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明朝体は絶滅するのか? AXIS Font生みの親の挑戦

2015年03月24日 11時11分更新

文●小橋川誠己/Web Professional編集部

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「明朝体はこのままだとあと20年もすればこの世から消えてしまうかもしれない」。独立系フォントベンダーであるタイププロジェクト社長の鈴木功さんはそう語る。鈴木さんはタイプデザイナーであり、デザイン業界で評価の高いAXIS Fontの生みの親として知られる人物だ。

タイププロジェクトの鈴木功社長。アドビを経て2001年にタイププロジェクトを設立。AXIS Fontはほぼ一人で10年かけてデザインしたという

タイププロジェクトの鈴木功社長。アドビを経て2001年にタイププロジェクトを設立。AXIS Fontはほぼ一人で10年かけてデザインしたという

事実、明朝体を目にする機会は激減している。PCのWebブラウザーはもちろん、スマートフォン、タブレットといったデバイスの基本フォントはいずれもゴシック体。ニュースは新聞ではなくニュースサイトやアプリでチェックし、知りたいことは本ではなくググるかFacebookで尋ねる時代。紙媒体ですら、ゴシック体で堂々と本文を組む書籍が増えた。私自身、Web業界の経験が長い新人編集者に、明朝体で組まれた新刊のゲラを「なんか読みづらい」と言われてしまった経験がある。

「気持ちが悪い」から始まった、明朝体の居場所作り

6年前。鈴木さんには忘れられないエピソードがある。当時、小学校4年生だった長男に、明朝体で書かれた文字を「気持ちが悪い。変な感じがする」と言われたのだ。

「明朝体のデザインのルーツは、筆で描いた文字。年に1回、書き初めぐらいでしか筆に触れない彼にとっては、”うろこ”や”はらい”は見慣れないもの。それが気持ち悪いと感じたのでしょう」(鈴木さん)。

本来、ゴシック体にはゴシック体の、明朝体には明朝体ならではのよさがある。「ゴシック体は親しみやすく身近な印象だが、それではカジュアルすぎることがある。あらたまった場面、文字が持っている“情緒性”を表現するには明朝体が適している」と鈴木さんは語る。だが、多くの人が「気持ちが悪い」「読みづらい」と感じるようになれば、デザイナーが明朝体を選ぶことはなくなる。「読みづらいと感じるのも、結局“慣れ”の問題が大きい。目が慣れていない書体はどうしても読みづらく感じてしまう」(鈴木さん)。

「明朝体の居場所がない」。10年の歳月を費やしたAXIS Fontの開発がひと段落したこともあり、鈴木さんは2009年、新しいプロジェクトを始める決心をした。「長い歴史を持つ、日本語書体の柱」である明朝体のよさを次の世代へ伝え、この先も使い続けてもらうために、「時代に合った明朝体」を作るプロジェクトだ。

「ゴシック体のような明朝体」が目指したもの

鈴木さんが作った新しい明朝体は「TP明朝」という。開発開始から4年の歳月を経た2014年2月に発売、先ごろ1歳の誕生日を迎えた。

2014年2月に発売された「TP明朝」。ゴシック体のような明朝体を目指して作られた書体だ

目指したのは、「ゴシック体のような明朝体」。鈴木さんは、従来の明朝体のエッセンスを残しつつも、ゴシック体の目に慣れたデジタル世代が感じる 「違和感」を軽減することに腐心した。「うろこ」を小さくし、「てん」や「はらい」の抑揚を少なくすることで、「筆っぽさ」をできるだけ抑えた。これらは「明朝体らしさ」を構成する大きな要素であり、明朝体のよさでもある一方、見慣れない人間には違和感を与えてしまう。もっとも、排除しすぎると「らしさ」が失われるため、鈴木さんは何度もスケッチを重ねてバランスを探った。

試行錯誤した初期のスケッチ。「さすがにこれでは明朝体とは呼べない」とやり直すことも多かったという

試行錯誤した初期のスケッチ。「さすがにこれでは明朝体とは呼べない」とやり直すことも多かったという

TP明朝では、和文フォントでは初めて「コントラスト」と呼ばれる概念が導入されている。コントラストとは、横画(バー)の太さを表す概念。ゴシック体の場合はフォントの太さを「ウエイト」で表し、ウエイトが太くなると縦画(ステム)もバーも太くなる。一方、明朝体のウエイトはステムの太さを表し、一般的な明朝体ではウエイトを変えてもステムの太さしか変わらない。これに対して、TP明朝の「コントラスト」を利用すると、ステムの太さはそのままで、バーの太さを選べる。

コントラストによる違い。バー(横画)の太さが変化することで印象は大きく変わる

コントラストによる違い。バー(横画)の太さが変化することで印象は大きく変わる

コントラストの概念を持ち込むことで鈴木さんが実現したかったのが、明朝体の利用シーンを広げることだ。一般的な明朝体は、解像度が低い画面や小さな文字で使うと細いバーの部分がかすれてしまう。TP明朝では「ハイコントラスト」「ミドルコントラスト」「ローコントラスト」の3つのバリエーションを用意し、ターゲットとするデバイスの解像度や使用サイズによって、デザイナーが使い分けられるようにした。バーとステムの太さがゴシック体に近い「ローコントラスト」なら、小さな文字もつぶれにくく、明朝体が敬遠されていた用途で使いやすい。

一方、コントラストの違いは、同じ書体であってもまったく違った印象を生み出す。「エレガントな印象にしたいなら、バーが細いハイコントラスト。堅牢な印象を与えたいなら、バーが太いローコントラスト」といった具合に、デザイナーの好みによっても選べる。「(もっとも一般的なデザインである) ミドルコントラストが売れると思ったが、蓋を開けてみると個性的なハイコントラストが人気」(鈴木さん)という。

もっとも人気のある「ハイコントラスト」。バーがかなり細いデザインから洗練された印象を受ける

もっとも人気のある「ハイコントラスト」。バーがかなり細いデザインから洗練された印象を受ける

「素直に組んで読みやすく」横組みへのこだわり

「時代に合った明朝体」を実現するために、鈴木さんがもう1つこだわったのが、横組みでの利用を優先したデザインだ。従来の明朝体のほとんどは縦組みでの利用を前提にデザインされている。横組みで明朝体が使いにくい背景には、従来の明朝体が抱えるデザインの問題もあったという。

「縦組みでは、漢字に比べてかなが目立ってしまうため、ほとんどの明朝体はかなを小さめに作っている」(鈴木さん)。いわば縦組みに最適化された書体であり、横組みにするとかなと漢字の大きさが揃わず、ぱらぱらとした印象になる。

そこでTP明朝では、横組みでの読みやすさを優先してかなを大きめにデザインし、「字粒を揃えた」(鈴木さん)。鈴木さんは「高度な組版技術がなくても、素直に並べるだけで読みやすくなる書体にしたかった」と話す。

タイププロジェクトのサイトにあるインタビューページ。TP明朝で組まれている

「素直に使える」という面では、欧文書体のデザインにもこだわりがある。特に紙媒体のデザイナーは、欧文と和文とで異なるフォントを組み合わせた「合成フォント」を定義して使うことが多い。TP明朝では、統一されたフォルムの欧文フォント作りに力を注ぎ、「合成フォントなし」で使えることを目指したという。

和文に合ったフォルムの欧文デザインにもこだわった

「たとえば、aの文字の先端部分の細さ。ここまで細くなっている欧文書体はほとんどありません。僕たちは非英語圏の人間だから、どこまで文字を変形させていいのか、どきどきしながらも、欧文担当デザイナーと一緒に和文に合ったデザインにチャレンジした」と、鈴木さんとともに開発にあたったタイプデザイナーの両見英世さんは語る。

タイププロジェクトのタイプデザイナーの両見英世さん。元Webデザイナーであり、鈴木さんのスケッチを元にデジタルデータの作成や漢字のデザインなどを担当した

気持ちのいい空気を少しずつ広めたい

1周年を迎えたTP明朝はいま、デザイナーたちの間でじわりと広がりつつある。紙媒体ではジェットスター・ジャパンの機内誌で昨年から採用され、Web媒体では雑貨店のWebサイトやユーザーインターフェイスなど、まだ数は多くないが目にするようになった。

TP明朝を採用しているサイト。「すっきりとした、緊張感のある、背筋がぴんとするようなところで使われている」(両見さん)

TP明朝を採用しているサイト(制作:THROUGH)。「すっきりとした、緊張感のある、背筋がぴんとするようなところで使われている」(両見さん)

従来からのパッケージ販売に加え、Fonts.comでのWebフォントの提供も始まり、WebデザインでTP明朝を利用しやすい環境も整ってきた。とはいえ、モリサワパスポートのようなサブスクリプションモデルのフォントパッケージが普及している現状では、TP明朝をデザイナーが単体で導入するハードルは高い。

鈴木さんはまず、AXIS Fontを愛用しているWebデザイナーにTP明朝を使ってほしいという。「TP明朝はAXIS Fontと一番合う明朝体としても作っている。AXIS Fontを選んでいるデザイナーには特に満足してもらえると思う」(鈴木さん)。

明朝体を目にする機会が激減しているといっても、いますぐに消えるわけではない。「TP明朝はデジタル時代に合った新しい機能と美しさを込めて、時間をかけてていねいに作ったもの。誰もがすぐに飛びつくものではないかもしれないが、TP明朝が作り出す、気持ちのいい空気を少しずつ広めていければ」と鈴木さんは願っている。

タイププロジェクトのオフィス。都内の住宅地にある民家を改造したアットホームなオフィスで、日々新しいフォント開発が進められている

タイププロジェクトのオフィス。都内の住宅地にある民家を改造したアットホームなオフィスで、日々新しいフォント開発が進められている

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