示区域に指定されていた。当時はまだ足を踏み入れた人も少なく、状況が伝わっていなかった。

 「どこも壊れていないので、危険度はないんです。動物がいて危険、という話もありましたが、まったくそんなことはなかった。でも、町には誰もいない。誰も歩いていない。信号もついていない。コンビニの新聞立てにはあの日の新聞が刺さったまま。生活がされていないまま、2年間が止まっていたんです」

2013年9月に公開された福島県双葉郡双葉町のストリートビュー


 大倉は、当時の状況をそう説明する。まだ町としての機能がまったく戻っていなかったため、トイレも使えなければ食事をする場所もない。誰もいないので、なにかあっても助けてくれる人はいない。厚生労働省および浪江町が定めたガイドラインに従い、「車外には出ない」「2人で行動する」といった指針の下にストリートビューの撮影が進められた。ドライバーを担当したのは、現地でタクシードライバーを務めていた人々。事故の際、避難時のピストン輸送で被災地に入った経験があった人々が務めた。

 こうした活動は、浪江町を含め、現地の人々の強い後押しがあって進められたものだ。現地の本当の姿を知ってほしい、そうした思いが彼らにはあった。

 「世界に知ってほしい、ということもありますが、避難した人々に町の様子を知ってほしい、という意味もあったんです」

 撮影の背景を、大倉はそう話す。

 「5年経ち、例えば楢葉町は避難地域の指定を解除され、町役場の方たちは、町民の方が安心して戻ってこられるように情報発信に取り組んでおられます。その情報発信の一貫で、トレッカーパートナープログラムに楢葉町が参加され、Google もリクエストいただいた屋内施設などの撮影で協力しました。

 こども園や中学校、浄水場なども整備され、キレイになったということを見て欲しい、町がどこまできれいになって、住める状態に戻っているのか、そういうことを伝えたいと聞いています。実際に町はきれいに整ってきているようでしたが、まだ長い道のりだとおっしゃっていました。ありのままの姿を撮影してきていますので、ぜひ多くの方が見てくださって、そこから何かを感じてくださればうれしいです」


2016年3月1日に公開された「福島県楢葉町をストリートビューする。」。町民の方が自らストリートビュー用の撮影機材トレッカーを背負い、撮影したストリートビューを含む、福島県楢葉町の現在­を伝えるストリートビュー紹介動画


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