個人データの誘惑に抗うのは困難だ。
やってみる価値はあった。先日行われたバルセロナでのストラータ・カンファレンスにおいて、Hadoopの設立者ダグ・カッティングは新時代のビッグデータ倫理のための合意を取りつける場を設けた。
「この新しいデータ時代は、われわれにとってデータをどう用いるかが問われる時代でもあります」とカッティングは断言した。「今後10年に向けて、データの取り扱い方とその方針を定める時期に来ています」と。
カッティングはもちろん正しい。しかし彼は遅すぎたのもまた事実だ。Hadoopはオープンソースとして公開され、使用制限もなく、その命運は彼の手にはないのだ。
データプライバシーは最優先事項だが、われわれは別のことに必死なようだ。
政敵、共和党も監視
ビッグデータの悪用はなにも政府に限った話ではない。しかしデータの取り扱いに懸念を生じさせたのは合衆国政府である。データの利用(悪用)の広がりを背景として、今後10年のビッグデータの採用と利用に関して、透明性の原則と倫理を今こそ制定しなければならない、とカッティングはストラータ・カンファレンスの出席者に話した。
「SFの世界では、人々のデータを集めるのは悪人と決まっています」と彼は冗談交じりに言う。「私はそのような悪人の側にはなりたくないのです」。
データを悪用しようとする人間もいるだろう。しかし、ある人にとっては悪用でも、別の人から見れば適切な使用ともなる。そして、最高レベルのビッグデータ技術がオープンソースであれば、政府や民間企業がデータを集め、それを利用することを妨げるものは何もない。
あるQuoraのコメンテーターはこう言っている。「オープンソースはその名の通り開かれた情報源であり、何の目的でも、どのようにでも、皆が利用できるものです。モラルを求めるのは難しいでしょう」。
では何故、モラルが機能しないのか?実際のところ、NSA(アメリカ国家安全保障局)やCIAのような組織は、Hadoopを熱心に利用しているだけでなく、Hadoopやその他のビッグデータ技術の発展を積極的に援助しているのだ。事実、NSAは独自データツールの開発を試みたが、現在は、合衆国市民のデータ分析に関わる大規模処理の大半をHadoopに変更している。
NSA側からもHadoopに有益なフィードバックが寄せられている。もちろんそう言えないものもあるだろうが。データ監視の懸念をよそに、NSAとHadoopは政府の信頼を危険に晒していると言えるのだ。これに関して、グーグルの会長エリック・シュミットは「これではインターネットが破滅へと向かってしまいます」と語っている。
抵抗する人々
政府や大企業によるビッグデータを用いるスパイ行為を懸念し、消費者がそれに対して応戦する新しいオープンソース・プロジェクトが生まれた。例えばDetektだ。Detektはアムネスティ・インターナショナル、電子フロンティア財団、その他非営利組織によって誕生した。Detektは「世界中の人権擁護者やジャーナリストを標的とし監視していると認められた、商業的な監視スパイウェア」を明らかにすることを目的としている。
Worried your PC or smartphone is riddled with govt spyware? There’s an app for that! #Detekt launches today http://bit.ly/1yrGRGM #CAUSE
amnestypress (@amnestypress) Nov 20, 2014
amnestypress(@amnestypress):「PCやスマホが政府のスパイウェアだらけだと心配していますか?対策アプリがあります!」
これは正しい方向への第一歩ではあるが、Windowsのみに対応が限定されている。Windowsが合衆国のスパイ機関で使用されてきたことを考えると、何とも皮肉である。
他人事じゃない?
しかし、ビッグデータの不正利用に関して、合衆国政府、あるいはその他の政府機関のみを糾弾するのはフェアではない。政府機関ではなく、民間企業だけが競争相手と戦ったり、消費者を誘い込んだりするのにデータをふんだんに利用して利益を上げているのだ。
以前書いたように、息子がデータ収集に躍起なゲーム会社によって激しく攻撃されるのを私は見てきた。データ狂いのポルノ企業によって人生を台無しにされた友人もいる。
カッティングは新たな責任の時代を望んでいる。しかし、データを不正利用しようとすることへの誘惑は、企業や政府にとってほとんど抑えがたいものだということも確かだろう。唯一の解決策は、技術産業からではなく、データを悪用された一般人から生みだされるように思える。
しかし、データの悪用が起きてしまった場合には、GmailやFacebook(Hadoopによるサービスだ)のような無料サービスへの熱を冷ます必要がある。無料のストレージ、無料のソーシャルサービス、無料のあらゆるものとひきかえに、データをせっせと提供するよう求めるのがそういうサービスなのだ。エフゲニー・モロゾフはこれを「不穏な兆候です。われわれのカネではなく、個人情報がサービスへの対価として最重要な手段となっています。―そう遠くない内に、われわれの使うあらゆるモノの対価もそうなるでしょう」と語っている。
ビッグデータ倫理の新たな時代、企業と政府がプライバシーを尊重する時代を待ち望むことは結構なことだ。しかし、大量の無料サービスのために自分のデータを喜んで売りに出す消費者とそのビジョンを共有するのは難しいだろう。
トップ画像提供:takomabibelot
Matt Asay
[原文]
※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら