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日本のITを変える「AWS侍」に聞く第10回

「AWSの顔」が見てきたクラウド、コミュニティ、イノベーションの可能性

玉川、AWSやめるってよ!走り続けた5年と卒業後を聞く

2015年02月02日 12時40分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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転機は訪れた!東京リージョン開設と東日本大震災の舞台裏

 ADSJにとっての転機は2011年に訪れた。まずは東京リージョンのオープン。「本日は、日本のIT業界にとっておそらく歴史的な一日となるに違いありません。私自身、この日をどれだけ待ち望んでいたでしょうか。」でスタートする東京データセンター開設を告げるブログは、玉川さんが熱い想いを込めて書いたもの。「お客様からは『日本にデータセンターがあれば……』と長らく言われていたので、本当にうれしかった。『クラウドだから上陸するわけないだろう』とか、はてブとかにも書かれてましたけど、今から考えれば、あそこがスタートだったんだなあと思います」(玉川さん)。

 もう1つの転機が東京リージョン開設直後に起こった東日本大震災だ。津波でサーバーが流されてしまったり、電車がまったく動かないといった異常事態が次々と発生。赤十字のサイトが見られないとか、寄付金サイトが立ち上がらないということも起こった。そこで、玉川さんは東京リージョンのイベントで数週間前に来日していたAWSのエグゼクティブにメールで直訴し、クラウドリソースを即時無償開放したという。「他のお客さんに迷惑をかけないこと、そしてこの話を絶対にマーケティングで使わないことを条件に、即座にOKが出ました。今回は時効なので、話しちゃいましたけど(笑)」(玉川さん)。

「クラウドリソースの即時無償開放をエグゼクティブに直訴しました」

 とはいえ、クラウドがあっても、サーバー移行はエンジニアがいなければ難しい。そこを補ったのが、まだまだ小さかったAWSインテグレーターたちだ。「サーバーワークスの大石さんやcloudpackの斎藤さん、後藤さんなどのコミュニティの人たちが、無償でサーバー移行を手伝ってくれた。毎晩、30~40人でテレカンで集まって、どこが困っているのかなどの情報収集をした」(玉川氏)。

 そして、このとき数時間でサーバーを稼働できるというクラウドの威力を体感したAWSインテグレーターは、後日AWSのプレミアムパートナーに名を連ねることになる。

JAWS-UGがなければAWSはなかった

 では、AWSのナカノヒトである玉川さんにとってJAWS-UGのようなコミュニティとはどんな存在か。これに対して、「そもそもコミュニティがなければ、AWSはここまでになっていない。コミュニティでつきあい始めた人とはお互いに人生を変えあっている気がするし、今後も一生つきあっていく」と玉川さんは断言する。

2011年に行なわれたJAWS Summit

 当初、大都市圏にとどまっていたJAWS-UGの活動だが、2011年頃には活動が地方にも波及し、各地で勉強会が繰り広げられた。「大石さん(サーバーワークス)や後藤さん(cloudpack)、竹下さん(CUPA)、得上さん(マイニングブラウニー)、堀内さん(gumi)など、みんな直接ビジネスに結びつくわけでもないのに、積極的に協力してくれた。いっしょの車に乗って、家族みたいなキャラバンでした」と振り返る。

「いっしょの車に乗って、家族みたいなキャラバンでした」

 人手も、お金もない状態だったので、長らくアイデアで勝負してきた。AWSに関する難関クイズを出す「AWSウルトラクイズ」や、本連載のコスチュームの元となっている「AWS Samurai」も、この時期に玉川さんが企画したものだ。

 これにとどまらず、エンタープライズ向けの「E-JAWS」しかり、クラウドの構成をテンプレート化した「CDP(Cloud Design Pattern)」しかり、アイデアはだいたいコミュニティメンバーや社内の呑み会で生まれたものだ。「本にもなったCDPも、もともとシアトルの日本料理屋でcloudpackの鈴木さんや片山さんと話していた時にできた。クラウドをわかりやすく説明するために箸袋に書いた手書きメモをWikiにしたのがきっかけ」(玉川さん)。日常的に思いついたアイデアを即座に実行し、ビジネスに役立てていく。今のAWSの競争力の源泉はまさにこうしたところにあるのだろう。

一騎当千のタレントが集まったAWSの布陣が固まる

 2012年、gumi出身の堀内さんをエバンジェリストに迎えたことで、玉川さんはエバンジェリスト業を退き、以降は長崎社長のもとでSA(ソリューションアーキテクト)マネージャーとして、SAチームの構築やパートナー支援体制の強化、トレーニングチームやプロフェッショナルサービスの立ち上げなどを進めてきた。エバンジェリストのイメージの強い玉川さんだが、AWSの適用領域がスタートアップ、中小企業、エンタープライズへと進む中、この2年間はADSJ内の組織体制強化を進めてきたわけだ。「ビジネスをスケールさせるために一番力を入れてきたのが人材登用と育成でした。Amazonの方針もあり、チームの平均より上の人をつねにリクルーティングするよう心がけた」と語る。

 この結果として、今のADSJの陣容は非常に強力なものになっている。玉川さんは「エバンジェリストもSAも積極的に外に出て行くことを推奨している。昔からあるようなマネジメントとは異なり、芸能事務所のようにみんなタレントで、いい出場機会を見つけてくるのが、AWSのマネージャーの仕事」と語る。アンチクラウド論者を押し返すような胆力を持つ一騎当千の猛者が社内には揃っていると、玉川さんが自負する。

玉川さんが一騎当千の猛者と謳うSA軍団(玉川さん提供)

 スタートアップへの浸透を図ったのも、2010年から。今となっては当たり前のようにAWSを使っているが、当時スタートアップ界隈ではAWSの知名度は皆無で、ホスティング事業者のサービスを使っていた。そこで玉川さんはベンチャーキャピタルのイベントに参加し続けたことで、徐々にAWSの割合が増えてきたのを目の当たりにする。「人生を賭けてテクノロジーで世界を変えようという人たちがいっぱいいたので、私自身も大きな刺激を受けました」(玉川さん)。

(次ページ、そして野望を抱いた1人のエンジニアに戻る玉川さん)


 

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