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遠藤諭の『デジタルの、これからを聞く』 第3回

電通大宮脇准教授に聞く、視覚に関する脳研究の最新事情

わたしたちの脳は、目にしたものをどのように認識しているのか

2014年06月19日 11時00分更新

文● 遠藤 諭/角川アスキー総合研究所

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「ハル・ベリー細胞」「ジェニファー・アニストン細胞」がある!?

遠藤 入ってきたばかりの視覚情報に対して、立体感とかいろんなものが加わるから、どんどん複雑化する、情報が加わっていくということですか?

宮脇 ご質問は、1個の神経細胞がどのくらいクリティカルかということでしたよね? 例えば、人間の脳に針を刺して調べた非常にレアな例があります。左の海馬後部という、記憶に関する脳細胞がある場所です。こんなところまで来ちゃうとどうなるかというと、ある1個の神経細胞が、ある1人の人間の顔、例えばハル・ベリーだけに対応しているんです※2

遠藤 おおーっ! 「ハル・ベリー細胞」というのは凄いですね。

神経細胞の例。右に伸びているのが軸索で、ここから他の細胞への信号を出力する。ハル・ベリーだけに対応する細胞は、彼女の写真や絵を見たとき、あるいは名前を見たときだけ、信号を出力することになる(Wikipedia「神経細胞」から引用)。


宮脇 以前から「おばあさん細胞仮説」というのがありましたが、この研究では女優のハル・ベリーだけに反応する脳細胞、写真であろうが絵であろうが、あるいは名前の文字であろうが、どんなハル・ベリーにも反応するんですが、それ以外には反応しないというものです。

遠藤 すごい情報効率の良さですね。

宮脇 ですから、この細胞が壊れるとまずいのかもしれません。

遠藤 壊れると、ハル・ベリーに会っても誰だか分からなくなるんですか?

宮脇 この細胞はハル・ベリーに選択性があるということなので、別の細胞で同じくハル・ベリーの選択性がないとまでは言えないのですが。

遠藤 なるほど。

宮脇 ただ、1個の細胞の選択性がすごくシャープで、これはハル・べリーが大好きな細胞。で、別の細胞にいくと、それはジェニファー・アニストンだけに反応する細胞、というふうになります。

遠藤 これはかなり高次な部分ですよね?

宮脇 ええ。複雑な物体画像の情報を記憶に変換している部分なのかもしれません。

遠藤 ここでは、パターンじゃなくて記号化されているわけだ。

宮脇 ですから「私のおばあちゃん」とか「私の恋人」というレベルの表現を、1個の神経細胞で獲得している可能性がありますね。

遠藤 1ビットで表現されていて、ハル・ベリーを見たら、そこの神経細胞の出力に1つ電気信号が走ると。

宮脇 そういうイメージで大体いいと思います。ただ、0か1かの2値ではないようです。

遠藤 脳細胞からパタパタっと出るパルスの数が、多いとか少ないとか、そういう感じでしょうか。

宮脇 ある程度アナログ的にコーティングされているのかもしれません。

遠藤 こういうことがわかってきたのは、いつ頃なんですか?

宮脇 2005年です。仮説自体は昔からあったんですけれど、人間で、実際に電極を刺して測っちゃったというところに、インパクトがありました。

遠藤 さらにコンピューター的にいうと、この1ビットはわかるんですけれども、コンピューターだったらチューリングマシン的に読んだり書いたり動きますよね。そのあたりはわかっているんですか?

宮脇 それはとても面白い視点でして、コンピューターと同じようにいけるという人もいます。例えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)に顔や物体の認識についてすごい成果を上げているチームがあるんですが、彼らは似たような処理ユニットをスタックしていくだけで何とかなるという言い方をしています※3。ディープラーニング(神経回路を参考に、階層的に機械学習を行うアルゴリズム)も、そういう哲学に則っていますね。

遠藤 というと?

宮脇 画像処理でも音声処理でも、テキストの処理とかでもいろいろ汎用性高く使えますが、とにかくスタックしていって階層を増せば、ある程度の認識性能のものができると。割と単純なフィルタリングやプーリングを組み合わせて、それらを階層化させるといけますよみたいな話はありますよね。

遠藤 でも記憶するには、脳細胞が場所をとるので面積が必要ですよね。そこを、チューリングマシンでいえばヘッドが移動していくようなメカニズムまでは、まだわかっていないという感じなのでしょうか。

宮脇 うーん、そのご質問をちゃんと僕なりに正しく理解できているかわからないですけれど、それって脳の情報処理の目的とか、何ができたら情報処理が完了したかとか問われているのに似ているんですかね? どうなったらいいんでしょう。僕が問いたいですね。つまり読み出し側を仮定しちゃうと、なんか脳の中に万能な「こびと」を置いておかなくてはならなくなる。最終的には。これだと無限後退がおきちゃって、説明にならないですよね。そうではなく、単純に処理をぐるぐるぐるぐる回していること自体が重要なのかも知れない。つまりゴールなんてないのかも知れない。

遠藤 デカルト的な話になってきますね。

宮脇 そうなんですよ。最終段がなんなのかっていう問いをあまり深く考えすぎると、哲学的なことになってくる。

遠藤 でも、宮脇さんが研究されていることを積み上げていくと、あるとき、「こびと」の話とかそういう問題に。「脳の中の幽霊」といったギルバート・ライル(英哲学者)とか、いろんな人がいるじゃないですか。かつてそんな議論をしていた人たちの辺りに、どんどん近づいていきますよね。

宮脇 あり得ますよね。還元論の限界はその辺にあるのかも知れないですけれど。


※2 Quiroga RQ, Reddy L, Kreiman G, Koch C, Fried I, "Invariant visual representation by single neurons in the human brain," Nature, vol.435, pp.1102-1107 (2005).
※3 DiCarlo JJ, Zoccolan D, Rust NC, "How does the brain solve visual object recognition?," Neuron, vol.73, pp.415-434 (2012).

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