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デジタルノートを超えたその先にあるもの

清水CEO自らが語る、enchantMOONとは何だったのか?

2014年08月30日 12時00分更新

文● ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長 清水亮

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宇宙は全てデジタルなのかもしれない

 アナログとデジタルという問題を少し掘り下げてみましょう。

 例えば、アナログらしいものというとすぐイメージされるものに、生命があります。生命、つまり生き物は、とても有機的でアナログ的なものに見えます。しかし生命の根源は実際にはDNAの塩基配列というデジタル情報です。あいまいな部分がないわけです。それどころか二重螺旋になっていてエラー情報がないか検出できるわけです。人間の脳細胞も二進数で情報を処理しています。つまり、記憶はデジタル情報なのです。

 それでは生命ではなく、もっと自然物に近いものとして宇宙を考えてみます。宇宙を構成するものは何か。原子です。原子は原子核の周りを電子が回っていることは良く知られています。

 この電子ですが、時折、外界からの力が加わって回る軌道が変化します。しかしこの変化する軌道は、実は中間状態がない、不連続な変化をするんですね。ある軌道から別の軌道へと、まるでワープするかのように移動するのです。これを量子飛躍(クォンタムリープ)と呼びます。電子の軌道は連続して状態が移行していくのではなく、飛び飛びの状態をとるということは、離散的(デジタル)であるということを意味しています。

 さらに原子の性質そのものが原子核を構成する陽子と中性子の数だけで決まっている。これもデジタル情報です。たとえば原子核の重さが1のとき、それは水素ですが、6のとき、それは炭素です。70のとき、それは金になります。原子の性質を決定するのは、この数、つまり原子番号だけなのです。どうしましょう。よく考えるとアナログなものなど、宇宙のどこにもないのかもしれません。それでもそれは感覚に反している気がします。では他に連続していそうなものはないでしょうか?

 たとえば時間や空間はどうでしょう?

 時間は、これまでずっと、連続量(アナログ)であると考えられてきました。ニュートンの頃はもちろん、アインシュタインの時代になってもです。しかし、最近の有力な宇宙論のひとつであるループ量子重力理論では、宇宙はプランク秒(約10-43秒)という単位で離散的(デジタル)に変化します。ちょうど、Flashやenchant.jsのプログラムがenterframeというイベントを毎回処理するのと同じように、宇宙全体がプランク秒の単位で推移するのです。

 実は時間さえもデジタルなものなのかもしれません。

 さらにループ量子重力理論では、空間さえも、1立方プランク長(10-99cm3)という最小単位で、やはり離散的に変化します。つまり宇宙は分解していくとデジタルになるのです。つまり実際には自然物とは殆どデジタル情報でできているという仮説があるのです。そう考えると、一体全体、アナログとはどこから来た、どんな概念なのでしょうか?

アナログとは感性のことなのかもしれない

 私は最近、アナログとは人間の感性そのものなのではないかと考えるようになりました。どういうことかというと例えば、机の表面は人間にとって滑らかなものに感じるられるでしょう。しかし、実際には拡大してみれば細かな凹凸がある筈です。ただ、その細かい凹凸は人間にはとっては知覚できない情報なので、これを滑らかなものという連続した状態として人間は認識します。つまりアナログとは人間にとっての感じ方であり、一種の圧縮技術だと解釈することができるのではないでしょうか。たとえば画像圧縮の世界には、JPEGというやり方があります。

 JPEGは、内部で離散コサイン変換(DCT)という考え方を用いて情報を圧縮します。これは乱暴にいえば、もともとデジタルで存在するデータの連続性を見つけ出し、そのデータに含まれる連続性(アナログ性)を利用して圧縮する方法です。同じ原理は静止画のJPEGだけでなく、動画のMPEGや音声のMP3などにも応用されています。

 人間の感覚もこれと似ていて、本当はデジタルな情報として与えられたものであっても、その中から連続性を導きだし、連続した(アナログな)情報として処理したり記憶したりするほうがずっと簡単なのでそのような本能が最初から備わっているのではないか、と考えたのです。DNAの塩基配列にしろ、量子跳躍にしても人間が普段生きていたら、知覚できないほど細かすぎ、記憶するには膨大すぎる情報です。それらのうち99%の情報はアナログ量と仮定して圧縮して扱った方が効率的でしょう。

 人間はアナログで情報を受け取って、脳内でデジタル化して記憶する。そして、アナログで出力します。人が何かをしようと思考を巡らせるとき、記憶や欲求は、論理化されたものではなく、アナログに集約された漠然としたエッセンスのようなものとして意識の上にのぼってくるはずです。

 そう、つまりデジタル化された状態では人は思考をうまく進めることが難しいのです。そのために必ず創造的なことを考えるためには手書きなどのアナログ情報の支援が必要なのです。すると人間とは、アナログI/Oを持ったデジタルコンピュータだと考えることができるのではないかと思ったわけです。

 ドワンゴの川上会長は、私のツイートを見て、人間とはより正確にはアナログI/Oをもったアナログコンピュータなのではないかと言いました。たしかにアナログのまま記憶したり、アナログのまま考えたりすることがあるという意味ではアナログコンピュータと呼べるかもしれません。その記憶装置としてデジタル記憶がある、というのが正確なところかもしれません。つまりアナログとは人間性、もしくは知性そのものであり、デジタルとは知性を固定するための圧縮方法なのかもしれません。


(次ページ、「プログラミングとは何か?」に続く)

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